オッペンハイマーとはどんな人?生涯・年表まとめ【原爆誕生の経緯や謎、功績や名言についても紹介】

1945年 – 41歳「広島・長崎に原子爆弾投下」

広島平和記念館に展示されている原子爆弾「リトルボーイ」

8月6日に広島、8月9日に長崎に原子爆弾投下

1945年に完成した原子爆弾はアメリカのニューメキシコ州にて最終確認のための核実験が行われました。「トリニティ実験」と名付けられたこの実験では人類初の原子爆弾「ガジェット」を用いて施行され、鉄製のタワーの上に取り付けた状態で爆発させ、成功に終わります。

そして、1945年8月6日、「ガジェット」と同時並行で制作されていた原子爆弾「リトルボーイ」が広島に投下されます。さらに3日後の8月9日には長崎へ原子爆弾「ファットマン」が投下されました。二つの街で原子爆弾によって犠牲となった人は20万から30万、あるいはそれ以上ともされています。

1947年 – 43歳「核兵器廃絶のための活動を行う」

核兵器廃絶キャンペーン

原子力委員会のアドバイザーとして核兵器撲滅を訴える

第二次世界大戦終戦後、1947年にオッペンハイマーはアインシュタインなどが在籍するプリンストン高等研究所に所長として籍を置くようになります。研究に取り組む一方で、原子力委員会のアドバイザーとなって核兵器の撲滅を目標として活動を展開しました。

原子爆弾制作にも携わっていた「水爆の父」とも呼ばれているエドワード・テラーは終戦後も水爆計画を積極的に行っていたため、オッペンハイマーとは真っ向から対立することとなります。

1954年 – 50歳「マッカーサーの「赤狩り」により公職追放となる」

マッカーサー

共産党員らを追放する「赤狩り」の対象となり、公職追放される

第二次世界大戦後、世界を二分することになった冷戦の開戦を背景にして、マッカーサーが共産党派の著名人らを追放する通称「赤狩り」を決行しました。オッペンハイマーの一家はほとんどがアメリカ共産党員であったため、「赤狩り」の対象となり、公職追放を受けることになります。

共産党員として共産党系の集会に参加したことや機密安全保持疑惑を持たれたことから、私生活においてもFBIの監視下に置かれるようになるなど、これ以後の生活はのっぴきならない状態で過ごすことになるのでした。

1963年 – 59歳「エンリコ・フェルミ賞受賞」

エンリコ・フェルミ

エンリコ・フェルミ賞受賞

オッペンハイマーは1963年にエンリコ・フェルミ賞を受賞しました。この賞はエネルギーの開発、使用、生産において一定の業績をあげた人物に贈られるアメリカの物理学賞の一つです。統計力学や量子力学において顕著な業績を残したエンリコ・フェルミによって創設されました。

エンリコ・フェルミはフェルミ分布、フェルミ準位、フェルミ粒子、フェルミのパラドックス、元素名のフェルミウムなどの語源となっている人物で、実験物理と理論物理の両方において世界最高峰の業績を残した物理界における逸材としてとらえられています。

1967年 – 62歳「オッペンハイマーの死去・死因は咽頭癌」

ニュージャージー州プリンストンの街並み

咽頭癌にて帰らぬ人に

1965年に咽頭癌と診断され、手術、放射線療法、化学療法を行いますが、結果は芳しくなく、病変をすべて取り除くことはできませんでした。その後、徐々に病状は進行し、1967年2月には昏睡状態に陥ります。

そして、1967年2月18日、咽頭癌の進行により帰らぬ人となるのでした。最期はニュージャージー州プリンストンの自宅で看取られました。

オッペンハイマーの関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

オッペンハイマー 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇

マンハッタン計画に参加し、科学者チームのリーダーとして原子爆弾制作を主導したオッペンハイマー。「原爆の父」と呼ばれ、当時は原爆製造の功績を喜んでいましたが、実際の惨状を知ると、後悔の念に晒されるようになります。2006年ピュリッツァー賞受賞作。

原子爆弾 1938~1950年――いかに物理学者たちは、世界を残虐と恐怖へ導いていったか?

広島と長崎に原子爆弾が投下されてから70年の節目に出版された書籍です。ネイチャー誌に「後世に残る傑作」と評された本作は1938年にドイツで核分裂を発見したところから、原子爆弾制作、投下までの経緯を詳細に解説しています。

オッペンハイマー 原爆の父はなぜ水爆開発に反対したか

原子爆弾の出現によって世界を核兵器以前と核兵器以後に分断することになりました。その狭間で運命をともに引き裂かれた科学者オッペンハイマーの一連の活動が記録されています。原爆を作成して賞賛を受けた科学者が一転、自分の成したことに怯えるようになるのでした。

おすすめの動画

【ゆっくり科学者解説】原爆の父 ロバート・オッペンハイマー ゆっくり解説

オッペンハイマーの生涯について、写真を掲載しながら、幼少期から原爆の開発、晩年までをゆっくりな音声で幅広く解説をしています。10分ほどの動画となっているので、オッペンハイマーの年譜を大まかに知りたい方にはおすすめです。

おすすめの映画

Day After Trinity

原子爆弾の製作、広島・長崎への投下に至るまでを詳細に描いています。オッペンハイマーがマンハッタン計画の科学チームのリーダーとして活躍する様子、トリニティ実験の様子、そして、原子爆弾が投下される様子を事実に即して忠実に再現しています。

オッペンハイマーについてのまとめ

オッペンハイマーは幼少期から勉学に優れ、化学や数学において特にその能力を発揮しました。ハーバード大学に入学すると、化学を専攻し、全てにおいて優秀な成績を修めたため、わずか3年で卒業することとなります。

第二次世界大戦では「マンハッタン計画」へ参加することを要請され、原子爆弾の作成に関わりますが、その影響による後悔から、終戦後は核兵器廃絶への活動を展開するようになるのでした。最期は咽頭癌によって亡くなりましたが、彼が世界に与えた影響は計り知れません。

今回はオッペンハイマーについてご紹介しました。この記事をきっかけにさらに興味を持っていただけると幸いです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

1 2 3

コメントを残す