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菱川師宣とはどんな人?生涯・年表まとめ【作品や功績、浮世絵の確立までの経緯なども紹介】

菱川師宣は「見返り美人図」で有名な江戸時代に活躍した浮世絵師です。それまでは肉筆で描かれ、非常に高価だった浮世絵を版画によって大量生産し、庶民の手にも渡るようにした人物でもあります。菱川師宣のおかげで絵画の魅力を多くの人に伝えることができるようになりました。

もともとは縫箔師(刺繍と金銀の箔で模様を表し、着物などを仕立てる職業)の父のあとを継ぐために、縫箔の修行を積んでいましたが、下絵の勉強も兼ねて昔の絵画を学んでいくうちに絵に対する興味が芽生えるようになります。父とともに仕上げた松翁院の釈迦涅槃図の縫箔を終えると、絵師としての道を歩むようになるのでした。

菱川師宣
菱川師宣

絵師となってからは肉筆画、浮世絵、絵本など数多くの作品を残していきます。のちの葛飾北斎や歌川広重などの浮世絵画家もそれらの作品に影響を受けました。そして、菱川師宣が晩年に描いた「見返り美人図」は当時としても画期的な画風で定評がありましたが、現代でも歴史的に価値があるとして切手に採用されたこともあるのです。

見返り美人図
見返り美人図

菱川師宣の「見返り美人図」切手をたまたま発見して、彼の作品に興味の湧いた筆者が様々な文献を読み漁った結果得た情報をもとに、菱川師宣の生涯、功績、エピソードについてご紹介します。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

菱川師宣とはどんな人物か

名前菱川師宣(本名:菱川吉兵衛)
誕生日不明 1618年、1630年、1631年生まれなど諸説あり
没日1694年6月4日
生地安房国保田町(現・千葉県鋸南町保田)
没地江戸 村松町(現・東日本橋)
配偶者不明 2男1女の子供あり
埋葬場所埋葬場所

菱川師宣の生涯をハイライト

菱川師宣の生涯をダイジェストすると以下のようになります。

  • 安房国保田町(現在の千葉県鋸南町保田)に縫箔師の子供として誕生
  • 幼少期から縫箔の修行を行うかたわら、絵画にも興味を覚える
  • 父・吉左衛門とともに安房国百首村の松翁院の釈迦涅槃図の縫箔を手がける
  • 絵師として絵本を描き始め、1672年に「武家百人一首」を発表
  • 江戸の「江戸雀」、奈良の「奈良名所八重桜」など各地のガイドブックを作る
  • 井原西鶴の「好色一代男」の挿絵を担当
  • 浮世絵版画を発明し、江戸に絵画を広める
  • 「見返り美人図」の制作
  • 1694年64歳で帰らぬ人に

菱川師宣の家族構成は?子孫や弟子は何をした?

菱川師宣は縫箔師の父・菱川吉右衛門と母・おたまの間に生まれます。7人兄弟の4番目の子供でしたが、上の3人が女の子であったため、長男として誕生しました。

師宣自身の妻に関しては情報がありませんが、2男1女の子供達に恵まれたという情報は残っています。二人の男兄弟は父・師宣のあとを継いで、浮世絵師になりました。

見返り美人像 菱川師宣記念館
見返り美人像 菱川師宣記念館

菱川師宣には弟子もたくさんおり、菱川派として工房を構成していました。しかし、師宣の死後は菱川派の活躍も長くは続かず、工房も解散してしまうのでした。菱川師宣記念館には菱川派の作品が多数所蔵されています。

菱川師宣の有名な作品は?

見返り美人図
見返り美人図

菱川師宣の有名な作品として真っ先にあげられるのが「見返り美人図」です。こちらは晩年の肉筆画の最高傑作としてもとらえられており、現代でも高く評価されている作品となっています。師宣は井原西鶴にも賞賛されるほど女性の姿を描くのに長けており、この「見返り美人図」は当時流行だった「寛文美人図」の江戸バージョンとして描かれたのでした。

歌舞伎図屏風
出典:ジャパンサーチ

その他の有名作品としては重要文化財に指定されている「歌舞伎図屏風」が挙げられます。こちらは歌舞伎が行われている中村座の様子を屏風に描いた作品で、歌舞伎を見物に来た人たちや役者、裏方まで詳細にその状況が描かれました。

菱川師宣の影響を受けた人物は?

菱川師宣に直接的に影響を受けた人物は菱川派に在籍していた弟子達ですが、師宣の死後は目立った活躍はありませんでした。浮世絵の後継者としては、師宣の死後100年以上を経て登場した葛飾北斎や歌川広重でしょうか。

富嶽三十六景
富嶽三十六景

葛飾北斎は「富嶽三十六景」や「北斎漫画」が有名で、世界的にも評価を受けている日本を代表する絵師です。アメリカのライフ誌による「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」では日本人で唯一ランクインしました。

東海道五十三次
東海道五十三次

歌川広重は「東海道五十三次」や「甲州日記」が有名作品として挙げられ、世界的な画家ゴッホが模写をしたことでも知られています。歌川広重の描く鮮やかな青は「ヒロシゲブルー」と言われており、ヨーロッパにおけるジャポニズムの流行を生みました。

菱川師宣の功績

功績1「浮世絵を絵画作品として確立させる」

菱川師宣の生涯において最も大きな功績は浮世絵を絵画作品として世に広めたことです。それまでの絵画は肉筆で一つ一つ仕上げていたため、値段が非常に高価でした。そのため、富裕層しか買うことができず、庶民にはあまり親しまれていなかったのです。

浮世絵版画の型
浮世絵版画の型

菱川師宣はもっと安価な絵画を作成できないかということで浮世絵版画を発明します。版画によって浮世絵を大量生産すれば、庶民も手の届く値段に抑えることができると考えたのです。また、この浮世絵版画はのちの葛飾北斎や歌川広重にも受け継がれ、世界的にも有名な作品が登場するようになるのでした。

功績2「『見返り美人図』の作画」

菱川師宣は晩年に肉筆画の最高傑作となる「見返り美人図」を制作しています。現代でも高く評価されている作品で、切手のデザインにもなりました。師宣の描く女性像は当時の江戸では非常に評判があり、「好色一代男」で有名な井原西鶴も絶賛したほどです。

寛文美人図
寛文美人図

「見返り美人図」は京都の方でこの時代に流行していた「寛文美人図」を真似して描かれましたが、髪型や帯の結び方などは江戸の文化を踏襲しており、「寛文美人図」の江戸バージョンとして、京都の「寛文美人図」に対抗する形で発表されました。

功績3「父親とともに縫箔の涅槃図を作成 」

師宣は縫箔師の父親の元で、幼少期は縫箔の修行をしていました。師宣が28歳の時に、安房国百首村にある松翁院からの依頼で「釈迦涅槃図」を制作することになります。父親が主導で制作に取り掛かり、師宣は下絵を担当しました。

釈迦涅槃図
釈迦涅槃図

完成した「釈迦涅槃図」は縦3.6m、横2.1mに及ぶ超大作となり、松翁院の住職にも大絶賛を受ける作品となりました。師宣はこの大仕事を終えると、絵師としての道を歩む旨を父に伝え、絵画の世界へと入っていくのです。

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