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菱川師宣とはどんな人?生涯・年表まとめ【作品や功績、浮世絵の確立までの経緯なども紹介】

菱川師宣は「見返り美人図」で有名な江戸時代に活躍した浮世絵師です。それまでは肉筆で描かれ、非常に高価だった浮世絵を版画によって大量生産し、庶民の手にも渡るようにした人物でもあります。菱川師宣のおかげで絵画の魅力を多くの人に伝えることができるようになりました。

もともとは縫箔師(刺繍と金銀の箔で模様を表し、着物などを仕立てる職業)の父のあとを継ぐために、縫箔の修行を積んでいましたが、下絵の勉強も兼ねて昔の絵画を学んでいくうちに絵に対する興味が芽生えるようになります。父とともに仕上げた松翁院の釈迦涅槃図の縫箔を終えると、絵師としての道を歩むようになるのでした。

菱川師宣
菱川師宣

絵師となってからは肉筆画、浮世絵、絵本など数多くの作品を残していきます。のちの葛飾北斎歌川広重などの浮世絵画家もそれらの作品に影響を受けました。そして、菱川師宣が晩年に描いた「見返り美人図」は当時としても画期的な画風で定評がありましたが、現代でも歴史的に価値があるとして切手に採用されたこともあるのです。

見返り美人図
見返り美人図

菱川師宣の「見返り美人図」切手をたまたま発見して、彼の作品に興味の湧いた筆者が様々な文献を読み漁った結果得た情報をもとに、菱川師宣の生涯、功績、エピソードについてご紹介します。

菱川師宣とはどんな人物か

名前菱川師宣(本名:菱川吉兵衛)
誕生日不明 1618年、1630年、1631年生まれなど諸説あり
没日1694年6月4日
生地安房国保田町(現・千葉県鋸南町保田)
没地江戸 村松町(現・東日本橋)
配偶者不明 2男1女の子供あり
埋葬場所埋葬場所

菱川師宣の生涯をハイライト

菱川師宣の生涯をダイジェストすると以下のようになります。

  • 安房国保田町(現在の千葉県鋸南町保田)に縫箔師の子供として誕生
  • 幼少期から縫箔の修行を行うかたわら、絵画にも興味を覚える
  • 父・吉左衛門とともに安房国百首村の松翁院の釈迦涅槃図の縫箔を手がける
  • 絵師として絵本を描き始め、1672年に「武家百人一首」を発表
  • 江戸の「江戸雀」、奈良の「奈良名所八重桜」など各地のガイドブックを作る
  • 井原西鶴の「好色一代男」の挿絵を担当
  • 浮世絵版画を発明し、江戸に絵画を広める
  • 「見返り美人図」の制作
  • 1694年64歳で帰らぬ人に

菱川師宣の家族構成は?子孫や弟子は何をした?

菱川師宣は縫箔師の父・菱川吉右衛門と母・おたまの間に生まれます。7人兄弟の4番目の子供でしたが、上の3人が女の子であったため、長男として誕生しました。

師宣自身の妻に関しては情報がありませんが、2男1女の子供達に恵まれたという情報は残っています。二人の男兄弟は父・師宣のあとを継いで、浮世絵師になりました。

見返り美人像 菱川師宣記念館
見返り美人像 菱川師宣記念館

菱川師宣には弟子もたくさんおり、菱川派として工房を構成していました。しかし、師宣の死後は菱川派の活躍も長くは続かず、工房も解散してしまうのでした。菱川師宣記念館には菱川派の作品が多数所蔵されています。

菱川師宣の有名な作品は?

見返り美人図
見返り美人図

菱川師宣の有名な作品として真っ先にあげられるのが「見返り美人図」です。こちらは晩年の肉筆画の最高傑作としてもとらえられており、現代でも高く評価されている作品となっています。師宣は井原西鶴にも賞賛されるほど女性の姿を描くのに長けており、この「見返り美人図」は当時流行だった「寛文美人図」の江戸バージョンとして描かれたのでした。

歌舞伎図屏風
歌舞伎図屏風

その他の有名作品としては重要文化財に指定されている「歌舞伎図屏風」が挙げられます。こちらは歌舞伎が行われている中村座の様子を屏風に描いた作品で、歌舞伎を見物に来た人たちや役者、裏方まで詳細にその状況が描かれました。

菱川師宣の影響を受けた人物は?

菱川師宣に直接的に影響を受けた人物は菱川派に在籍していた弟子達ですが、師宣の死後は目立った活躍はありませんでした。浮世絵の後継者としては、師宣の死後100年以上を経て登場した葛飾北斎歌川広重でしょうか。

富嶽三十六景
富嶽三十六景

葛飾北斎は「富嶽三十六景」や「北斎漫画」が有名で、世界的にも評価を受けている日本を代表する絵師です。アメリカのライフ誌による「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」では日本人で唯一ランクインしました。

東海道五十三次
東海道五十三次

歌川広重は「東海道五十三次」や「甲州日記」が有名作品として挙げられ、世界的な画家ゴッホが模写をしたことでも知られています。歌川広重の描く鮮やかな青は「ヒロシゲブルー」と言われており、ヨーロッパにおけるジャポニズムの流行を生みました。

菱川師宣の功績

功績1「浮世絵を絵画作品として確立させる」

菱川師宣の生涯において最も大きな功績は浮世絵を絵画作品として世に広めたことです。それまでの絵画は肉筆で一つ一つ仕上げていたため、値段が非常に高価でした。そのため、富裕層しか買うことができず、庶民にはあまり親しまれていなかったのです。

浮世絵版画の型
浮世絵版画の型

菱川師宣はもっと安価な絵画を作成できないかということで浮世絵版画を発明します。版画によって浮世絵を大量生産すれば、庶民も手の届く値段に抑えることができると考えたのです。また、この浮世絵版画はのちの葛飾北斎や歌川広重にも受け継がれ、世界的にも有名な作品が登場するようになるのでした。

功績2「『見返り美人図』の作画」

菱川師宣は晩年に肉筆画の最高傑作となる「見返り美人図」を制作しています。現代でも高く評価されている作品で、切手のデザインにもなりました。師宣の描く女性像は当時の江戸では非常に評判があり、「好色一代男」で有名な井原西鶴も絶賛したほどです。

寛文美人図
寛文美人図

「見返り美人図」は京都の方でこの時代に流行していた「寛文美人図」を真似して描かれましたが、髪型や帯の結び方などは江戸の文化を踏襲しており、「寛文美人図」の江戸バージョンとして、京都の「寛文美人図」に対抗する形で発表されました。

功績3「父親とともに縫箔の涅槃図を作成 」

師宣は縫箔師の父親の元で、幼少期は縫箔の修行をしていました。師宣が28歳の時に、安房国百首村にある松翁院からの依頼で「釈迦涅槃図」を制作することになります。父親が主導で制作に取り掛かり、師宣は下絵を担当しました。

釈迦涅槃図
釈迦涅槃図

完成した「釈迦涅槃図」は縦3.6m、横2.1mに及ぶ超大作となり、松翁院の住職にも大絶賛を受ける作品となりました。師宣はこの大仕事を終えると、絵師としての道を歩む旨を父に伝え、絵画の世界へと入っていくのです。

菱川師宣にまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「『浮世絵師』と呼ばれることを嫌い、『大和絵師』と自らを称した」

菱川師宣は狩野派や土佐派の日本絵に憧れて絵画の世界に入ってきたので、自らのことを「浮世絵師」と呼ばれることを好んでいませんでした。師宣自身は自らを「大和絵師」と呼ぶようにしていましたが、その希望とは反対に「浮世絵師」という言葉が世間に広まっていきます。

大和絵
大和絵

菱川師宣について出版した本に書いてあった「浮世絵師」をわざわざ「大和絵師」に訂正させたというエピソードがあるほどその肩書きにこだわっていましたが、やはり世間は師宣を「浮世絵師」ととらえるようになっていったのでした。そして、師宣の死後も300年以上に渡り、「浮世絵師」という称号が受け継がれていくのです。

都市伝説・武勇伝2「『見返り美人図』が切手になる」

師宣が晩年に描いた肉筆画の傑作「見返り美人図」は郵便切手のデザインとして採用されていますが、その中でも有名なのが1948年と1991年の切手です。1948年の時の額面は500円、1991年の時の額面は62円です。1948年に発行された切手は縦が67mm、横が30mmと非常に大きなサイズとなっており、当時話題となりました。現在では一枚3000円前後の価値があるとされており、コレクターの間で人気の切手となっています。

見返り美人図の切手
見返り美人図の切手

1991年発行の切手は現在の平均的なサイズと同等となっており、日本郵便創業120年を記念して発行されたものでした。現在の相場としては額面とほぼ同等か少し高いくらいだそうです。

菱川師宣の簡単年表

1630年 - 0歳
菱川師宣の誕生

1630年、安房国保田(現在の千葉県鋸南町保田)で菱川師宣が誕生します。師宣は縫箔師の父・吉左衛門と母・おたまの間に生まれた、4番目の子供でしたが、それ以外はみんな女の子だったので、長男として誕生しました。

幼少期 - 10歳〜16歳
縫箔師を継ぐために技術を学ぶ

師宣は父親の職業である縫箔師を継ぐために幼い頃から仕事を手伝っていました。美的センスは小さい頃から優れており、仕事の覚えも早かったようです。仕事とは別に、風景を絵に描くことも好きな少年であったため、よく保田の自然を絵に表していました。

1646年 - 16歳
江戸に出て縫箔の修行を行う

16歳になると、縫箔の修行のため、江戸に出ることになりました。江戸では刺繍の下絵の勉強を主に学ぶことになります。この時に絵の魅力に気づき、お手本としていた絵の素晴らしさを江戸に広めたいという思いから、のちに浮世絵の方へと進路を変更することになるのです。

1658年 - 28歳
父・吉左衛門が手がけた『釈迦涅槃図』の下絵を担当する

菱川親子の元に安房国の百首村(現在の千葉県富津市竹岡)の松翁院から釈迦涅槃図の縫箔を依頼が来ました。師宣はその下絵を担当したのです。

1672年 - 42歳
本の挿絵を描くようになる

師宣の生きた時代は本の出版が盛んになった期間でした。「本の挿絵を入れたら読みやすくなるのでは」と考えた師宣は、その考えを業者に打診します。絵本とすることを認められた師宣は1672年に「武家百人一首」を出版しました。

1677年 - 47歳
名所絵「江戸雀」の発表

師宣は1677年に江戸のガイドブック「江戸雀」を刊行しました。これは初めて江戸を訪れた人を案内するための書物で、江戸の地誌として最古の作品としてとらえられています。師宣は他にも名所絵として「奈良名所八重桜」や「東海道分間絵図」などを制作しました。

1684年 - 54歳
井原西鶴の「好色一代男」の挿絵を担当

当時、上方でベストセラーとなった井原西鶴の「好色一代男」に師宣の挿絵を入れることになりました。師宣はあくまでも文字がメインということで、絵の配分は少なめにしていましたが、評判がよくなるにつれて、ページにおける絵の占める割合が多くなっていくのです。

17世紀後半 - 40歳〜54歳
浮世絵版画の発明

これまでの浮世絵は肉筆画であったため、一枚一枚に非常に多くの手間がかかり、庶民の手には届かない値段となっていました。そこで師宣は版画にして大量生産し、庶民にも手が届きやすい値段で、絵画を売れるようにすることを考えたのです。

1690年前後年 - xx歳〜xx歳
「見返り美人図」の制作

菱川師宣の代表作とも言える「見返り美人図」を制作します。師宣は女性を描く技術に定評があり、「見返り美人図」も高い評価を得るところとなりました。

1694年 - 64歳
菱川師宣死去・死因は不明

師宣は晩年も版画・肉筆問わず多くの作品を残していきましたが、1694年に帰らぬ人となります。菱川師宣に関する資料が1703年の元禄地震による津波で流されてしまったため、生年月日や死没日、死因などがはっきりしていません。

菱川師宣の年表

1630年 – 0歳「菱川師宣の誕生」

千葉県鋸南町保田 道の駅・保田小学校跡地
千葉県鋸南町保田 道の駅・保田小学校跡地

菱川師宣が安房国で誕生

1630年、安房国保田(現在の千葉県鋸南町保田)で菱川師宣が誕生します。菱川師宣の生年については諸説あり、1618年に生まれたのではないかとされる記録もありますが、父・吉左衛門の生年が1597年なので、年齢的にも1630年に生まれたのが有力とされています。

師宣は縫箔師の父・吉左衛門と母・おたまの間に生まれます。4番目の子供でしたが、それ以外はみんな女の子だったので、長男として誕生しました。兄弟は他にも弟が二人、妹が一人いて、師宣は7人兄弟のちょうど真ん中です。

縫箔を継ぐために技術を学ぶ

縫箔 作品の一種
縫箔 作品の一種

師宣は父親の職業である縫箔師を継ぐために幼い頃から仕事を手伝っていました。美的センスは小さい頃から優れており、仕事の覚えも早かったようです。仕事とは別に、風景を絵に描くことも好きな少年であったため、よく保田の自然を絵に表していました。

狩野派の作品
狩野派の作品

16歳になると、縫箔の修行のため、江戸に出ることになりました。江戸では刺繍の下絵の勉強を主に学ぶことになります。絵師の名門「狩野派」、「土佐派」、「長谷川派」の絵画を集め、それを参考にして何度も何度も絵を描いていくのでした。この時に絵の魅力に気づき、のちに浮世絵の方へと進路を変更することになるのです。

1658年 – 28歳「松翁院の釈迦涅槃図を父とともに制作」

菱川親子の釈迦涅槃図
菱川親子の釈迦涅槃図

釈迦涅槃図の制作

師宣が28歳の時に父・吉左衛門の元に大仕事が舞い込んできます。安房国の百首村(現在の千葉県富津市竹岡)の松翁院から釈迦涅槃図の縫箔を頼まれました。師宣はその下絵を任されることになったのです。完成した涅槃図は縦3.6m、横2.1mにもなる大作でした。

師宣はこの仕事を終えると、父に縫箔を継ぐように勧められますが、絵師として活躍し、江戸に絵画の魅力を広めていきたいという思いを正直に伝えたとされています。

1672年 – 42歳「絵本の挿絵を描くようになり、最初の絵本『武家百人一首』を発表」

武家百人一首
武家百人一首

絵本「武家百人一首」を制作

師宣の生きた時代は本の出版が盛んになった期間でした。寛永年間(1624年-1644年)、寛文年間(1661年-1673年)をかけて京都から発信された木版による本の制作は江戸へと広まっていきます。

師宣はこれに目をつけ、「本の挿絵を入れたら読みやすくなるのでは」と考え、絵本の制作にとりかかるのでした。現在確認されているもので最初に出版された師宣の絵本は1672年の「武家百人一首」で、この時初めて本に署名をするという風潮を師宣が作り出したのです。

名所絵「江戸雀」発表

江戸雀
江戸雀

名所絵は葛飾北斎の「富嶽三十六景」や歌川広重の「東海道五十三次」が有名ですが、これらが制作されたのは師宣の生きた時代から100年以上も後のことです。師宣は1677年に江戸のガイドブック「江戸雀」を刊行しました。これは初めて江戸を訪れた人を案内するための書物で、江戸の地誌として最古の作品としてとらえられており、現在では厳重に保管されています。

師宣は他にも名所絵として奈良のガイドブック「奈良名所八重桜」や東海道のガイドブック「東海道分間絵図」などを残しました。

1684年 – 54歳「井原西鶴『好色一代男』の挿絵を担当」

井原西鶴 「好色一代男」
井原西鶴 「好色一代男」

「好色一代男」の挿絵を描く

1680年代に京都でベストセラーを記録した井原西鶴の「好色一代男」を江戸でも出版することが決まります。師宣は「好色一代男」に挿絵を入れることを提案し、師宣がその担当を引き受けることになりました。

井原西鶴
井原西鶴

当初は文章が主役であると考えていたため、挿絵にはあまり多くの面積をさきませんでした。しかし、いざ出版してみると絵本の評判が良かったために、挿絵の占める割合がだんだんと大きくなっていきます。1686年に発表した「大和絵のこんげん」という作品では絵を増やして、文章は紙面の5分の1程度に抑えることになりました。文章を読むことがあまり得意でない人たちにも受け入れられ、出版ブームに拍車をかけることになります。

浮世絵版画の発明

当時の浮世絵は肉筆画であったため、非常に高価なものが多く、庶民には手の出せる代物ではありませんでした。師宣は江戸に絵画の魅力を普及させることを夢見ていたため、もっと安価で手に取りやすい絵を制作できないかと考えます。

そこで、版画による浮世絵の大量生産を思いつくのでした。浮世絵版画の発明により、一枚一枚にかかる手間を大幅に省くことができるようになったため、絵画を多く生産することができ、庶民の間でも浮世絵が流行するようになります。

1690年前後 – 60歳前後「『見返り美人図』の制作」

見返り美人図
見返り美人図

肉筆画で見返り美人図を制作する

師宣は女性を描くことに定評があり、親交のあった井原西鶴にも「菱川が書きし小気味のよき姿枕」と賞賛を受けています。これまでは京都風の美人絵が描かれることが多かったため、師宣の描いた女性は「これが江戸の美人だ」と評判を呼びました。

「見返り美人図」は1688年から1694年までの間に描かれた作品で、当時流行っていた漢文美人図の描き方を踏襲しています。その一方で女性の髪型が「玉結び」であることや帯の締め方が「吉弥結び」であることは江戸の流行をとらえて描かれたのでした。

見返り美人図 切手
見返り美人図 切手

「見返り美人図」は現代の郵便切手にも描かれたことがあるため、世間に広く知られており、現在でも高い評価を受けている作品です。

1694年 – 64歳「菱川師宣死去・死因は不明」

晩年の作品 歌舞伎図屏風 重要文化財
晩年の作品 歌舞伎図屏風 重要文化財

64歳でこの世を去る

師宣は晩年も精力的に作品制作に取り掛かり、「歌舞伎図屏風」や「大江山鬼退治絵巻」などの大作を残しますが、1694年に64歳で帰らぬ人となります。

菱川師宣に関する資料が1703年の元禄地震による津波で流されてしまったため、菱川師宣の生年月日や幼少期の年譜、死因、死没日などは明らかになっていません。

菱川師宣の関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

江戸の絵師・菱川師宣

浮世絵を世間に広める重要な役割を果たした菱川師宣の生涯を紹介している書籍です。安房国保田村の縫箔師の子供として誕生し、狩野派、土佐派などの絵画を学んでいくうちにその魅力に気づき、絵師として生きる道を選んだ師宣。その生涯で成し遂げた功績はどのようなものがあるのでしょうか。

菱川師宣と浮世絵の黎明

浮世絵の作品を研究した成果を紹介する書籍です。錦絵誕生までの初期浮世絵について菱川師宣をはじめとする代表的な絵師の肉筆画や版画、春画を170点に渡って解説しています。資料が津波によって流されてしまったために詳しいことが明らかになっていない菱川師宣を徹底的に解剖しています。

おすすめの作品

好色一代男

国立国会図書館が所蔵している「好色一代男」をインターネット上に公開している資料で、著作権保護の期間がすぎた画像データをKindle版として制作したものです。井原西鶴が執筆し、菱川師宣が挿絵を担当した当時のベストセラー本です。

江戸雀

国立国会図書館に所蔵してある「江戸雀」の原本をKindle版に作り変えて公にされている書籍です。当時の江戸のガイドブックとして用いられていた菱川師宣作の絵本がどのようなものであったのかを知ることのできるデータ版書籍となっています。

奈良名所八重桜

菱川師宣の制作した奈良のガイドブック「奈良名所八重桜」を国立国会図書館が所蔵しているものをKindleのデータ版として作成し直し、公にしている書籍です。当時の作られた状態そのままでデータ化されているため、菱川師宣の作品がどのようなものだったのか興味がある方にはおすすめです。

おすすめのDVD

浮世絵 春画 曼荼羅

浮世絵絵画の巨匠13人の作品を収録したDVDです。菱川師宣の江戸の春画から葛飾北斎の傑作「縁結出雲杉」、歌川国芳の「吾妻源氏」に至るまで巨匠たちの絵巻や艶本を紹介しています。春画はデジタル画像で鮮やかな色彩、構図、巧みな筆使いを再現し、加工を施さずに収録されています。

おすすめドラマ

DVD『浮世絵春画曼陀羅』 DISC1 Trailer <故林美一のコレクション> shunga 音声では春画に書かれているテキストを男女共に艶めかしく読み上げる

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おすすめのDVDで紹介した「浮世絵春画曼荼羅」の一部を切り取って動画にしてあります。DVDに興味を持ったけど手が出せないという方はこの動画を鑑賞してどのようなものか吟味してみると良いかもしれません。

菱川師宣についてのまとめ

菱川師宣は幼少期は縫箔を継ぐために修行を重ねながらも、その過程で下絵について学ぶに連れて絵画の魅力に取り憑かれていき、絵師としての道を選ぶことになります。絵師としての活動をするかたわら、庶民の手にも絵画が幅広くいきわたるように浮世絵版画を発明したことが大きな功績の一つです。また、晩年には現代でも高く評価されている「見返り美人図」を仕上げました。

菱川師宣に関する資料は津波によって流されてしまったため、生年月日や死没日などは明らかになっていませんが、彼が生涯で成し遂げたことは後世の葛飾北斎をはじめとする浮世絵画家に多大な影響を与えたのでした。

今回は菱川師宣についてご紹介しました。この記事をきっかけにさらに興味を持っていただけると幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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