ルイ・アームストロングは20世紀に活躍したジャズ・トランぺッターでありボーカリストです。あだ名は「サッチモ」。彼が歌った「この素晴らしき世界 (What a Wonderful World)」は聞いたことある人も多いのではないのでしょうか?
「ジャズの父」とも呼ばれた彼はスキャットと呼ばれる歌唱法を生み出し、その後のジャズ界をけん引しました。多くのミュージシャンたちがルイ・アームストロングから影響を受けたと語り、彼無しには現在のジャズの姿はなかったかもしれません。
彼の持つ明るく華やかな雰囲気と深い味わいの歌は多くの人々を癒しました。ベトナム戦争の最中だった陸軍基地を訪れ、若い兵士たちの前で慰問演奏した映像なども残されています。またステージでのエンターテイメント性が評価されて映画にも多数出演しました。
1949年にはアメリカの国民的ニュース雑誌「タイム」で、ジャズ・ミュージシャンとして初めて表紙を飾っています。1964年に発売された「ハロー・ドーリー」は、3ヶ月連続で首位を独占していたビートルズを破り全米1位を獲得しています。
この記事では普段からジャズを演奏している筆者が、ルイ・アームストロングの生い立ちや功績、名曲をミュージシャンとしての目線から紹介していきます。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
ルイ・アームストロングとはどんな人物か
名前 | ルイ・アームストロング |
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誕生日 | 1901年8月4日 |
没日 | 1971年7月6日(享年69歳) |
生地 | アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオリンズ |
没地 | アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市 |
配偶者 | デイジー・パーカー(1918~1923) |
リル・ハーディン(1924~1938) | |
アルファ・スミス(1939~1942) | |
ルシール・ウィルソン(1942~1971) | |
埋葬場所 | アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク・フラッシング墓地 |
ルイ・アームストロングの生涯をハイライト
1901年にアメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオリンズで生まれたルイ・アームストロングは、比較的貧しい地域で育ちます。父親が家族を置いて出て行ってしまったので、母親が働きに出るため祖母に預けられて暮らしていました。
そんな彼でしたが、家から持ち出したピストルを新年の祝砲として発砲してしまい逮捕されてしまいます。しかし収容された施設でコルネット(トランペットに似た楽器)と出会い、ミュージシャンの道を歩むことになりました。
1923年にシカゴに渡るとキング・オリバーの楽団に加入します。その後自身のバンドである「ホット・ファイヴ」を結成。1926年にこのバンドで録音された「ヒービー・ジービーズ」は、史上初の即興で歌うスキャットを取り入れた曲として有名です。
ルイ・アームストロングの活躍は1960年代にピークを迎えます。1964年に「ハロー・ドーリー」が全米1位を獲得したほか、1967年には世界的な名曲「この素晴らしき世界」が発表されました。
晩年には体調不良により休養しながらステージをこなしていました。そして1971年にニューヨークにある自宅で、就寝中に心臓発作を起こしこの世を去ります。葬儀には政治家や著名なミュージシャンたちなど多くの人々が参列しました。
ルイ・アームストロングの性格や人物像は?
サービス精神旺盛なエンターテイナー
ルイ・アームストロングの写真を見ると朗らかに笑った顔や、ひょうきんな表情の写真が多いことに気づきます。写真が表すように彼はチャーミングで愛すべき性格でした。
朗らかな表情の特徴になっている大きな口も彼のトレードマークです。「サッチモ」という有名なあだ名もカバンのような大きな口という意味の「Satchel Mouth」や、なんて口だ!を意味する「Such a Mouth」に由来しているといいます。
残された映像を見ても演奏のあいだにみせるコミカルな表情や動きから、ルイ・アームストロングの性格を伺い知ることが出来ます。
誰もが聴いたことのある「だみ声」
ルイ・アームストロングの歌声は一度聴いたら忘れられないほどとても特徴的です。ガラガラと形容されるようなだみ声で決して美しい声ではありませんが、低くて豊かな歌声は聴く人を安心させ引き込む力を持っていました。
そんな彼の声は生まれつきではありません。1920年代の録音などを聴くと、まだしゃがれていない声で歌っているのです。ルイ・アームストロングの伝記である「POPS」によると1921年のツアー中に風邪で声帯を痛めたことが発端のようで、その後1936年ごろに声帯の手術を受けますが残念ながら元には戻りませんでした。
ルイ・アームストロングが影響を受けた・与えた人
マイルス・デイヴィス
ルイ・アームストロングはボーカリストとしてもトランぺッターとしても、数多くのミュージシャンに影響を与えました。モダンジャズの帝王と言われたジャズ・トランぺット奏者のマイルス・デイヴィスは「ルイの影響を受けていないトランペット奏者はいない」と断言しています。
デューク・エリントン
偉大な作曲家でありルイと共作でアルバムも作成しているジャズ・ピアニストのデューク・エリントンも、「ルイこそミスター・ジャズだ!」と語っています。
ウィントン・マルサリス
現代の最高峰のジャズ・トランぺット奏者のひとりであるウィントン・マルサリスには「いろんなトランペット奏者の良いところを盗もうと思ったけど、ルイからは盗むことができなかった。とにかく凄すぎるんだ!」と言わしめました。
キング・オリヴァー
そんなルイ・アームストロングは師匠であるコルネット奏者のキング・オリヴァーの影響を口にしています。その影響は「もしオリヴァーがいなかったら、今日のジャズはなかっただろう」と言わせるほどでした。ルイは最後までオリヴァーを師匠として慕い、深い絆で結ばれていたといいます。
死因は心筋梗塞
ルイ・アームストロングは1971年6月にニューヨーク州クイーンズにあった自宅で、心筋梗塞により69年の生涯を終えました。亡くなる1か月前にニューヨークでのショーの後で心臓発作を起こし、数週間の入院ののち自宅療養中の出来事でした。
ニューオリンズの伝統的な葬儀では、セカンドラインと呼ばれるブラスバンドを伴ったパレードが行われます。葬儀場から墓地まではしめやかに行進し、埋葬が終わると華やかで陽気な曲を演奏し死者を見送ります。ルイの葬儀でも彼の代表曲のひとつである「聖者の行進」がブラスバンドによって演奏されました。
彼の葬儀には当時の州知事や市長などの政治家から、デューク・エリントンやベニー・グッドマンらなどのミュージシャンまで各界の著名人たちが多数参列しました。