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世界最古の都市「イェルサレム」の歴史をスッキリ解説【宗教や文化、王国時代についても紹介】

「イェルサレムってどこにあるの?」
「イェルサレムって、何かの聖地なの?」
「イェルサレムって、いつも戦争をしてる気がするんだけど…」

この記事にたどり着いた方はこのようにお考えではないでしょうか。イェルサレムは、中東レバントに位置するイスラエル国にある都市で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとっての聖地でもあります。

3つの宗教の聖地であること、多様な民族構成、イスラエルの建国など様々な要因が重なり、常に争いが絶えない地域であるため、たびたびニュースでも話題になるなど世界情勢を知るうえでとても大切な都市です。また、様々な史跡があり、それぞれの宗教の信徒が祈りを捧げる美しい街ですので、観光都市としても人気で、世界中から多くの人が訪れます。

そんなイェルサレムの魅力にはまった著者が、イェルサレムについて、街の歴史や有名な史跡、イェルサレムが抱える問題などを詳しく解説していきます。

イェルサレムとはどんな都市?

イェルサレムの岩のドーム
イスラエル
言語ヘブライ語、アラビア語、英語
宗教ユダヤ教、キリスト教、イスラム教
人口933,200人

イェルサレムは、世界最古の都市の一つで、現在はユダヤ教・キリスト教・イスラム教の共通の聖地とです。主な産業は、観光客や巡礼客相手の観光産業で、首都テルアビブまで高速道路で一時間の距離となっています。

イェルサレムは、ユダヤ人が住む西エルサレム、アラブ人が住む東エルサレム、その境にある旧市街の3つの地域から成り立っています。

旧市街は、ユダヤ教・イスラム教・キリスト教の聖地であり、嘆きの壁や聖墳墓教会、岩のドームなど宗教ごとの施設があります。旧市街は城壁に囲まれており、北東はムスリム地区、北西はキリスト教徒地区、南西はアルメニア正教徒地区、南東はユダヤ人地区、と東西南北に宗派ごとで四分割されています。

西イェルサレムは、「新市街」と呼ばれる近代的な地区です。旧市街のヤッフォ門から伸びるヤッフォ通りがメインストリートで、市庁舎や市場、中央バスターミナルがあり、途中のシオン広場から延びるベン・イェフダ通りは繁華街となっています。メーアー・シェアーリームはユダヤ教超正統派の町として有名です。

東イェルサレムは、第一次中東戦争でヨルダンの支配下に置かれ、第三次中東戦争でイスラエルに占領されました。東イェルサレムには主にアラブ人が居住していていて、パレスチナ自治政府は、東イェルサレムを首都だと主張していますが、実際はイスラエルが実行支配をしています。

イェルサレムができた経緯を要約すると?

イスラエル王国とユダ王国
  • 紀元前1000年頃、古代イスラエル王国のダビデ王がイェルサレムを聖都とする
  • 紀元前960年頃、ソロモン王がイェルサレムに神殿(第一神殿)を建てる
  • 紀元前582年頃、ユダ王国がバビロニアに征服され、イェルサレム神殿が破壊される
  • 紀元前538年頃、多数のユダヤ人がバビロンから帰還し、神殿を再建する
  • 紀元前63年、 ローマ軍司令官ポンペイがエルサレムを占領し、ローマ帝国の支配下になる
  • 紀元前63年頃、ヘロデ王がイェルサレム神殿(第二神殿)を改築する
  • 30年頃、キリストが処刑され、復活を遂げる
  • 77年、ユダヤの反乱が置き、イェルサレムと第二神殿が破壊される
  • 638年、イスラムの支配下になり、イスラムの第3の聖地となる

イェルサレムの宗教は?なぜ3つの宗教の聖地なの?

エルサレムのスポット

イェルサレムは、「ユダヤ、キリスト教、イスラム教」3つの宗教の聖地とされています。なぜこれら3つの宗教の聖地となったのかというと、時代を変えてそれぞれの宗教にとっての大切な出来事が起きたのがイェルサレムだったからです。

ユダヤ教にとって、イェルサレムは古代イスラエル・ユダ王国の首都であり、信仰の中心であったイェルサレム神殿があった場所でもあります。今も残る「嘆きの壁」は70年にローマ帝国がイェルサレム神殿を破壊した際に残った神殿の一部であり、ユダヤ教徒にとっては大切な聖地となっています。

キリスト教にとってイェルサレムは、イエス・キリストが十字架にはりつけられ処刑された場所であり、埋葬され、復活した場所です。現在聖墳墓教会が建っている場所が、これらの出来事があった場所であるとされ、キリスト教の聖地とされています。

イスラム教にとっては、イェルサレムは預言者ムハンマドが昇天し、神の御前に至った旅をした場所とされており、その場所には現在岩のドームが建っています。岩のドームが建つ丘の上には、アル・アクサー・モスクが建てられ、聖なる場所とされています。

イェルサレムが現在抱えている問題とは

ガザ戦争の爆発の様子

現在イェルサレムは、「宗教対立、民族対立そして首都問題」を抱えており、その発端はイスラエルの建国にあります。16世紀以降イェルサレムを支配していたオスマン帝国の力が弱まり、第一次世界大戦後に、イギリスがパレスチナ地方を領地としたことがアラブ人とユダヤ人の対立を生み、両方が主権を主張して争い始めました。

第二次世界大戦後、イギリスがパレスチナから手をひくと国際連合は、アラブ人とユダヤ人でパレスチナ地方を分割し、聖地エルサレムは国際管轄するという案をだします。この案を受け入れたユダヤ人たちは、1948年にイスラエルの建国を宣言しますが、アラブ人たちは国連案に反発し、イスラエル対アラブ国家の戦争「中東戦争」がはじまりました。

繰り返す中東戦争の結果、イスラエルはヨルダン川西岸やガザ地区から撤退しましたが、東エルサレムの実効支配は続けています。現在も、イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)やガザ地区のハマスのあいだで、戦闘と和平をくりかえしています。

イスラエルは、イェルサレムをイスラエルの首都であると宣言していますが、国際社会はそれを認めず首都はテルアビブとし、各国の大使館はテルアビブにあります。しかし2018年、アメリカのトランプ大統領がアメリカ大使館をテルアビブからイェルサレムに移転したことで、この首都問題が再び問題となりました。

イェルサレムの3つの史跡

イスラエルの聖地イェルサレムで神聖スポット巡り

嘆きの壁

イェルサレム神殿の外壁の一部「嘆きの壁」

嘆きの壁は、紀元前20年頃にヘロデ王が改築したイェルサレム神殿の外壁の一部です。70年に起きたユダヤ戦争でローマ軍に鎮圧された際、神殿は破壊されましたが西側の一部だけが残りました。破壊された神殿は再建されることもなく、破壊されたことを悲しみ、嘆いた事から「嘆きの壁」と呼ばれるようになったといわれています。

唯一残った嘆きの壁はユダヤ教徒にとって最も神聖な場所であり、嘆きの壁の前では現在も多くのユダヤ教徒が祈りを捧げています。かつての神殿の一部であるこの壁に手紙を入れると、その祈りが神に届くといわれており、嘆きの壁の隙間にはユダヤ人たちの祈りが込められた手紙が差し込まれています。

聖墳墓教会

イェルサレムのキリストのお墓「聖墳墓教会」

聖墳墓教会は、イェルサレム旧市街(東イェルサレム)にあるキリストのお墓に立つ教会です。キリストが磔にされたゴルゴダの丘があったとされる場所に建ち、十字架が建てられた跡地や、遺体を横たわらせた岩、そして復活を遂げたとされる石墓があります。

聖墳墓教会は、325年コンスタンティヌス帝の命によって建てられました。その後、イスラムの支配下になった際に一度破壊されましたが、1048年に再建されました。現在は、カトリック教会、東方正教会、アルメニア使徒教会、コプト正教会、シリア正教会による共同管理となっています。

岩のドーム

イスラム教の聖地「岩のドーム」

岩のドームは東イェルサレムにあり、イスラム世界の最古の建造物となっています。ドームは、メッカ、メディナに次ぐイスラム教の第3の聖地で、ドームの中央にある岩は、ムハンマドが天に召された場所とされており、イスラム教徒にとっての聖域となっています。

岩のドームは、7世紀末にかつてイェルサレム神殿があった場所に建てられました。ドームは、礼拝所としてのモスクではなく、「聖なる岩」を祀る記念堂としての役割を果たしています。

イェルサレムの歴史を年表で振り返る

紀元前10世紀「古代イスラエル王国の首都となる」

古代イスラエル、ソロモン王の銅山を発見か

紀元前1000年頃、古代イスラエル王国(ヘブライ王国)が成立し、ダビデ王によってイェルサレムが王国の首都と定められました。ダビデ王の息子ソロモン王は、イェルサレムに神殿を建設するとユダヤ人にとっての信仰の中心となります。

ソロモン王の御世で最盛期を迎えた古代イスラエル王国は、紀元前930年ころ南北に分裂し、イェルサレムは、南のユダ王国の都となりました。

紀元前586年「ユダ王国の滅亡と破壊」

バビロン捕囚

紀元前597年、ユダ王国は新バビロニア王国の支配下になり、紀元前586年、ユダ王国が滅んだ際、イェルサレムの神殿を含む全てが破壊され、イェルサレムの民全てがバビロンへ連行されました。

紀元前539年「イェルサレムの再建」

第二神殿

紀元前539年、アケメネス朝ペルシアが新バビロニア王国を滅ぼすと、ユダヤ人はイェルサレムへ帰還し、イェルサレムを再建しました。紀元前515年には、イェルサレム神殿(第二神殿)も再建され、イェルサレムはユダヤ人の中心地として栄えます。

紀元前140年頃、ユダヤ人がハンモス朝という独立した王国をつくりますが、紀元前63年、ローマ帝国お支配下に置かれます。紀元前37年、ローマ宗主権のもと、ヘロデ王がイェルサレム神殿を完全に改築し、巨大な神殿を建設し、イェルサレムは大繁栄しました。

30年「イエス・キリストが処刑される」

キリストの磔刑

紀元前4年頃、ナザレの地にイエス・キリストが誕生しました。神の教えを伝導していたイエスは、伝統的なユダヤ教の一派であるファリサイ派を批判したため、政治犯として捕らえられます。捕らえられたイエスは、イェルサレムにあるゴルゴタの丘で、十字架刑に処され、処刑されました。

66年「ローマの植民市となる」

66年に起きたユダヤ戦争により、イェルサレムは陥落し、ユダヤ人の居住が禁止されました。ハドリアヌス帝の時代には、神殿の跡にユーピテルの神殿が築かれ、都市名をアエリア・カピトリナと改名し、ローマ植民市となりました。

313年「聖墳墓教会が建てられる」

聖墳墓教会はイエスの墓として聖地に

313年、ローマ皇帝コンスタンティヌスがキリスト教を公認した際、イェルサレムを訪れイエスの墓を見つけだしたといわれています。これを機に市名はアエリア・カピトリナからイェルサレムに戻され、イエスの墓の上に聖墳墓教会が建てられました。これ以降イェルサレムは、キリスト教にとっても聖地となりました。

638年「キリスト教の街からイスラム教の街へ」

メッカに生まれたイスラム教の始祖ムハンマドは、ある日天馬によってメッカからイェルサレムに運ばれ、神殿の丘の上に降りたち、さらに天へと昇ったといわれています。昇天しアッラーの神に会ったムハンマドは、イスラム共同体をつくり、メッカからメディナ、そして、ムハンマドの死後、共同体はイェルサレムを目指します。

638年、イェルサレムに侵攻したイスラム勢は、イェルサレムの地を「ムハンマドの昇天体験の地」として崇め、ムハンマドが昇天した場所であるかつてユダヤの神殿があった丘に「岩のドーム」を建てました。岩のドームの近くに、アル・アクサー・モスクを建て、イェルサレムをイスラムの第3の聖地という位置づけにしました。970年、ファーティマ朝の支配下に入った後、11世紀になるとセルジューク朝が占領し、イェルサレムの平和は維持されました。

1099年「イェルサレム王国の成立」

第1回十字軍

1099年、イスラムからの聖地奪還を目指した第1回十字軍がイェルサレムを占拠し、多くのムスリムやユダヤ教徒の住民が虐殺されました。同年、十字軍はイェルサレム王国を設立し、ムスリムやユダヤ人をイェルサレムから追い出し、イェルサレムをキリスト教の街としました。

しかし、イェルサレム王国は、様々な諸侯の連合軍であった十字軍が作った国家であったため方向性が定まらず、常に不安定でした。後継者問題や諸侯同士の対立により弱まったイェルサレム王国は、1291年にエジプトのマムルーク朝によって滅ぼされました。

1896年「シオニズムの台頭」

テオドール・ヘルツル

イェルサレムは、13世紀にマムルーク朝、16世紀にはオスマン帝国の支配下に置かれ、イスラムの街として栄えます。19世紀に入り、オスマン帝国の力が弱まったころ、世界各地に散らばっていたユダヤ人の間で「パレスチナの地にふたたび祖国をつくろう」という運動(シオニズム運動)がおこりました。

1896年、ハンガリーのユダヤ人新聞記者ヘルツルが、「ユダヤ人国家」という本を出版し、「祖国をつくろうと」呼びかけたことをきっかけに、何十万人ものユダヤ人がパレスチナへ移住しました。中でもイェルサレムへの移住が最も多く、市街地が西へ拡大されました。

1918年「イギリスによる統治」

イェルサレムを含むパレスチナを支配下においていたオスマン帝国が第一次世界大戦で敗れると、パレスチナはイギリスの委任統治下になりました。イェルサレムは、イギリスの統治下において首都となり、近代化への道を進むと共に、ヘブライ大学が設立されました。

1948年「イスラエルの建国」

日本イスラエル総合研究所

第二次世界大戦後、イギリスがパレスチナから手を引くと、1947年、国際連合は、パレスチナの56.6%ユダヤ人の土地、43.5%をアラブ人の土地とし、聖地エルサレムは国際管轄するという案をだしました。この決議案を受け入れたユダヤ人たちは、1948年にイスラエルを建国します。

一方、アラブ人たちはこれに反発したため、1949年に第一次中東戦争が勃発します。その後ユダヤ人対アラブ人の戦争が繰り返され、現在も、イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)やガザ地区のハマスのあいだでの争いは絶えません。イスラエルは、イェルサレムをイスラエルの首都であると宣言していますが、国際社会はそれを認めず、イェルサレムは国際管轄であり、首都はテルアビブとしています。

イェルサレムの関連作品

本・書籍

イェルサレム (世界の都市の物語)

とにかくイェルサレムについて知りたい方におすすめの一冊です。古代イスラエルか現在にいたるまでのイェルサレムの歴史が詳しく書かれています。

図説 地図とあらすじでわかる! 聖地エルサレム (青春新書)

エルサレムの歴史を分かりやすく説明してくれる一冊です。図や地図、年表が豊富で分かりやすいので初心者の方にもおすすめです。

Pen (ペン) 2012年 3/1号

ユダヤ教の聖地としてのイェルサレムの特集です。美しい写真の数々がイェルサレムの魅力を伝えてくれる一冊です。旅行の前に読むと知識が深まり旅行が楽しめるかもしれません。

イェルサレムに関するまとめ

イェルサレムについてご紹介しました。イェルサレムは、4000年以上の歴史を持つ最古の都市の一つです。小さな都市に、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教と3つの宗教の聖地があるという、世界でも類をみない特別な都市であり、それゆえ常に争いが絶えない街でもあります。

複雑な歴史を持つ美しい街、イェルサレムの魅力に一人でも多くの人が気づき、街の美しさだけでなく、イェルサレムが抱える問題にも興味を持っていただけると嬉しいです。

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