313年「聖墳墓教会が建てられる」
313年、ローマ皇帝コンスタンティヌスがキリスト教を公認した際、イェルサレムを訪れイエスの墓を見つけだしたといわれています。これを機に市名はアエリア・カピトリナからイェルサレムに戻され、イエスの墓の上に聖墳墓教会が建てられました。これ以降イェルサレムは、キリスト教にとっても聖地となりました。
638年「キリスト教の街からイスラム教の街へ」
メッカに生まれたイスラム教の始祖ムハンマドは、ある日天馬によってメッカからイェルサレムに運ばれ、神殿の丘の上に降りたち、さらに天へと昇ったといわれています。昇天しアッラーの神に会ったムハンマドは、イスラム共同体をつくり、メッカからメディナ、そして、ムハンマドの死後、共同体はイェルサレムを目指します。
638年、イェルサレムに侵攻したイスラム勢は、イェルサレムの地を「ムハンマドの昇天体験の地」として崇め、ムハンマドが昇天した場所であるかつてユダヤの神殿があった丘に「岩のドーム」を建てました。岩のドームの近くに、アル・アクサー・モスクを建て、イェルサレムをイスラムの第3の聖地という位置づけにしました。970年、ファーティマ朝の支配下に入った後、11世紀になるとセルジューク朝が占領し、イェルサレムの平和は維持されました。
1099年「イェルサレム王国の成立」
1099年、イスラムからの聖地奪還を目指した第1回十字軍がイェルサレムを占拠し、多くのムスリムやユダヤ教徒の住民が虐殺されました。同年、十字軍はイェルサレム王国を設立し、ムスリムやユダヤ人をイェルサレムから追い出し、イェルサレムをキリスト教の街としました。
しかし、イェルサレム王国は、様々な諸侯の連合軍であった十字軍が作った国家であったため方向性が定まらず、常に不安定でした。後継者問題や諸侯同士の対立により弱まったイェルサレム王国は、1291年にエジプトのマムルーク朝によって滅ぼされました。
1896年「シオニズムの台頭」
イェルサレムは、13世紀にマムルーク朝、16世紀にはオスマン帝国の支配下に置かれ、イスラムの街として栄えます。19世紀に入り、オスマン帝国の力が弱まったころ、世界各地に散らばっていたユダヤ人の間で「パレスチナの地にふたたび祖国をつくろう」という運動(シオニズム運動)がおこりました。
1896年、ハンガリーのユダヤ人新聞記者ヘルツルが、「ユダヤ人国家」という本を出版し、「祖国をつくろうと」呼びかけたことをきっかけに、何十万人ものユダヤ人がパレスチナへ移住しました。中でもイェルサレムへの移住が最も多く、市街地が西へ拡大されました。
1918年「イギリスによる統治」
イェルサレムを含むパレスチナを支配下においていたオスマン帝国が第一次世界大戦で敗れると、パレスチナはイギリスの委任統治下になりました。イェルサレムは、イギリスの統治下において首都となり、近代化への道を進むと共に、ヘブライ大学が設立されました。
1948年「イスラエルの建国」
第二次世界大戦後、イギリスがパレスチナから手を引くと、1947年、国際連合は、パレスチナの56.6%ユダヤ人の土地、43.5%をアラブ人の土地とし、聖地エルサレムは国際管轄するという案をだしました。この決議案を受け入れたユダヤ人たちは、1948年にイスラエルを建国します。
一方、アラブ人たちはこれに反発したため、1949年に第一次中東戦争が勃発します。その後ユダヤ人対アラブ人の戦争が繰り返され、現在も、イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)やガザ地区のハマスのあいだでの争いは絶えません。イスラエルは、イェルサレムをイスラエルの首都であると宣言していますが、国際社会はそれを認めず、イェルサレムは国際管轄であり、首都はテルアビブとしています。
イェルサレムの関連作品
本・書籍
イェルサレム (世界の都市の物語)
とにかくイェルサレムについて知りたい方におすすめの一冊です。古代イスラエルか現在にいたるまでのイェルサレムの歴史が詳しく書かれています。
図説 地図とあらすじでわかる! 聖地エルサレム (青春新書)
エルサレムの歴史を分かりやすく説明してくれる一冊です。図や地図、年表が豊富で分かりやすいので初心者の方にもおすすめです。
Pen (ペン) 2012年 3/1号
ユダヤ教の聖地としてのイェルサレムの特集です。美しい写真の数々がイェルサレムの魅力を伝えてくれる一冊です。旅行の前に読むと知識が深まり旅行が楽しめるかもしれません。
イェルサレムに関するまとめ
イェルサレムについてご紹介しました。イェルサレムは、4000年以上の歴史を持つ最古の都市の一つです。小さな都市に、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教と3つの宗教の聖地があるという、世界でも類をみない特別な都市であり、それゆえ常に争いが絶えない街でもあります。
複雑な歴史を持つ美しい街、イェルサレムの魅力に一人でも多くの人が気づき、街の美しさだけでなく、イェルサレムが抱える問題にも興味を持っていただけると嬉しいです。