争いが起こった背景
親スペイン政策
母方がスペイン王家の血を引いていたメアリ1世は、結婚相手として従兄弟のカール5世の息子アストゥリアス公フェリペを選びました。後にフェリペはフェリペ2世としてスペイン国王に即位します。
フェリペ2世はメアリ1世の夫として、イングランドの共同統治者として任命され王位を与えられました。このことからイングランドはスペインに友好的な政策をとっていくようになりました。
エリザベス1世の即位
メアリ1世が死去し、女王として即位したエリザベス1世はメアリ1世の政策を翻していきます。宗教問題や親スペイン政策です。
エリザベス1世は即位後、メアリ1世がプロテスタントを排斥し、多くの処刑者を出した「異端排斥法」を撤廃します。さらにイングランド国教会を復活させた後も強い弾圧を行うことはありませんでした。
さらに親スペイン政策を翻したことで、スペインとの国交はなくなります。イングランドの財政難を補うため、イングランド出身の海賊たちがスペイン近郊で海賊行為を行うことを黙認していました。
植民地政策
イングランドはメアリ1世の治世に、大陸内唯一の領土カレーを失っています。このことからイングランドは孤立した島国しか自国領土がなく、植民地を欲していました。
エリザベス1世が即位し、国力増強路線に入ります。国力を増やすためには植民地の存在は必要不可欠です。こうしてイングランドの植民地政策は始まっていきました。
オランダ独立戦争
1568年、ネーデルラント(現在のオランダやベルギーを含む地域)はオーストリアのハプスブルク家が治めていました。しかしハプスブルク家がスペイン系と分離したことで、ネーデルラントはスペイン領地となったのです。
ネーデルラントでは商工業が盛んに行われていましたが、その利益はスペインに送られており、金銭的な反発に加えて宗教的な対立もありました。その中でフェリペ2世がカトリックへの信仰を強要したことで、ネーデルラント連邦共和国として、スペインからの独立を宣言します。
この独立を阻止するため、スペイン本国は軍隊を派遣。独立戦争指導者のオラニエ公ウィレムはネーデルラント連邦共和国を率いて戦いましたが、1584年にデルフトの地で暗殺されてしまいます。
戦争の指導者を失ったネーデルラント連邦共和国は、スペインと対立を深めていたイングランドに支援を要請します。それに応えたイングランドはスペイン近海での海賊行為を通してスペインの貿易活動を妨害しました。
フェリペ2世はこの行為に激昂し、イングランドも侵攻対象に定めました。そしてアルマダの海戦へと発展していったのです。
英仏海峡での戦いの経緯
前哨戦
1588年7月31日、イングランド艦隊は先回りし、スペイン艦隊の風上の位置に陣取りました。夜明けとともにスペイン艦隊を右翼から攻撃し、その後方向を変え左翼後方の位置取っていた艦隊を砲撃します。
もちろんスペイン艦隊も黙ってはいません。砲撃を返し応戦を繰り広げましたが、状況的に不利と判断し、一時撤退します。しかし撤退中に主艦が爆発事故にあり、その後別の艦隊も衝突事故で行動不能に陥ります。
イングランドは夜撤退していったスペイン艦隊を追撃し、スペイン海軍から漂流していたヴァルデス提督を捕らえ捕虜にしました。しかし途中スペイン艦隊を見失ってしまったことで、夜の追撃はそこまでとなりました。
翌日、改めてスペイン軍を追いかけ発見したイングランド軍は、スペイン艦隊に攻撃を仕掛けます。両者の激しい砲撃合戦が行われましたが、そこで決着はつきませんでした。
カレー沖海戦
スペイン海軍は増援を求め、カレー沖海に移動します。予定ではカレー沖海近隣のダンケルクにパルマ公の増援がいるはずだったのですが、疫病により進軍準備が遅れていたため、援軍の準備を待つためにスペイン海軍はカレー沖で待機することになりました。
しかしながらダンケルク近海は浅瀬が多く、大きな軍艦を進軍させることは難しい状況でした。それを狙ったイングランド海軍は機動性の高い船で攻撃を仕掛けてきました。
もちろんスペイン海軍は大きな混乱が起こります。そして、これによってスペイン海軍は散り散りとなり、敗走することとなったのです。
グラヴリンヌ沖海戦
総指揮官のメディナ=シドニア公は、グラヴリンヌで再起を図ろうと考え、艦隊の再編成をしていました。グラヴリンヌはイングランドに最も近いスペイン領と言われ、攻勢に出るには優位な土地でした。
しかしこれまでの戦いによって、イングランド側はスペイン海軍の戦力や戦い方を把握してしまっていました。そのためスペイン海軍の得意とする「接舷斬り込み」戦法が通用せず、イングランド海軍の機動性をうまく利用し撹乱しながら戦っていました。
スペイン軍艦の砲弾が尽きたところで、イングランド海軍に抵抗することはできませんでした。そしてスペイン無敵艦隊はこの戦いにより10隻以上もの艦隊が失われ、敗北したとされています。