この戦いでスペインの無敵艦隊は敗北!原因は?
スペインの無敵艦隊が敗北した要因として2つが挙げられます。まず1つが指揮官の存在です。
これまでスペイン海軍を指揮していたのはバザンという男でした。しかしアルマダの海戦前に突然急死し、彼の跡を継いだのがメディナ=シドニア公でした。
シドニア公は優秀な軍人ではありましたが、海軍の指揮経験はなく、手探り状態で指揮を執っていたのです。意外と苦戦を強いられるイングランド戦や、援軍として参加するはずだったパルマ公の不在など、多くの要因によって海軍の士気は低下していきます。
シドニア公は軍人としては優秀だったのかもしれませんが、海軍指揮官としてはまだ未熟だったということですね。
そして2つ目の要因がイングランド海軍とスペイン海軍の軍艦の差です。スペイン海軍の軍艦は、弾を発射するのに時間がかかり、かつ射程距離も短いというものでした。
それに対しイングランド海軍の軍艦は、素早く弾を発射できる大砲を利用していました。また機動性が良く、容易に移動可能なところも功を奏したのでしょう。イギリス海軍はスペイン無敵艦隊を翻弄しながら攻撃し、そして勝利したのです。
アルマダの海戦が与えた影響
アルマダの海戦の勝利により、イングランド国内は大いに喜びます。エリザベス1世の名を広く知らしめ、英仏海峡の覇権を手にしました。
イングランド無敵艦隊とも呼ばれますが、その威光は長くは続きません。アルマダの海戦があった翌年1589年、イングランドはポルトガル遠征に失敗し、多大な損害を出しています。
それに対してスペイン側も敗戦の結果から、海軍の改革に着手します。改革によりさらに強固となったスペイン海軍はスペイン近海や外洋航路では、優位な状態のままでした。
アルマダの海戦によりイングランドが得られた見返りは少なく、最終的にフェリペ2世およびエリザベス1世の2人が亡くなったのち、ロンドン条約という講和が締結され、両国の争いは終わりました。
アルマダの海戦における主要人物
フェリペ2世
スペイン黄金期の最盛期に君臨した王で、スペイン、ヨーロッパ人、アジア、中南米と広大な土地を支配しました。彼の治世はスペイン絶頂期にあり、「太陽の沈まない国」と形容されるほどでした。
神聖ローマ帝国皇帝カール5世とポルトガル王女のイザベラとの間に生まれた、生粋の王家の出身です。父の退位や叔父の皇位継承権を受け継ぎ、スペイン王として即位します。
積極的な対外政策により、広大な領土を手に入れました。しかしアルマダの海戦の敗北によってスペインの威光は衰退の兆しが現れ始め、1596年以降に流行したペストによって、スペインの時代は終わりを告げました。
メアリ1世
ヘンリー8世の長子で、イングランドとアイルランドの女王。ヘンリー8世が死去した後は異母弟のエドワード6世が即位しましたが、病気がちな王だったこともあり、15歳の若さで亡くなりました。
ヘンリー8世は亡くなる前に「エドワード6世の後継にはメアリ1世を」と遺言を残していました。しかしエドワード6世の側近で、実質の権力者でもあったノーサンバランド公ジョン・ダドリーによりかき消されてしまいました。
エドワード6世の後継として、ジェーン・グレイという父ヘンリー8世の妹の孫娘という遠縁の女性が女王に任命されました。しかしイングランド市民はこれに反発し、メアリ1世こそ真の後継者だと反乱を起こしたのです。
この反乱によりジェーン・グレイと先代王の側近ノーサンバランド公は捕らえられ、名実ともにメアリ1世がイングランドの女王となりました。彼女はイングランドの歴史で初めて市民からの支持を得て女王となったのです。
しかし彼女への支持も長くは続きません。彼女が行った政策や宗教改革は、市民や貴族たちからの強い反発と混乱を招きました。
プロテスタントを排斥し300人余りの人々を処刑したことからも「ブラッディ・メアリ(血まみれメアリ)」との異名で恐れられていました。さらには夫のフェリペ2世とともに参戦した第六次イタリア戦争に敗戦し、大陸における唯一のイングランドの領土「カレー」を失うという失態ぶりでした。
彼女は卵巣腫瘍により死を迎えます。そして彼女の命日は、約200年間にわたって圧政から解放された日として祝われたのです。
エリザベス1世
ヘンリー8世の次女で、母親はアン・ブーリン。メアリ1世の後継者として、イングランド女王となりました。
女王として、彼女がまず初めに行ったのが宗教改革です。先代メアリ1世はイギリス国教会からカトリックへ宗教改革を行いました。
しかしエリザベス1世は礼拝統一法を制定し、カトリックからイギリス国教会へ宗教を戻しました。これにより、イギリス国教会は国家の支柱として位置付けられることとなったのです。
さらにメアリ1世の夫であったフェリペ2世と敵対し、アルマダの海戦やフランス王アンリ4世を支援するなど、積極的な対外政策を行いました。もちろん国内の反乱分子に対しても容赦なく、女性も子ども関係なく虐殺したと記録に残っています。
エリザベス1世は誰とも婚姻関係を結ばず、生涯独身でした。そのことから「処女王」とも言われています。
アルマダの海戦に関するまとめ
アルマダの海戦について解説してきました。いかがでしたでしょうか。
アルマダの海戦はイングランド勢力とスペイン勢力の覇権争いではありますが、背景には複雑なイングランド王室の歴史が隠されています。また当時世界最大の勢力を誇っていたスペインに対し、イングランドが勝利するという番狂わせを起こした戦争の一つでもあります。
ぜひ本記事を読んで、アルマダの海戦についてさらに興味を持っていただけますと幸いです。最後までお読みいただきありがとうございました。