英雄ナポレオンとはどんな人?生涯・年表まとめ【性格、功績や逸話、死因も簡単に紹介】

ナポレオンの功績

功績1「皇帝にのし上がり、独裁政権を築く」

皇帝 ナポレオン

ナポレオンは1804年の5月に国民投票をもって、皇帝の座に君臨することになりました。その上、ナポレオンの子孫のみに皇帝の地位に就かせるという制度も取り決めたのです。

12月に戴冠式が行われ、名実ともにフランスの皇帝となったナポレオンは、血筋による皇帝即位ではなく、戦争の英雄が独裁的な国家統治者になったということで、世界各国に大きくその名を轟かせるようになったのです。

功績2「ナポレオン法典の整備」

ナポレオン法典

ナポレオン法典は1804年にナポレオンが編纂・完成させた法典で、別名「フランス民法法典」とも言います。それまでのローマ法やフランスの慣習などを踏襲して作られたもので、近代私法の三大原則である「権利能力平等の原則」、「私的所有権絶対の原則」、「私的自治の原則」の3つが盛り込まれました。

このナポレオン法典は世界各地の近代市民社会の法の規範となり、日本の旧民法(1890年に編纂・交付され、民法典論争により施行延期となった末、結局施行される事のなかった現行民法の手本)の参考にもなりました。

功績3「近代的軍隊・戦争の礎を作る 」

軍隊 イメージ

ナポレオンが戦争に長けていたことは改めて述べるまでもありませんが、当時としては画期的な「三兵戦術」や「国民軍の動員」を考案したのもナポレオンなのです。三兵戦術とは砲兵・騎兵・歩兵の三部隊に分けて、それらを連携させた戦法で、この戦い方がのちの戦争の規範となったのでした。

また、戦争で必需品となる「輜重:しちょう(兵糧・武装服・武器・火薬など)」と呼ばれる物資を重要視し、これらの充実を測ったことも戦争の勝率をあげた要因ではないかとも言われています。このようにナポレオンが戦争の礎を作った経緯はプロイセンの軍事学者クラウゼヴィッツの「戦争論」において詳述されることとなりました。

功績4「瓶詰や缶詰の基礎となる食料保存法の開発 」

瓶詰め

ナポレオンは戦争用物資「輜重」を重要視していたので、いかにして食料を長期間確保するかという方法を長年探り続けました。そして、食料の保存方法について公募で募集することも行ったのです。

その結果、ニコラ・アペールという食品加工業に務めていた人物が「瓶詰」という当時としては革新的な食料保存方法を開発し、ナポレオンに打診したのです。ナポレオンがこの方法を戦争の場で採用するようになったことをきっかけに、一般市民の生活にも便利だと認識されるようになったことから、保存食として瓶詰や缶詰が世の中に広まっていくことになりました。

功績5「とにかく戦争に強く、生涯の戦績は38戦35勝! 」

とにかく強かった

ナポレオンが戦争に強いことはほとんどの方が知っていることだと思いますが、ナポレオンの生涯の戦績を把握している人は少ないのではないでしょうか。

ナポレオンの生涯の戦績は38戦35勝で、勝率で換算すると、92%となっています。日本で戦争の強いイメージがある織田信長でさえ勝率は71%(90戦64勝)なので、改めてナポレオンの勝率の高さが伺えると思います。

織田信長

ナポレオンが戦争に強かった理由は「軍の質がよかったこと」、「フランスの国力が高かったこと」、「民衆の心を動かすのがうまかったこと」、「優秀な部下に恵まれたこと」、そして何よりも「軍隊を仕切るナポレオンの指揮統率能力が優れていたこと」などがあげられます。

ナポレオンの名言

予の辞書に不可能ということばはない。私には、やってできないことはひとつもない。
もし、自分自身の辞書があったとしたら、その中に不可能などという言葉は入っていないはずだ。

生きている兵卒の方が死んだ皇帝などよりもずっと価値がある。

兵士諸君、ピラミッドの頂から、四千年の歴史が諸君を見つめている。

じっくり考えろ。しかし、行動する時が来たなら、考えるのをやめて、進め。

ナポレオンにまつわる逸話

逸話1「卒業までに通常4年かかるパリ士官学校をわずか1年足らずで卒業」

世界遺産 旧陸軍士官学校エコール・ミリテール(パリ士官学校)

ナポレオンが勉学、特に数学に優れていたことは既に述べましたが、その能力の高さはパリ士官学校に通っていた時にも発揮されました。パリ士官学校は通常4年かけて全過程を習得していくのですが、ナポレオンはわずか1年足らず(約11ヶ月)で卒業試験を通ってしまったのです。

卒業試験での成績は上位ではなかったものの、短期間で卒業できたという点では他に類を見ず、ナポレオンが過程を修了した段階ではパリ士官学校開校以来の最短記録だったそうです。

逸話2「ベートーベンがナポレオンをイメージして曲を作成」

ナポレオンが戦争で活躍し、フランスの英雄として讃えられるようになると、その名前は世界的な音楽家であるベートーベンにまで知れ渡るようになります。そして、ベートーベンはそのナポレオンをイメージして、「英雄」という曲を作曲しました。

当初はナポレオンの直接の名前である「ボナパルト」という曲名にする予定でしたが、1804年にナポレオンが皇帝に即位し、政権を掌握すると、ナポレオンが皇帝に即位したという事実やナポレオンの政策にベートーベンが失望するところとなり、最終的な曲名は「英雄」に変更することになったのです。

曲名の変更に関しては、ナポレオンへの無礼にあたるとしてベートーベンが遠慮したという説や、ベートーベンがナポレオンに相手にされなかったために失望して名前を変えたという説なども挙げられています。

逸話3「ナポレオン軍が初めて缶詰フードを使用した

意外と知られていない話ですが、「缶詰」の原型はナポレオン軍が作り出したものです。遠征中の食糧補給の問題を解決するためのアイデアを募集した際に、瓶詰めをするというアイデアが出ました。しかし、瓶の場合「重い」「割れやすい」などの欠点があり、長い年月をかけ改良されつづけ、現在のような「缶詰」となったのです。

逸話4「猫恐怖症だった

ナポレオンという品種の猫(今は改名されてミヌエット)がいますが、ナポレオン自身は実は猫恐怖症・猫嫌いであったというエピソードも残されています。

軍隊時代に壁のタペストリーの裏にいた猫を剣で串刺しにしたなんていう逸話もあるのですから驚きです。(ただし一次史料ではない上に創作という説もあります)

ちなみに、ナポレオンという名前になったのは、「足が短く体高が低いこと」からです。ちょっと切ない気持ちになりますね。

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3 COMMENTS

京藤 一葉

> ナポレオンオナパルトさん
コメントありがとうございます!記事を執筆する励みになります。引き続き宜しくお願い致します。

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