論語を説いた孔子とはどんな人?生涯まとめ【名言から人柄、思想や弟子まで紹介】

孔子の簡単年表

紀元前552年 – 0歳
孔子が生まれた山東省の曲阜にある孔子廟

孔子は紀元前552年に中国の魯国に生まれました。孔子は没落した貴族の家の生まれで、農村部の家に住んでいたといいます。3歳のときに父をなくし、母と兄弟とともに魯国の首都である曲阜に移住しました。

紀元前525年 – 28歳
魯国で仕官し官僚となる
中国の官僚

孔子は成人後、生まれ育った魯国の官僚となりました。最初は倉庫を管理する仕事に、その後は牧場を管理する仕事についたといいます。その後、その才覚が認められ魯国内で出世をしていきます。

紀元前501年 – 51歳
魯国の最高裁判官となる
裁判官のイメージ

孔子が51歳のときに、大司寇(いわゆる最高裁判官のような仕事)の役職につきました。このときには多くの弟子たちを抱えた一大勢力となりました。孔子の思想を後世に残した弟子たちは、このときに孔子の教えを受けていました。

紀元前497年 – 55歳
13年間も放浪した

一時は官僚として高みに上り詰めた孔子でしたが、突如その職を辞して旅に出ます。孔子が職をやめた理由は諸説ありますが、国政に嫌気がさしたからとも言われています。そして、13年にわたって諸国を放浪します。

紀元前479年 – 74歳
孔子の弟子である董仲舒

孔子は74歳でその生涯を閉じ、魯国の曲阜の城北の泗水のほとりに葬られました。

しかし、孔子の思想は孔子の死によって失われることはなく、顔回らの弟子たちや、孔子の考えを発展させた孟子達によって広がりを見せていきました。

時期不明
論語の写本

孔子の死後、弟子たちは孔子の言行録を論語としてまとめました。論語の成立時期は不明ですが、現在の形式の論語は戦国時代に作られたと言われています。現代でも、論語は広く読みつがれていますね。

孔子の生涯年表

紀元前552年 – 0歳「魯国に生まれる」

山東省の曲阜の孔子府

没落貴族の家に生まれた孔子

孔子は紀元前552年に中国の魯国に生まれました。孔子は没落した貴族の家の生まれで、農村部の家に住んでいました。孔子が3歳のときに父をなくしたこともあり、母と兄弟とともに魯国の首都である曲阜に移住しました。

若くして両親を失う

父を早くに亡くした孔子でしたが、17歳のときには女手一つで子どもたちを育ててきた母も失ってしまいます。孤児となった孔子でしたが、その中でも勉学に励んで礼学について学んだといいます。

孔子には特別な師匠はいなかったと言われていますが、論語の中で「夫子はいずくにか学ばざらん。しかも何の常の師かあらん」という言葉のとおり、特定の師にがいたわけではないものの、誰からでも学んだと言われています。

紀元前525年 – 28歳「魯国で仕官し官僚となる」

中国の古代官僚

下級役人から出生をしてく孔子

孔子は生まれ育った魯国の官僚となりました。最初は倉庫を管理する委吏という仕事に、その後は牧場を管理する乗田という仕事についたといいます。その後、その才覚が認められ魯国内で出世をしていきます。

クーデターにより斉国へ亡命する

魯国の王は名ばかりの王であり、配下たちが実権を握っていました。王の儀式より配下たちの儀式のほうが華美であったことから孔子は憤慨していたといいます。

その後、魯国の王は実権を取り戻すためにクーデターを起こしましたがあえなく失敗します。そして、王は斉国に追放されていまいます。孔子も王に従い斉国へ亡命することになりました。

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