アレクサンドル・デュマ・ペールは、19世紀フランスで活躍した小説家です。2018年にリメイクドラマがヒットした『モンテ・クリスト伯』など多くの著作で知られる、フランスにおいて有数の作家として現在も知られる人物でもあります。
また、小説だけでなく戯曲や旅行記としても多くの作品を発表し、忙しい時では一日に12~14時間働いていたとすら言われた多忙な作家として有名となっています。
そしてその一方で波乱万丈な生涯を送り、栄光と転落の落差が非常に激しい生涯を送ったこともデュマの大きな特徴。ということで、この記事ではそんなアレクサンドル・デュマ・ペールの生涯やエピソードについて、簡単ではありますが紹介していきたいと思います。
※なお、この記事において“アレクサンドル・デュマ・ペール”のことは、通称である“大デュマ”表記で記載させていただきます。ご了承ください。
この記事を書いた人
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フリーライター、mizuumi(ミズウミ)。大学にて日本史や世界史を中心に、哲学史や法史など幅広い分野の歴史を4年間学ぶ。卒業後は図書館での勤務経験を経てフリーライターへ。独学期間も含めると歴史を学んだ期間は20年にも及ぶ。現在はシナリオライターとしても活動し、歴史を扱うゲームの監修などにも従事。
アレクサンドル・デュマ・ペールとはどんな人物か
名前 | アレクサンドル・デュマ・ペール |
---|---|
通称 | 大デュマ |
誕生日 | 1802年7月24日 |
没日 | 1870年12月5日(享年68歳) |
生地 | フランス共和国、ヴィレル・コトレ |
没地 | フランス共和国、ピュイ |
職業 | 作家 |
作風 | ロマン主義 |
配偶者 | トマ=アレクサンドル・ダヴィ ・ド・ラ・パイユトリー(父)、 マリー=ルイーズ =エリザベート・ラブーレ(母) |
子孫 | アレクサンドル・デュマ ・フィス(子)など |
墓所 | フランス、パリ、パンテオン |
アレクサンドル・デュマ・ペールの生涯をハイライト
アレクサンドル・デュマ・ペールは、ナポレオン・ボナパルトの配下である将校、トマ=アレクサンドル・デュマの子として生を受けました。しかし大デュマが生まれる少し前に、父であるトマとナポレオンは仲違いをしてしまい、彼はナポレオン配下の重役の子でありながら、貧しい生活を余儀なくされてしまいます。
そして父が亡くなると、大デュマは正規の学校ではなくグレゴワール神父の開いていた私塾で学ぶことになりました。そこでの教育水準はさほど高いものではなく、大デュマは自然に親しむ子供としての少年期を過ごしていたようです。また、友人と共に劇作家の道を志したのもこの頃だったと言われています。
その後、父の友人の伝手でオルレアン公の秘書課に就職した大デュマは、多くの女性に私生児を生ませるという行いを働きつつも、劇作家の夢へと邁進。紆余曲折がありつつも『アンリ三世とその宮廷』でブレイクを果たした大デュマは、瞬く間にスターダムにのし上がって社会現象を巻き起こす作家となりました。
そして劇作家としてのデビューの後、大デュマは連載小説家としてもトップを走る存在として、『三銃士』『モンテクリスト伯』など多くの作品を発表。これらも全て大当たりとなり、大デュマの名声はもはや留まることを知らないほどになっていきました。
しかし1848年のフランス革命によって劇場の封鎖が行われると、大デュマの収入は激減。更に破産宣告や新聞における連載小説の制限など、大デュマの活動の全てに逆風が吹く状況となり、彼は在りし日の名声が嘘のような貧困に叩き落されることになってしまいます。
そして、その貧困から抜け出すことができないまま、大デュマは脳卒中でこの世を去ることになりました。異常な多作と大ヒットを記録したにもかかわらず、彼の死亡時の資産は非常に少ないものだったと記録されています。
割とややこしい、アレクサンドル・デュマ・ペールの家族
アレクサンドル・デュマ・ペールは、彼自身の名声もさることながらその家族も有名です。「大デュマ」という異質な呼称で表記されることが多いのも、その家族の有名さに理由があります。
そのため、このトピックでは有名なデュマの親族である二人を紹介していきましょう。
トマ=アレクサンドル・デュマ
アレクサンドル・デュマ・ペールの父である、ナポレオン・ボナパルトの配下である将校です。
ナポレオン・ボナパルトと共に革命戦争を戦った人物でしたが、エジプトへの遠征を「ナポレオンの私欲のための戦争」と批判したことでナポレオンの怒りを買い、結果として軍を追い出されて厳しい暮らしを強いられることになってしまった人物でもあります。
陸軍将校として非常に恵まれた体格の持ち主だったことが記録されており、その息子である大デュマも、作家とは思えない恵まれた体格の人物だったことがわかっています。
アレクサンドル・デュマ・フィス
アレクサンドル・デュマ・ペールが21歳の時、アパートの隣人だった女性との間に設けた私生児です。通称では「小デュマ」と呼称され、父であるデュマ・ペールとは区別されています。
彼もまた父と同様に作家としての道を歩み、20歳の時に恋に落ち、すぐに死別することとなった恋人との思い出を描いた小説『椿姫』で文壇に名を刻みました。また、『椿姫』の戯曲版も大ヒットさせ、パリの演劇界に絶大な影響力を及ぼした人物ともなっています。
作風も父と同様にロマン主義の傾向が強く見られますが、一方で小さな世界を丹念かつしっとりと描く作風が特徴的であり、父である大デュマの作品とはまた違った読み味が特徴の作家として、確固たる評価を受けているようです。