ヒポクラテスは古代ギリシアの医師です。ヒポクラテス以前の医学は、迷信や呪術のようなもので構成されていましたが、ヒポクラテスは臨床と観察を重点的に行い、科学的に医療することを始めました。
ヒポクラテスは今までの医学の概念を一気に塗り替えたことで、大きく医学を進歩させ他人物なのです。
著作である「ヒポクラテス全集」の「ヒポクラテスの誓い」は現代まで語り継がれており、今なお現代医学に大きな影響、反響を及ぼしています。こういった偉大な経歴・功績のあるヒポクラテスですが、実は神殿に放火をしたという逸話もある、謎多き人物です。
この記事ではそんなヒポクラテスの生涯や功績、名言、謎多き逸話を解説していきます。ぜひとも参考にしてください。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
ヒポクラテスとはどんな人物か
名前 | ヒポクラテス |
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誕生日 | 紀元前460年頃 |
没日 | 紀元前370年頃 |
生地 | ギリシャのコス島 |
没地 | 江戸ギリシャのラリサ |
呼称 | 医学の父、疫学の祖 |
ヒポクラテスの生涯をハイライト
医学の父とも言われるヒポクラテス。はじめに彼の人生を簡単に説明してきます。
ヒポクラテスは紀元前460年ごろ、エーゲ海南東部にあるギリシャのコス島で生まれました。医者である父のヘラクレイデスと祖父から医学を学び、その後はコス島のアスクレピオス神殿で医術をより高めたと言われています。
医学を学んだヒポクラテスはその後ギリシア各地をめぐり歩き、医学を発展させたと言われていますが、詳しい生涯について詳しいことは分かっていません。数々の地を渡り歩きながら、最終的にはギリシャ中部の都市ラリサにて紀元前370年ごろ、90歳で亡くなったとされています。
その後のヒポクラテスが亡くなった後も、古代ギリシアの医学は、ヒポクラテスの考える医学を重視するヒポクラテス派と呼ばれる派閥ができ、医師のあり方を築いてきました。
そのままヒポクラテスの意思は受け継がれていき、ヒポクラテスの死から約100年後に「ヒポクラテス全集」ができました。この「ヒポクラテス全集」には有名な「ヒポクラテスの誓い」も含まれています
ヒポクラテスの考える医学とは
ヒポクラテスは古代ギリシアの時代でありながら、医学を科学的に考えて、生活習慣や環境によって病気はもたらされるという事を主張しました。
ヒポクラテス以前までの医学は、今とは大きく異なっています。病気というものは、今でいうウイルスや菌、生活の乱れなどで発生するものという考えはなく、呪術や魔術、神の力によって自然的に発生するものだと考えられていました。
簡単に言うと、悪い行いをしたら病気になる、病気になったら信仰が足りていなかった、というような風潮です。当時は神に対する信仰が非常に強かったため無理もありませんが、ヒポクラテスはその概念を打ちこわし、病気とは生活習慣や環境によるものだと主張をしました。
医師であることに厳格な性格だった
ヒポクラテスは医師であることに厳格で近寄りがたい性格だったと言われています。
古代ギリシャの医学はクニドス派とヒポクラテス派に別れていました。このヒポクラテスの性格からか、ヒポクラテス派の医師達も同じように厳格な職業意識を持っており、規律や訓練が非常に厳しかったそうです。
またヒポクラテス派は、医師たるもの身なりを整える、正直になる、冷静でいる、真面目になる、といったことを推奨するなど、今の医師たちにも少なからず影響を与えるような、医師としてのあり方を説いていました。