芥川龍之介の名言15選!発言に込められた意図や背景も解説

古典文学から題材を取り、「人間の本質」や「生きるとはどういうことか」という、様々な事柄の奥にある「本質」を作中世界に描き続けた芥川。

若き日の芥川龍之介

そんな彼の創作スタイルを表すように、彼の遺した言葉の数々も、人の本質を鋭く抉り出すような痛烈かつ痛快なものがほとんどです。

この記事では、そんな痛烈な芥川の言葉の中から「現在の我々にとっても心にとどめておくべき言葉」にテーマを限定して紹介していきたいと思います。

この記事を書いた人

Webライター

ミズウミ

フリーライター、mizuumi(ミズウミ)。大学にて日本史や世界史を中心に、哲学史や法史など幅広い分野の歴史を4年間学ぶ。卒業後は図書館での勤務経験を経てフリーライターへ。独学期間も含めると歴史を学んだ期間は20年にも及ぶ。現在はシナリオライターとしても活動し、歴史を扱うゲームの監修などにも従事。

「人生」を語る名言

阿呆はいつも、彼以外のものを阿呆であると信じている。

阿呆はいつも、彼以外のものを阿呆であると信じている。

最近のテレビ番組やSNSなどを見てみると、どうにも「他者批判」に対する考えの浅さが目立つような気がします。

「自分と意見が違うから」と叩き、「悪いことをした奴だから」と無関係な人間が集まって一人の人間を叩く。その画面の向こうに”見知らぬ他人”がいることなど理解していないように振る舞い、あろうことか「自分のストレス解消のため」に心無いコメントをぶつける始末。

人間である以上、「自分以下の存在を見て安心したい」と思うのも当然ではあります。

しかし、だからといって無根拠に「自分が正しい!」を喧伝するのも困りもの。誰かを「阿呆」と批判したくなった時は、ひとまず落ち着いてこの言葉を思い出してみてはいかがでしょうか。

愚を笑う人は、つまるところ、人生に対する路傍の人に過ぎない。

人間は時として、満たされるか満たされないかわからない欲望のために一生を捧げてしまう。 その愚を笑う人は、つまるところ、人生に対する路傍(ろぼう)の人に過ぎない。

満たされるか満たされないかわからない欲望――つまりは夢を追う人は、時として愚かに見えることもあります。「夢を諦めて就職する」なんてことは、実際生きていれば珍しい事でもなんでもありませんし、それもまた一つの人生として尊重されるべき選択です。

しかし同時に、夢を追う人を「愚か者だ」と笑うことも、誰にもできません。傍から見て愚かな選択に見えようとも、それもまた尊重されるべき人生の選択なのです。

この名言には、そんな「夢追い人」を励ますような、文学的かつ温かな思いが込められています。自分は果たして「誰かの人生に対する路傍の人」となってはいないか。少し考えたくなる名言だと思いませんか?

創痍を恐れずに闘はなければならぬ。

人生の競技場に踏みとどまりたいと思ふものは、創痍(そうい)を恐れずに闘はなければならぬ。※創痍:切り傷。突き傷。

いわゆる「生き残りたいのなら戦え」という意味の名言です。

現在では『進撃の巨人』などの作品で語られるタイプの名言ですが、芥川は当時においてもそんな価値観を有していたようです。

元々、偉人や軍などの「偉そうな人物」を嫌っていた芥川らしい、実力主義というか個人主義というか、ともかく”芥川らしい”名言だと言えるでしょう。

人生は地獄よりも地獄的である。

人生は地獄よりも地獄的である。

これもまた、どうにもネガティブな芥川らしい名言だと言えるでしょう。筆者はこの言葉を見たときに、まず真っ先に伊藤計劃の『虐殺器官』を思い出しました。

芥川のこの言葉を考えるには、この記事で長々と筆者のコメントを読むよりも、彼自身の著作である『地獄変』を読むのがもっとも手っ取り早いかと思われます。

「焼け死ぬ女」の絵を描くために、非情な絵師・良秀がとる手段とは何か。読み終えた後にこの言葉を思い出すと、「芥川龍之介は、はたしてどんな人生観を描いていたのか」という思いを考えざるを得なくなります。

自由は山巓の空気に似ている。どちらも弱い者にはたえることはできない。

自由は山巓の空気に似ている。どちらも弱い者にはたえることはできない。

人生を語るには、まず間違いなく考えねばならない「自由」という事柄。芥川はこれを「弱い者には耐えられないもの」と解釈していたようです。

軍が強権を振りかざしていた芥川の時代には、現在の我々が言う「自由」が無かったことは明白です。しかし、ならば現在の我々の生き方は、本当に自由なのでしょうか?

芥川らしい文学センスを発揮しながら、言葉を投げかけられた我々に深く思考することを求める、とても芥川らしい名言であるように思えます。

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