北里柴三郎の生涯・年表まとめ【功績や子孫、名言や野口英世との関係まで】

北里柴三郎は細菌学の研究者で、破傷風菌の純粋培養やペスト菌の発見に貢献した人物です。現在の予防接種につながる血清療法を確立するなど、医療現場にも功績を残している日本を代表する医学者の1人なのです。

2024年に予定されている新千円札の肖像画に選ばれるなど、話題の人物でもありますが、実は子沢山であるという、あまり知られていないエピソードもあります。

北里柴三郎

多くの医学者や研究者が誕生している中で、現代のお札にも採用されるなど、北里柴三郎はなぜここまで有名なのでしょうか。彼の生涯で成し遂げた功績や生き様が人を惹きつけるという点も大きいですが、要因はそれだけではありません。

実は筆者は、新千円札が発表された時に夏目漱石と野口英世の千円札を手元に保存しており、三代連続の千円札を並べることを夢見ているほど北里柴三郎の魅力に夢中です。そんな私が北里柴三郎に関する文献を漁った結果知り得た知識を元に、彼の生涯、名言、子孫の現在などをご紹介していきたいと思います。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

北里柴三郎とはどんな人物か

名前北里柴三郎
誕生日1853年1月29日
没日1931年6月13日
生地肥後国阿蘇郡小国町北里村
(現・熊本県阿蘇郡小国町)
没地東京都東京市麻布区
配偶者松尾乕
(まつお とら 1883-)
埋葬場所東京都港区南青山
青山霊園

北里柴三郎の生涯をハイライト

若い頃の北里柴三郎

北里柴三郎は現在の熊本県で庄屋の息子として誕生しました。幼い頃は各地を転々としながら勉学に励むこととなり、漢学、儒学、医学など幅広い分野の学問を身につけていきます。16歳で熊本医学校に入ると、そこで恩師に出会い、医学の道を目指すようになりました。

熊本医学校を出た後は現在の東京大学医学部である東京医学校に進学し、医学を極めていきます。30歳にして学校を卒業すると、松尾家の娘である乕と結婚し、6人の子供をもうけました。

2年後の32歳の時にはドイツへの留学を言い渡され、ベルリン大学にて細菌学の第一人者であるロベルトコッホに師事することとなりました。そして研究に没頭すること4年間の時を経て、破傷風菌の純粋培養に世界で初めて成功します。

翌年には破傷風菌の抗毒素を発見し、血清療法を確立します。この方法をジフテリアに応用し、発表した論文が1901年にノーベル賞の候補に挙がりました。1891年に日本へ帰ってきた後は福沢諭吉とともに伝染病研究所を創設し、再び研究に励みます。

1914年には北里研究所を創設、1917年には慶応大学医学部を創設し、初代医学部長となります。この6年後の1923年には日本医師会を立ち上げ、初代会長となります。

78年の人生を医学の発展のために費やしてきましたが、1931年の6月に脳溢血にてこの世を去ることになったのでした。

北里柴三郎の家族構成や子孫の現在は?

妻の乕(とら)

北里柴三郎は熊本県の庄屋を営んでいた北里氏の末裔です。父は庄屋を継いで切り盛りをしていました。母は豊後森藩士の娘です。この2人の間に生まれたのが柴三郎で、9人兄弟の長男でした。

柴三郎自身も子だくさんで6人の子供がおり、以下の経歴でした。

  • 長男・俊太郎:法学士
  • 次男・善次郎:理学博士(東京大学理学部)
  • 三男・良四郎:工学士
  • 長女・安子:法学博士の妻
  • 次女・美代:大使館書記官の妻
  • 三女・寿恵子:医師の妻

現在も活躍している子孫は明治製菓の最高顧問である北里一郎、熊本県議会議長を務めたこともある北里達之助、北里大学医療衛生学部長の北里英郎がいます。

北里柴三郎と野口英世の関係は?

野口英世

2024年には新旧千円札の肖像となる確率の高い2人ですが、伝染病研究所で一緒に仕事をしていた時期があります。1891年に北里柴三郎が設立した伝染病研究所に、7年後の1898年、野口英世が加わります。

この当時、野口英世は研究には携わっていませんでしたが、外国語の能力を認められ、論文の和訳、外国人の対話相手役などを担当していました。その一年後、英世はロックフェラー研究所のフレクスナー博士の通訳兼日本の案内を任され、それがきっかけで渡米することになります。。

北里が育てた研究員は多く、赤痢菌を発見した志賀潔なども北里の弟子として研究に勤しんでいました。

北里柴三郎の研究成果は?

らい病の症状

北里柴三郎の二大研究成果と言えば、「破傷風菌の純粋培養」、「ペスト菌の発見」ですが、彼の功績はそれだけに留まりません。などの幅広い研究実績を有しています。

妊娠を鑑別する新法肝臓ジストマの発生する理由鳥コレラ菌の発見赤痢菌探究結核のツベルクリン療法に就てらい病に関する研究インフルエンザ菌結核予防の急務日本のコレラ

特にらい病(ハンセン病)に関しては関係が深く、ハンセン病学会に出席し、当のハンセン氏と集合写真の隣に位置するほど重要人物として取り上げられています。伝染病研究所を開設してすぐにらい病の研究に取り掛かっており、3年間の間に180名を治療しました。

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