【童話作家】アンデルセンとはどんな人?生涯、作風、性格、功績まとめ

ハンス・クリスチャン・アンデルセンは、19世紀のデンマークの童話作家です。『アンデルセン童話』という童話の中でも代表的な作品群に名前が残されていることもあり、「アンデルセン」の名前を目にしたことがある方は多いのではないでしょうか?

彼は『人魚姫』『みにくいアヒルの子』『マッチ売りの少女』など、数々の童話文学史に遺る名作を、生涯で約170作も産み出した多作さで知られるほか、その作品のほぼすべてが完全オリジナルという、非常に想像力に優れた人物でもありました。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン

しかし現在でこそ「文学史上に残る偉人」として語られるアンデルセンですが、彼自身の生涯は挫折の苦悩に満ちたものでもありました。問題だらけの貧しい家庭に生まれ、成長してからも夢や恋に破れ続けたアンデルセンの人生。童話作家というある種ファンシーな職業からすると意外なほどに、アンデルセンの生涯には多くの暗いエピソードが残っています。

ということでこの記事では、『アンデルセン童話』の作者であり、中々重い生涯を送った作家「ハンス・クリスチャン・アンデルセン」についてを深掘りしつつ紹介していきたいと思います。

この記事を書いた人

Webライター

ミズウミ

フリーライター、mizuumi(ミズウミ)。大学にて日本史や世界史を中心に、哲学史や法史など幅広い分野の歴史を4年間学ぶ。卒業後は図書館での勤務経験を経てフリーライターへ。独学期間も含めると歴史を学んだ期間は20年にも及ぶ。現在はシナリオライターとしても活動し、歴史を扱うゲームの監修などにも従事。

ハンス・クリスチャン・アンデルセンとはどんな人物か

名前ハンス・クリスチャン・アンデルセン
誕生日1805年4月2日
没日1875年8月4日(享年70)
生地デンマーク=ノルウェー・オーデンセ
没地デンマーク・コペンハーゲン
配偶者なし
埋葬場所デンマーク・コペンハーゲン
アシステンス教会墓地
代表作『人魚姫』
『みにくいアヒルの子』
『マッチ売りの少女』など

ハンス・クリスチャン・アンデルセンの生涯をハイライト

挫折多き生涯を送ったハンス・クリスチャン・アンデルセン

ハンス・クリスチャン・アンデルセンは、1805年のデンマーク=ノルウェーの都市、オーデンセに生まれました。父は最下層の靴職人、母は洗濯婦という非常に貧しい家庭でしたが、合理的な考えの父と働き者の母からの愛を受け、アンデルセンは貧しい中でも天才児として成長していくことになります。

貧しさゆえの物資の欠乏や、虚言癖のある祖母からの影響を受けて、想像力の豊かな少年として育ったアンデルセンは、父の死と母の再婚に伴ってコペンハーゲンに上京。そこで彼はオペラ歌手や劇作家を目指すも挫折し、冷遇される時代を過ごしました。「天才児」として抱いていた自信は、ここで完全に折れてしまったと言えるでしょう。

夢破れた彼は、わずかな理解者の一人であったヨナス・コリンの援助で学校に通って学ぶことになりますが、そこでも学長に冷遇されてしまい、最終的には大学を辞めて旅に出ることに。そこで彼は旅の経験をもとにした紀行文学や多くの詩作を行い、1835年の『即興詩人』がようやく話題になったことで、文壇に名乗りを上げることになりました。そして『即興詩人』のヒットと同年には『童話集』も出版しますが、これについてはむしろ、出版当時は不評だったと言われています。

しかしアンデルセンはその後も、話題を得た詩ではなく、むしろ童話の方の執筆を続けました。晩年に至るまで執筆を続けた作品の総数は170にも及ぶとされており、現在も『人魚姫』や『マッチ売りの少女』、あるいは『アナと雪の女王』の原作となった『雪の女王』など、多くの作品が読み継がれています。

そして1875年、アンデルセンはコペンハーゲンにてこの世を去りました。死因は肝臓がんであり、晩年には大人気作家となっていた彼の葬儀には、当時のデンマーク王太子から浮浪者まで、あらゆる世代の人々が参列したと伝わっています。

ハンス・クリスチャン・アンデルセンの性格

悲観的な人生哲学をもっていた

アンデルセンの性格は、漫画やゲームのキャラクターと言われても納得できるほど非常に”濃い”ものでした。

「天才児」と持てはやされてところから挫折に次ぐ挫折を味わったことで、「貧困層は死ぬことでしか幸せになれない」という尖った哲学を持った悲観的な人物であり、その観察眼の鋭さからくる毒舌で、周囲からは遠巻きにされる人物。しかしその一方で、旅の中で得た友人は非常に多く、友人たちの事をむげにはしない義理堅い人物でもあったと言われています。

また、非常に心配性な人物だったということも知られており、就寝する際は、間違って埋葬されないように枕もとに「死んでいません」というメモ紙を残したり、非常時に脱出できるようにロープを常備していたりと、病的ともとれる心配性なエピソードも残っています。

さらに”恋愛下手”としても知られ、彼は恋多き生涯を送りましたが、結局どの恋も成就することはなく、彼は生涯を独身で過ごすことになっています。この”恋愛下手”な部分は、アンデルセンが自分の容姿にコンプレックスを抱いていたことや、ラブレター代わりに自叙伝を送るという悪癖があったことなどが影響していると目されているようです。

ハンス・クリスチャン・アンデルセンの作風

『マッチ売りの少女』に代表されるように、悲劇的な作風が特徴だが…

アンデルセンの作風は、一言で言って「嘆きと悲劇」。自身の生まれや挫折の経験を経て「貧民は死ぬことでしか幸せになれない」という哲学を得たアンデルセンは、童話という形式で自身の哲学を記し続けました。

そのため、アンデルセンの作品は『マッチ売りの少女』や『人魚姫』のように、”主人公が死を迎える”という童話らしからぬ作品が非常に多く、その点もまた彼の作品の独自性を引き立てています。しかしそれらの悲観的な色は、発表当時にはバッシングの的にもなったようで、彼の童話が発表当初は評価されなかったのは、そういう彼自身の作風の影響でもあったようです。

とはいえ、多くの友人や社会的な評価を得るごとに、アンデルセンの人生哲学は次第に軟化。そのことを示すように、彼の晩年の作品には「まさに童話」と呼べるようなハッピーエンドを迎える作品も散見されています。

一作を読むだけでも楽しめるアンデルセン童話ですが、出版順に読むことで彼の人生哲学の変化を見て取ることができるのも、創作童話である『アンデルセン童話』の特徴です。彼の人生の変化が知りたい方は、伝記を読むよりも先に『アンデルセン童話』を出版順に呼んでみることをお勧めいたします。

ハンス・クリスチャン・アンデルセンの功績

功績1「完全オリジナルの創作童話を数多く遺す」

完全に創作である作品を数多く遺したアンデルセン

一般的に”童話”と言えば、『アンデルセン童話』のみならず『イソップ童話』や『グリム童話』も有名です。しかしアンデルセン童話とイソップ、グリム童話には、一つの明確な違いが存在しています。

実はイソップ童話とグリム童話は、様々な地域の民間伝承などを童話としてリメイクして纏めた部分が非常に大きい、言ってしまえば「説話集」のような物語群になっています。

一方でアンデルセン童話は、そういった民間伝承のリテイクではなく、アンデルセンが自分の経験やアイディアを用いて描いた、正しい意味での「創作」です。つまりアンデルセンは自分の経験から成る創作の物語を、生涯にわたって産み出し続けたということになります。

文章だけでなく、なんらかの”作品”を創作した経験のある方からすると、創作に伴う「産みの苦しみ」も理解できようもの。生涯にわたってそんな苦しみと向き合い続けたアンデルセンは、やはり優れた作家であったと言えそうです。

功績2「児童文学のノーベル賞「国際アンデルセン賞」」

アンデルセンの名を冠する「国際アンデルセン賞」のメダルには、
アンデルセンの横顔が刻まれている

アンデルセンの「業績」を示すために最も手っ取り早いのは、やはり「国際アンデルセン賞」の存在でしょう。2年に一度、「児童文学への永続的な寄与」に対する表彰として開催されるこの賞は、「小さなノーベル賞」と評されるほど絶大な影響力を誇っています。

日本からは『やぎさんゆうびん』や『ぞうさん』で知られるまど・みちお氏や、『守り人シリーズ』の上橋菜穂子氏、『魔女の宅急便』の角野栄子氏が作家賞を受賞している他、赤羽末吉氏と安野光雅氏が画家賞を受賞しています。

アンデルセン自身が賞の設立に尽力したわけではありませんが、国際的に最も高名な児童文学賞に名を冠する辺り、アンデルセンが非常に大きな業績を残したことが読み取れるかと思います。

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1 COMMENT

匿名

面白く読ませていただきました。是非アンデルセンの詳しいエピソード読んでみたいです!

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