「イェルサレムってどこにあるの?」
「イェルサレムって、何かの聖地なの?」
「イェルサレムって、いつも戦争をしてる気がするんだけど…」
この記事にたどり着いた方はこのようにお考えではないでしょうか。イェルサレムは、中東レバントに位置するイスラエル国にある都市で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとっての聖地でもあります。
3つの宗教の聖地であること、多様な民族構成、イスラエルの建国など様々な要因が重なり、常に争いが絶えない地域であるため、たびたびニュースでも話題になるなど世界情勢を知るうえでとても大切な都市です。また、様々な史跡があり、それぞれの宗教の信徒が祈りを捧げる美しい街ですので、観光都市としても人気で、世界中から多くの人が訪れます。
そんなイェルサレムの魅力にはまった著者が、イェルサレムについて、街の歴史や有名な史跡、イェルサレムが抱える問題などを詳しく解説していきます。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
イェルサレムとはどんな都市?
国 | イスラエル |
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言語 | ヘブライ語、アラビア語、英語 |
宗教 | ユダヤ教、キリスト教、イスラム教 |
人口 | 933,200人 |
イェルサレムは、世界最古の都市の一つで、現在はユダヤ教・キリスト教・イスラム教の共通の聖地とです。主な産業は、観光客や巡礼客相手の観光産業で、首都テルアビブまで高速道路で一時間の距離となっています。
イェルサレムは、ユダヤ人が住む西エルサレム、アラブ人が住む東エルサレム、その境にある旧市街の3つの地域から成り立っています。
旧市街は、ユダヤ教・イスラム教・キリスト教の聖地であり、嘆きの壁や聖墳墓教会、岩のドームなど宗教ごとの施設があります。旧市街は城壁に囲まれており、北東はムスリム地区、北西はキリスト教徒地区、南西はアルメニア正教徒地区、南東はユダヤ人地区、と東西南北に宗派ごとで四分割されています。
西イェルサレムは、「新市街」と呼ばれる近代的な地区です。旧市街のヤッフォ門から伸びるヤッフォ通りがメインストリートで、市庁舎や市場、中央バスターミナルがあり、途中のシオン広場から延びるベン・イェフダ通りは繁華街となっています。メーアー・シェアーリームはユダヤ教超正統派の町として有名です。
東イェルサレムは、第一次中東戦争でヨルダンの支配下に置かれ、第三次中東戦争でイスラエルに占領されました。東イェルサレムには主にアラブ人が居住していていて、パレスチナ自治政府は、東イェルサレムを首都だと主張していますが、実際はイスラエルが実行支配をしています。
イェルサレムができた経緯を要約すると?
- 紀元前1000年頃、古代イスラエル王国のダビデ王がイェルサレムを聖都とする
- 紀元前960年頃、ソロモン王がイェルサレムに神殿(第一神殿)を建てる
- 紀元前582年頃、ユダ王国がバビロニアに征服され、イェルサレム神殿が破壊される
- 紀元前538年頃、多数のユダヤ人がバビロンから帰還し、神殿を再建する
- 紀元前63年、 ローマ軍司令官ポンペイがエルサレムを占領し、ローマ帝国の支配下になる
- 紀元前63年頃、ヘロデ王がイェルサレム神殿(第二神殿)を改築する
- 30年頃、キリストが処刑され、復活を遂げる
- 77年、ユダヤの反乱が置き、イェルサレムと第二神殿が破壊される
- 638年、イスラムの支配下になり、イスラムの第3の聖地となる
イェルサレムの宗教は?なぜ3つの宗教の聖地なの?
イェルサレムは、「ユダヤ、キリスト教、イスラム教」3つの宗教の聖地とされています。なぜこれら3つの宗教の聖地となったのかというと、時代を変えてそれぞれの宗教にとっての大切な出来事が起きたのがイェルサレムだったからです。
ユダヤ教にとって、イェルサレムは古代イスラエル・ユダ王国の首都であり、信仰の中心であったイェルサレム神殿があった場所でもあります。今も残る「嘆きの壁」は70年にローマ帝国がイェルサレム神殿を破壊した際に残った神殿の一部であり、ユダヤ教徒にとっては大切な聖地となっています。
キリスト教にとってイェルサレムは、イエス・キリストが十字架にはりつけられ処刑された場所であり、埋葬され、復活した場所です。現在聖墳墓教会が建っている場所が、これらの出来事があった場所であるとされ、キリスト教の聖地とされています。
イスラム教にとっては、イェルサレムは預言者ムハンマドが昇天し、神の御前に至った旅をした場所とされており、その場所には現在岩のドームが建っています。岩のドームが建つ丘の上には、アル・アクサー・モスクが建てられ、聖なる場所とされています。
イェルサレムが現在抱えている問題とは
現在イェルサレムは、「宗教対立、民族対立そして首都問題」を抱えており、その発端はイスラエルの建国にあります。16世紀以降イェルサレムを支配していたオスマン帝国の力が弱まり、第一次世界大戦後に、イギリスがパレスチナ地方を領地としたことがアラブ人とユダヤ人の対立を生み、両方が主権を主張して争い始めました。
第二次世界大戦後、イギリスがパレスチナから手をひくと国際連合は、アラブ人とユダヤ人でパレスチナ地方を分割し、聖地エルサレムは国際管轄するという案をだします。この案を受け入れたユダヤ人たちは、1948年にイスラエルの建国を宣言しますが、アラブ人たちは国連案に反発し、イスラエル対アラブ国家の戦争「中東戦争」がはじまりました。
繰り返す中東戦争の結果、イスラエルはヨルダン川西岸やガザ地区から撤退しましたが、東エルサレムの実効支配は続けています。現在も、イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)やガザ地区のハマスのあいだで、戦闘と和平をくりかえしています。
イスラエルは、イェルサレムをイスラエルの首都であると宣言していますが、国際社会はそれを認めず首都はテルアビブとし、各国の大使館はテルアビブにあります。しかし2018年、アメリカのトランプ大統領がアメリカ大使館をテルアビブからイェルサレムに移転したことで、この首都問題が再び問題となりました。