アルマダの海戦とは?原因や経緯、勝敗、その後の影響まで解説

「アルマダの海戦ってなに?」
「アルマダの海戦はどんな戦争で、どこが勝ったの?」

英仏海峡で行われたアルマダの海戦。当時、世界で最も勢力の強かったスペインを相手に、イングランドが戦い、そして勝利した戦争です。誰もがイングランドが勝利するなど考えてもおらず、「スペインの無敵艦隊が敗北した」と大きな騒ぎとなりました。

本記事ではアルマダの海戦について概要を簡単に紹介した後、アルマダの海戦の経緯や主要な人物たちについて解説していきます。ぜひ最後までお読みください。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

アルマダの海戦とは?簡単に概要を解説

アルマダの海戦

アルマダの海戦とは英仏海峡で行われた海戦の総称です。この海戦によってスペインの無敵とも称された無敵艦隊は敗北し、イングランドが英仏海峡の覇権を制しました。

当時のスペインとイングランドの間では宗教問題があったことや、入植地・スペイン船からの海賊行為が目立ったことで、スペイン側がイングランドへの侵攻を決意したとされています。

そして1588年、スペインのメディナ・シドニアが率いるスペインの無敵艦隊がスペイン領土を出発し、無敵艦隊とイングランド海軍は英仏海峡でぶつかることになったのです。しかしイングランドの奇策と嵐などの悪条件によって、スペインは大敗を喫し、出発時130隻もあったスペイン船は、約半分の67隻しか本国に帰還できませんでした。

アルマダの海戦が起きた原因は?

アルマダの海戦の原因はなに?

アルマダの海戦が起きた原因は2つあります。それが以下の2つです。

  • 宗教の対立
  • 海賊を支援
    それぞれ見ていきましょう。

宗教の対立

信仰の違いが争いの原因に

当時イングランドの女王であったメアリ1世は、敬虔なカトリック教徒の一人でした。父王ヘンリー8世は宗教改革によって、カトリックからイギリス国教会という教皇権と分離した派閥を作り、イングランドの国教をこれに定めました。

しかしメアリ1世はこれを覆し、国教をカトリックに戻しました。先代のエドワード6世はイングランドの国教をプロテスタントへと考え動いていたため、イングランドの国教は「カトリック→イギリス国教会→(プロテスタント)→カトリック」と変遷し、人々に大きな混乱を招きました。

ヘンリー8世

またメアリ1世はカトリックに戻した際に、イギリス国教会とプロテスタント教徒を厳しく取り締まり、約300人もの人々を処刑しています。このことから一部では「ブラッディー・メアリ(血まみれメアリ)」とも呼ばれていたのです。

メアリ1世が死去後、即位した異母妹エリザベス1世は、メアリ1世の改革や施策を覆し、イングランドの国教をイギリス国教会に戻しました。以降イングランドは宗教を変えることなく、イギリス国教会の強化に努めます。

しかしこの宗教改革によって、カトリックであるローマ教皇からエリザベス1世は破門。カトリック教徒圏の国々を敵にまわすことになったのです。

海賊を支援

イングランドの海賊フランシス・ドレーク

メアリ1世の時代、イングランドはカトリックとして近隣諸国と関係を築いていました。特にスペインのフェリペ2世との仲は深く、親スペイン政策を取っていたほどです。

しかしエリザベス1世はこれを不快に思い、即位後スペインとの国交を拒絶します。さらにスペイン近海で海賊行為をしていたイングランド出身の海賊たちを称賛、海賊行為を黙認したのです。

金品を強奪する海賊の様子

海賊たちは植民地からスペイン本国に帰還する船の積荷を強奪したり、スペインの貿易商を狙ったりと、好き放題やっていました。もちろんスペイン側としては、こんなことをされてはたまったものではありません。

宗教上の問題やこの海賊行為に反感を強めたスペインは、イングランドを征服・侵攻する手はずを整え、そして英仏海峡へ出立していったのでした。

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