柳田国男はどんな人?民俗学での功績や名言も紹介【年表付】

1910年 ‐ 35歳「『遠野物語』出版」

『遠野物語』初版

民俗学を成立させるための下準備の日々

1910年、35歳のときに『遠野物語』が出版されました。その前年には遠野地方を訪れ、実際の農村の風景を目にしたうえでの出版です。『遠野物語』は芥川龍之介など後の文学者に大きな影響を与えました。

また、この年には「郷土会」という研究会を発足し、雑誌『郷土研究』を刊行しています。この「郷土会」、拠点となったのは旧5000円札の肖像としてお馴染み、新渡戸稲造の自宅です。新渡戸はドイツ留学の経験から、都市化の波に揺れる農村が自立するためには「郷土保護」という視点が大切と考えていて、柳田もその考えに共鳴していました。

南方熊楠との交流が始まる

南方熊楠

1910年には、同じく「知の巨人」として名高い南方熊楠との交流が始まりました。熊楠の論文を読んで柳田が手紙を送ったことから始まったのですが、この文通は熊楠に大きな影響を与えました。柳田は熊楠より8つ年上で、官僚でもあったことから熊楠の神社合祀反対運動をさまざまな形で援助しました。

この4年後に柳田は和歌山に住む熊楠のもとを訪れています。熊楠はこの対面にとても緊張したようで、お酒を飲みすぎて泥酔した状態で柳田を迎えたそうです。2人のやりとりは方向性の違いから徐々に少なくなっていくのですが、それでも柳田は熊楠を「日本人の可能性の極限」としてたたえていました。

1914年 ‐ 39歳「仕事と調査の充実した日々」

調査旅行で国内各地を訪れる

1914年、柳田国男は貴族院の書記官長になりました。官僚として講演をするために全国を飛び回りながら、並行して民俗学的な調査を行っていたようです。

1919年、42歳で書記官長を辞任すると翌年に朝日新聞社の客員となり、さらに旺盛に調査旅行に出るようになりました。1921年には国際連盟の委任統治委員になり、アメリカやヨーロッパも訪れています。けれども1923年、関東大震災が起こったのを機に委員を辞任しました。

1923年 ‐ 48歳「調査結果を続々と発表」

柳田が発刊した民俗学誌の1つ『島』

民俗学を広めるための活動

国際連盟の委員を辞めた後、柳田は自宅で民俗学の談話会を開くようになりました。この頃から著作が一気に増え、また民俗学の講演活動も活発になってきます。

新渡戸稲造の家で行われていた「郷土会」の雑誌『郷土研究』は1917年には休刊になっていましたが、1925年に『民族』、1933年に『島』という民俗学誌を刊行しています。

「全国山村調査」の開始

喜多見付近を散歩中の1枚

1934年から1936年にかけて、柳田は「全国山村調査」を行いました。全国50か所以上の村々に調査員を派遣して大規模に行ったもので、すべての調査員は100個の質問が印刷された「採集手帳」を持って山村に訪れ、20日間滞在するなかでそれらの項目について調査しました。

質問が印刷されていることでまったく同じ質問をすることができ、その答えを比較して地域差を明らかにし、その地域が抱えている問題の歴史を紐解こうとしたこの調査は、現在の文化人類学や民俗学で行われるフィールドワークのはしりともいえます。

1947年 ‐ 72歳「教育に重きを置き始める」

成城大学

民俗学を学ぶ後進の育成をはじめる

民俗学をさらに発展させるには、一個人として研究しているだけでは物足りなくなった柳田は、1947年に自宅を「民俗学研究所」としました。この研究所は10年後には解散してしまいますが、関係の深かった成城大学には柳田の遺志を受け継いだ民俗学研究所が今も活動しています。

また、1947年から教科書の出版社である東京書籍の国語の教科書の監修をしています。さらに1950年には国学院大学で民俗学を教える教授となりました。先にご紹介した成城大学では文芸学部の顧問を務め、また文化史コースを設立しています。

1962年 ‐ 87歳「死去」

柳田国男の墓

最後の著書『海上の道』

1962年8月8日、柳田国男は87歳で亡くなりました。最後となった著作『海上の道』では、戦後の「アメリカが1番素晴らしい」「アメリカを理想とするべきだ」という風潮に不安を覚えていると述べ、「日本人は日本人のままで素晴らしい」ということを主張しています。

山で狩りを行う「山の民」から、ごく普通の農民である「常民」、そして最後は「日本人」全体へと、柳田の関心の幅は広がっていきました。『海上の道』やその前年の著作『故郷七十年』には、柳田国男という日本人の在り方が表れているように思います。

柳田国男の関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

口語訳 遠野物語

柳田国男の『遠野物語』は文語体で書かれていて、現代の読者にはわかりにくい部分があります。こちらの『口語訳 遠野物語』は口語体に訳されているうえ、会話文は遠野の方言で表されている意欲作です。遠野という土地の雰囲気がより味わえる1冊となっています。

水木しげるの遠野物語

妖怪漫画の大家・水木しげるが『遠野物語』を漫画化したものです。「面白そうだけど文章で読むのはちょっととっつきにくいな…」と感じている人にはぴったりです。現代の遠野地方がわかるコラム「2010年遠野の風景」も面白く、岩手への旅行を考えている人にもいいでしょう。

日本の伝説

『日本の伝説』は、柳田国男が全国から見つけ出した伝説の数々を、美しくシンプルな文章で書き表した1冊です。現在では語る人も少なくなってしまい、忘れ去られていく伝説たち。あなたの住む地方の伝説も収録されているかもしれません。

【24年1月最新】柳田国男をよく知れるおすすめ本ランキングTOP9

おすすめの動画

【遠野物語110周年】クイズ 遠野ふしぎ再発見!#1 (The Legends of Tono)

2020年は『遠野物語』が出版されて110年でした。それを記念して、岩手県遠野市にある遠野文化研究センターで制作されたのがこの『クイズ 遠野ふしぎ再発見!」です。『遠野物語』以外にも、地元の伝統的な文化がわかる映像となっていて、遠野に行ってみたくなります。

おすすめの映画

遠野物語

1982年に公開された、柳田の『遠野物語』と画家・阿伊染徳美の「わがかくし念仏」をモチーフにした映画です。『遠野物語』からは「オシラサマ」という神様についての記述が使われています。炎が印象に残る、幻想的な作品です。

関連外部リンク

柳田国男についてのまとめ

日本民俗学の祖・柳田国男についてご紹介してきました。

ごく普通の農民の暮らしを記録する学問分野がなかったところに「民俗学」というジャンルを打ち立てた柳田。彼の人生を追うと、1つの学問が成立するためにはこのような過程があるのだな、と思うのと同時に「好奇心を大切にすること」の重要性が感じられます。日頃、さまざまな刺激を受けて刺激される好奇心は、新たな世界への扉です。

この記事を読んでくれたあなたが、柳田国男の人生に思いを馳せるのと同時に「今の自分が興味のあることは何だろう?」と考えてみてくれるとうれしいです。

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