ヴィクトリア女王とはどんな人?生涯・年表まとめ【功績や性格も紹介】

ヴィクトリア女王の容姿・性格は?

1861年の女王、小柄なのが分かります。

ヴィクトリア女王は、非常に小柄でふくよかな人だったそうです。身長は145センチでアルバートの結婚の時には既に56キロあったといいます。60代の頃には75キロにもなっていたといいます。肥満体質は女王自身も若いころは気にしていたらしく、「ハノーファー家はもともと太りやすい体質です」と慰められたこともあったといいます。

またヴィクトリアは短気で直情型で、理屈の通らない人だったと伝わっています。自身もそれを自覚していて、「意見されるほど感情が高ぶりやすい性格」と語っていたといいます。ヴィクトリアの身近にいた人は、後に「女王陛下とうまく付き合うコツは、決して拒まず、決して反対せず、受け入れ難い女王の要求に対しては、時々物忘れをすることだ」と言っていたそうです。

ヴィクトリア女王の評価

ヴィクトリア一家の肖像画

ヴィクトリア女王の評価は、君主としての能力は乏しかったけれども、夫のアルバートが有能だったということです。しかし、大英帝国の「帝国の母」という象徴的な面での功績は大きかったと言われています。

ヴィクトリア女王の治世は、産業革命があり、経済が急激に発展した時期でした。また、世界の4分の1がイギリスの領地という、大英帝国の繁栄の象徴ともなったのです。また、ヴィクトリア女王とアルバート公の家庭は、イギリスの中産階級の理想像であったといいます。

ヴィクトリアとアルバートは生涯仲睦まじくあり続け、多くの子供をもうけました。一家団欒の様子を写真や絵画に収め、その姿は賛美の対象となったといいます。こうして、皇室が理想を描き、象徴となる役割を果たす現在に続くスタイルを確立していったといいます。

ヴィクトリア女王の功績

功績1「日の沈まない国、大英帝国の女王になったこと」

帝国の母のイメージを植え付けたヴィクトリア女王

やはりヴィクトリア女王の一番の功績は、「日の沈まない国、大英帝国」の女王になったことでしょう。女王は帝国主義を指示し、植民地の民を「女王陛下の臣民」という立場をとりました。女性と言うことも影響し、世界中の臣民たちの「帝国の母」として、「子供」たちである世界中の臣民たちに慈愛を注ぐイメージがついたといいます。

カナダのインディアンはヴィクトリアのことを「白い母」と呼んで敬意を払っていたといいます。また、ジャマイカの黒人が反乱を起こし裁判所を襲撃したときも、「我々はヴィクトリア女王陛下に反乱を起こしているわけではないから、陛下の所有物を略奪してはならない」といい、囚人服は置いていったといいます。

中国香港にあるヴィクトリア女王像

ヴィクトリア治世は次代の王エドワード7世に引き渡したころには、政治権力面では大きく弱体化していましたが、国民の人気は非常に高まっていました。世界各地には今でもヴィクトリアの世界中の地名として残っており、世界中にその名を刻むこととなったのです。

功績2「インド女帝になったこと」

スターオブ・インディア勲章

1857年インド大反乱が起こり、これにイギリスが勝利し、統治するようになりました。そのためヴィクトリアは「インド女帝」と俗称されるようになったといいます。女王は日記に「巨大な帝国に対して直接責任を負う事に大きな満足感と誇りを覚える」と記したといいます。

ヴィクトリア女王は再反乱を防ぐには自らの「慈悲深い母」のイメージを前面に出すべきであると考え、信仰の自由を保障することをインド臣民たちに布告したといいます。そして、「女王は人種に寛大」というイメージを植え付けることに務めました。

女王にイギリス王冠とインド皇帝冠を交換しようとする風刺画

そして1876年に、ヴィクトリアは「インド女帝」という称号を正式に得たいと申し出、正式に承認されました。これにより「インド女帝」の称号を正式に獲得し、サインも「Victoria R&I」と女王と女帝の表すアルファベットを使用するようになったのです。

功績3「ロンドン万国博で大英帝国の存在感を示したこと 」

ロンドン万国博水晶宮外観

1851年の第一回ロンドン万国博は夫のアルバートが取り仕切り開催されました。女王暗殺を恐れて、開会宣言を内輪で行うべきだという意見もありましたが、最終的に女王の意見でヴィクトリア自身が開会式の挨拶を執り行いました。

女王は万国博の数か月間は万国博へ精力を注ぎ、万国博の全てを見学しようと一週間に数回も水晶宮を訪れたという逸話も残っています。この万国博は、大英帝国の存在感を強く示すことになりました。

水晶宮の中の様子

ロンドン万国博は世界30か国以上が参加し、世界各地の10万点という展示品が飾られたといいます。外装は、デヴォンシャー公爵所有の豪邸チャッツワース・ハウスの温室をモデルにデザインされ、30万枚のガラスで覆われた当時先端の印象を与える作りとなっていました。結果的に万国博は大成功をおさめ、140日間の間に延べ600万人以上の人が訪れたといいます。

ヴィクトリア女王の名言

ヴィクトリア女王の肖像画

私は敗北の可能性にはまったく興味がない

ヴィクトリア女王の気丈さが伺える言葉です。この心がけで万事を取り組んでいったからこそ、大英帝国が威厳を感じさせていたのかもしれません。

ヴィクトリアの戴冠式の様子

私が王位につくのが神の思し召しなら私は全力を挙げて国に対する義務を果たすだろう。私は若いし、多くの点で未経験者である。だが正しいことをしようという善意・欲望においては誰にも負けないと信じている。

自らが即位時の日記に記していた言葉です。力強い決意が感じられます。王としての責任感を強く感じ、立ち向かおうとしている様子がわかります。

ウィンザー城でのアルバートとヴィクトリア

貴方は私が君主であることをお忘れなのね。今は議会の会期中であり、私が行わねばならない執務も山のようにあります。ほんの2、3日であっても私がロンドンを離れることは許されないのです。

こちらは、新婚旅行について夫アルバート公に言った言葉といいます。例え新婚であったとしても公務をおろそかにしない責任感の強さを感じることができます。

ヴィクトリア女王の人物相関図

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