炎の中、秘宝を道連れにした壮絶な最期
信長への二度目の謀反の末に、居城である信貴山城にて自害して果てたと伝わる松永久秀。
久秀は自害に際して、天守に火をつけさせてから自害に及んだため、その遺体がどのような末路を辿ったのかは、実際のところはよくわかっていません。記録上では「首は安土に送られた」「遺体は筒井順慶が達磨寺へ葬った」とされていますが、それらは別の記録媒体による記載のため、分からないとする方が正確です。
また、久秀の最期と言えば「古天明平蜘蛛の茶釜に火薬を詰めて爆死した」というエピソードが有名ですが、これは昭和頃に作られた創作エピソードであるとされ、実際の久秀は炎上する天守で腹を切って果てたとされています。
とはいえ、大切にしていた平蜘蛛を道連れとして死んでいったことは史実に基づく部分であるらしく、平蜘蛛の茶釜を幾度となく欲しがった信長は、久秀と共に茶釜が失われた事実を知って落胆したとも言われています。
「平蜘蛛釜」とされる茶釜は現存しており、異説として「平蜘蛛釜が別の人物の手に渡った」という説もいくつか存在していますが、どれも説としての裏付けは弱く、やはり平蜘蛛釜は久秀と共に焼失したと考えるのが一般的です。
ともあれ、多くの人物から「信用ならない人物」と警戒を受け、それでも自身の才覚で戦国の世を渡った松永久秀。彼はこうして燃える城の中で、愛する名品を道連れに68年の生涯を閉じることになったのでした。
現代に描かれる松永久秀
現代においても時代劇や漫画、ゲームなどの題材として描かれることが多い戦国時代。松永久秀もまた、その濃いエピソードや人間性からか、そのような作品に描かれやすい人物であると言えるでしょう。
その中でも、多くの「歴女」を生んだ大人気ゲームシリーズ『戦国BASARA』で描かれる松永久秀はとりわけ人気の高い久秀像として有名です。
虚無的で欲望に忠実な悪人の生き様を貫き通しながら、どこか哲学的なキャラクター性の久秀像は、史実のイメージを反映した趣が強く、2020年4月に鬼籍に入られてしまった声優・藤原啓治氏のダークで色っぽい熱演も相まって、多くのファンを虜にする松永久秀像を作り上げました。
また、2020年現在放送されている大河ドラマ『麒麟がくる』では、吉田鋼太郎氏が久秀を演じ、従来のダークヒーロー然とした松永久秀像を壊す、豪快で人間味のある、しかし二面的な恐ろしさを抱えた久秀を演じ、従来の久秀のイメージに一石を投じることとなっています。
その他にも多くの作品に登場している松永久秀ですが、多くの作品において「ダークヒーロー(アンチヒーロー)の立ち位置」「爆薬を使う」「相手を皮肉るような態度」「教養に優れた人物」等の要素が共通しているように窺えます。
そのような共通したイメージが作り上げられることこそが、松永久秀という人物のエピソードの濃さが表れていると言えるでしょう。
松永久秀の功績
功績1「敵対者を経ながら、将軍の傍らに控えることを許された有能」
現代に生きる我々から見ても、一度完全に敵対した人間をもう一度傍に置くことには抵抗があります。しかもそれが、命のやり取りや暗殺が日常的だった戦国時代なら猶更のことでしょう。
しかしそのような情勢下であっても、一度敵対した足利義輝の傍に仕えることを許された人物となってたこと自体が、松永久秀がどれほど有能な人物だったかの証明だと言える部分です。
最終的にはもう一度敵対したと思われる二人ですが、それを差し引いても将軍の傍に控え、あまつさえ主家の嫡男と同格の扱いを受けたという事実が、久秀が周囲から抜きんでた人物だったことの証であるように思えます。
功績2「城郭建築の第一人者」
戦場においても交渉においても、文化的な目利きにおいても優秀さを示すエピソードの多い久秀ですが、更に彼は城郭建築の第一人者として有名でした。
特に彼が信貴山城の建築で取り入れた”多聞作り”と呼ばれる「櫓と城門を一体化させる建築方式」は、以降の城郭建築に強い影響を与えたとして知られ、建築の分野にも久秀の勇名をとどろかせる結果となりました。
また、古墳を打ち壊してその史跡を城郭に転用するという手段で築城を行ったことでも知られていますが、これは彼の主君である三好長慶が創始した築城方法であり、厳密には久秀がはじめた建築の仕方ではありません。
とはいえ、彼が創始した多聞作りが後の武将たちに広く評価されたことは事実であり、それだけでも彼の幅広い才覚を示すには十分すぎる功績でしょう。
功績3「織田信長から謀反を許された男 」
織田信長と言えば「苛烈な性格」「謀反を許さない冷酷な男」というイメージが強く、それは実際の事実の一端ではあります。浅井長政が辿った末路などは、信長の性格を示す最たるエピソードでしょう。
しかしその一方で、信長包囲網に与した久秀が謀反をはたらいた際、信長はその謀反を許して再び彼を自分の配下としたという記録も残っており、信長が久秀に温情を与えた理由については、現在も様々な説が囁かれている状況です。
通説としては「久秀の持つ古天明平蜘蛛を欲しがった」という説、「久秀の武将としての才覚を高く買っていた」という説がありますが、そのどれも理由として記録されているものではないため、未だに想像の余地を出てはいません。
とはいえ、苛烈な性格で有名な信長に謀反を許されるだけの”何か”が久秀にあったことは、事実として押さえておくべき事柄だと言えるでしょう。
松永久秀の名言
裏切られるのは弱いから裏切られるのです。裏切られたくなければ、常に強くあればよろしい。
松永久秀と言う人物を、これ以上なく端的に表した言葉です。謀反の後信長に降参した際、謁見時に彼はこの言葉を信長に告げたのだと言います。
義理や人情を信じず、ただ自分の強さを信じた久秀。その強さが正しいものかどうかはともかく、ある意味でこの世の心理をつく一言であることには間違いありません。
人間は日々養生する事で長い命を得ること間違いない
大切に飼っていた松虫が3年も生きたことから得た、久秀の気付きを示す言葉です。実際、久秀は生涯にわたって養生を心掛けていたらしく、死の間際に至るまでその壮健さを保っていたことが伝わっています。
百会は中風の神灸なれば、当分その病を防ぎ、快く自害するためのものである
自害に当たってお灸を用意させ、その必要性を部下から問われた時の言葉です。似たような言葉に、石田三成の「柿は肝の毒になるから食わぬ」というものがありますが、久秀もまた同様に、自害に際しても武将然とした態度を崩さない、立派な武将だったことを示す言葉だと思います。
余談ではありますが、石田三成に仕えた島左近は、関ヶ原の戦いに際して「近頃は明智光秀や松永久秀のような、果断に飛んだ武将が減った」と嘆いたという記録があるというのも、なんとなくの奇縁を感じさせる事柄です。
松永久秀にまつわる都市伝説・武勇伝
都市伝説・武勇伝1「日本で初めてクリスマスを祝った男?」
松永久秀を語るにあたってのエピソードの中には、「クリスマスを祝うためにその日の戦を中止した」と言うエピソードが存在しています。
久秀の革新的な視点を示すイメージで用いられるエピソードですが、実はこれは史実の資料に記載されていた「クリスマス時期に、松永軍の兵士と、敵対する三好軍の兵士が一緒にミサを行った」という部分が独り歩きした結果の、創作エピソードであるとする説が一般的です。
久秀は、キリシタンに対して中立的からやや否定的に寄ったスタンスを取っていたことも知られ、松永軍内にはキリシタンは多少存在したようですが、久秀自身は別段キリスト教を信仰していたわけではないとされています。
とはいえ、そのようなエピソードがまことしやかに語られ、事実であると誤認される辺りにも、松永久秀がどれだけ革新的な人物だったかが示されているような気がします。
都市伝説・武勇伝2「”命よりもコレクションを取る!”名物コレクションへの異常な執着」
久秀の死が、織田信長との戦いにて信貴山城天守での自害によってもたらされたことは先述した通りです。しかし信長は久秀に対し、「言うとおりに降伏すれば命までは取らない」と考えていたとも囁かれています。
苛烈な性格で有名な信長にしては温情的な措置でしたが、久秀にとって問題だったのは、その「言うとおりにすれば」の部分。信長は久秀に対し「お前が持っている古天明平蜘蛛の茶釜を差し出せば、命だけは助けてやる」と、久秀が大切にしていた茶器を所望したのだというのです。
現代の価値観で言えば「茶器を渡せば助けてくれるなら……」と差し出してしまいそうな所ですが、久秀は何とこの申し出を拒否。「平蜘蛛の釜と我らの首の2つは信長公にお目にかけようとは思わぬ、鉄砲の薬で粉々に打ち壊すことにする」と返答し、その通りに平蜘蛛を破壊。その後に自身も自害するという末路を遂げました。
一般的な価値観からは理解できない部分ですが、久秀のコレクター魂とも言うべき部分が、これ以上なく表れたエピソードだと言えるでしょう。
都市伝説・武勇伝3「松永久秀が戦場よりも恐れたものとは…?」
文武両道にして義理人情よりも実益を取る、能力としても心根としても「強い」と評価すべき松永久秀と言う人物。彼自身も「戦場で怖いと思ったことがない」と語る自信家だったようですが、そんな彼が唯一、泣き叫ぶほどに恐れた相手がいると言う記録が残っています。
彼がそれほどまでに恐れた相手と言うのは、なんと自身の妻の霊。あの織田信長すら手玉に取ったとされる幻術士・果心居士(かしんこじ)に「自身を恐怖させてみろ」と挑発を行った久秀は、亡くなった妻の姿に化けた果心居士の姿に絶叫し、蒼白になって「わかった、もうやめよ」と声を上げたのだと言います。
果心居士の存在自体が疑問視されているため、実際の所は胴だったのかは不明瞭ですが、これほどまでに「悪党」「梟雄」のイメージで塗り固められた久秀が、実は死んだ妻を恐れていたというのも、彼の人間的な魅力に一役を買う要素だと思います。