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【年表付】古墳時代とは?当時の生活や服装、食事、主な出来事まとめ

「古墳時代は何年前の時代なの?」
「古墳時代の人たちはどんな暮らしぶりだったの?」
「古墳時代に起こった出来事や活躍した人物は?」

古墳時代に関して、以上のような疑問をお持ちの方も多いのではないでしょうか?

「古墳時代」とは、前方後円墳と呼ばれる巨大墳墓が日本各地に築造された時代です。前方後円墳は上から見ると鍵穴の形をした特徴的な墳墓として知られています。前方後円墳の一部は、朝鮮半島南部でも存在が確認されていますが、それらは日本の影響を受けて後年に築造されたものであり、あくまで日本発祥、日本オリジナルの墳墓です。

上石津ミサンザイ古墳

日本各地に大小様々な前方後円墳が築造された古墳時代とは、一体どのような時代だったのか?当時の人々はどんな生活を営んでいたのか?また、古墳時代に活躍した人物や出来事、そして現存している代表的な前方後円墳はどのようなものなのか?など、古墳時代に関してわかりやすくお伝えしていきます。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

古墳時代とはどんな時代?

古墳時代に築造された前方後円墳は約4,700基で、北海道、東北地方北部、沖縄を除いて、日本各地に存在しています。前方後円墳の他にも、円墳や方墳なども合わせると約15万基という膨大な数に上ります。このようにたくさんの古墳が作られた古墳時代の基本情報を、まずは確認していきましょう。

古墳時代はいつからいつまで?

最初期に築造された巨大前方後円墳「箸墓古墳」

古墳時代の始まりと終わりには諸説あるものの、一般的には3世紀中ごろから6世紀末頃までとされています。時代区分で言うと、弥生時代の後、飛鳥時代の前にあたる約300数十年間となります。

3世紀前期頃、現在の奈良県桜井市に「纒向石塚古墳(まくむくいしづかこふん)」を含めた全長90メートル級の古墳が複数出現、さらに3世紀中期から後期にかけて278メートルという巨大な前方後円墳「箸墓古墳(はしはかこふん)」が出現、この辺りの時期を古墳時代の始まりとしています。

そして6世紀末頃には前方後円墳が作られなくなり、円墳や方墳、八角墳が主流となっていきました。さらに646年、墳墓の大きさを規制する「薄葬令」が発布され、古墳時代は完全に終焉したのです。

纏向遺跡と前方後円墳の登場

古墳時代の始まりを告げた「纏向遺跡」

前述の通り、纏向石塚古墳や箸墓古墳の登場によって古墳時代は幕を開けました。この古墳時代の始まりとなった古墳が築造された場所が、現在の奈良県桜井市にある「纏向遺跡(まきむくいせき)」です。纏向遺跡はまさに王都と呼ぶに相応しい古代遺跡で、その面積は三平方キロメートルに及ぶ大集落であったことが発掘調査の結果、明らかになっています。

また、第10代崇神天皇、第11代垂仁天皇、第12代景行天皇が、纏向遺跡のある三輪山の麓に宮殿を置いていたことが「日本書紀」に記されているため、纏向遺跡が当時の権力の中枢であったことがわかっています。そんな纏向遺跡の周辺に出現した古墳群は天皇の陵墓、もしくは天皇に近しい人物の墳墓ではないかと見られています。

なお、纏向遺跡は卑弥呼の邪馬台国ではないかとの説もありますが、真偽のほどは定かではありません。

謎の4世紀

3世紀の日本について記された「魏志倭人伝」

纏向遺跡を拠点とするヤマト王権は、徐々にその勢力を拡大、4世紀には北海道、東北地方北部、沖縄を除く日本各地に前方後円墳が築かれました。

独特な形をした前方後円墳の築造技術が全国に広まったということは、ヤマト王権の統治範囲が日本の大部分に及んでいた証となります。つまり、「前方後円墳の分布=ヤマト王権の統治範囲」です。こうしてヤマト王権は列島の大半を統治する政権へと成長していきました。

しかし、この時代は日本ではまだ文字が成立していなかったため、日本の4世紀に関する史料は、ほぼ皆無(七支刀の銘文、好太王碑文の2点のみ現存)となっています。ゆえに、どのようにしてヤマト王権が勢力を拡大し統一王権となっていったのか、明確なことはほとんどわかっていません。

3世紀の日本については大陸の歴史書「魏志倭人伝」である程度の様子をうかがい知ることができます。しかし、4世紀には大陸が動乱期に突入したため、日本に対する文字史料を残しておらず、次に日本が登場するのは5世紀を待たねばなりません。以上のようなことから、この時期を「謎の4世紀」「空白の100年」と呼んでいます。

古墳時代を代表する人物

以下より、古墳時代を代表する人物を5名ご紹介します。なお、この時代の人物情報に関しては不透明な部分が多く、様々な意見が錯綜していること、また神話的、伝説的要素も多分に含まれています。そういった要素も含めてのご紹介となることをご了承ください。

崇神天皇(すじんてんのう)

第10代崇神天皇

日本の第10代天皇。ヤマト王権の統治範囲を拡大した天皇として知られています。崇神天皇以前のヤマト王権は畿内を中心とした勢力でしたが、崇神天皇の御代にはその周辺諸国にまで統治範囲が及びました。ヤマト王権が日本列島各地へ統治範囲を広げていくための基盤を築いた天皇です。

日本武尊(やまとたける)

伊吹山頂の日本武尊像

南は九州、北は関東地方まで日本各地を飛び回り、ヤマト王権の統治範囲を大きく拡大した伝説的英雄。第12代景行(けいこう)天皇の息子であり、第14代仲哀(ちゅうあい)天皇の父親でもあります。戦闘能力に優れた武人である一方、父の景行天皇にその強さを警戒され遠ざけるために諸国へ派遣されたうえ、その道中で最愛の妻を失うなど、悲しき英雄としての一面も持っています。

神宮皇后(じんぐうこうごう)

神功皇后の肖像が採用された明治時代の1円紙幣

第14代仲哀天皇の皇后。仲哀天皇の崩御後、九州に兵を派遣し陣頭指揮を取ったり、妊娠しながらも海を越えて朝鮮半島をも服属(三韓征伐)させた女傑です。三韓征伐の後に出産した子供が、後に第15代応神天皇となります。明治時代にはお札の肖像にも採用されていました。

仁徳天皇(にんとくてんのう)

民のかまどの逸話で知られる
第16代仁徳天皇

第16代天皇。民の貧しさを改善するため徴税を停止し、自らも質素倹約に努めた「民のかまど」の逸話で知られ、その善政から「聖帝(ひじりのみかど)」とも呼ばれた名君。その他にも、治水や開墾などで民の暮らしを豊かにさせた古代日本を代表する天皇です。世界最大級の大仙陵古墳の被葬者とも言われています。

雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)

第21代雄略天皇

第21代天皇。武勇に優れ、反抗的な地方の豪族を蹴散らし、ヤマト王権の力を飛躍的に拡大させた天皇として知られています。以前のヤマト王権は地方豪族による連合体でしたが、雄略天皇の治世で天皇による中央政権体制が始まったとも言われています。

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1 COMMENT

卑弥呼の父(埴岡寂諦)sakurako_sakurako0131@yahoo.co.jp

卑弥呼ファン集まれーで検索してねー。

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