巨大古墳の誕生
3世紀中期から後期にかけ、全長278メートルの巨大前方後円墳「箸墓古墳」が出現したことで、以降日本各地に大型古墳が築造されていきます。特に現在の大阪府と奈良県を中心として、岡山県や群馬県にも巨大古墳が多く作られています。
墳丘の全長が300メートル以上の前方後円墳は全国に7基、200メートルを超えるものが40基、100メートルを超えるものが326基確認されています。日本列島という限られた土地にこれほどの巨大墳墓が、しかも限られた期間にいくつも築造された例は、世界でも類を見ません。
争いを経ずに実現した統一王権
では、なぜこのような巨大前方後円墳が、全国各地に築造されたのでしょうか?その理由の一つが、「古墳時代は平和な時代だった」ということです。
古墳時代が平和な時代となった大きな理由が「鉄」でした。この時代は、日本で「鉄」の原料となる鉄鉱石が採取できないと思われていたため、朝鮮半島経由での輸入に頼っていました。
鉄は農具を作るのに欠かせない材料であり、武器屋防具などの副葬品を作るのにも必要不可欠な物でした。この鉄と、鉄から物を作る技術を独占していたのがヤマト王権であり、交易品として鉄を供給することで、徐々に各地の有力豪族がヤマト王権の傘下に組み込まれていったと考えられています。その結果、前方後円墳の築造技術も各地へ伝播していったのです。
言い換えるならば、戦争を経ずして連合王権が出来上がっていったことになり、これは世界的に見ても非常に珍しい現象でした。こうして勢力を拡大したヤマト王権は「ヤマト朝廷」に変貌していったのです。
巨大古墳が築造された歴史的背景
古墳時代の前の弥生時代は戦乱の時代であったことが、大陸の歴史書などからわかっています。弥生時代の遺跡から出土した人骨にも戦傷の痕が見られ、考古学の成果とも一致しています。
一方で、古墳時代は平和な時代だったことが明らかになっています。巨大な古墳を作るには多くの労力を要します。もし戦時であれば労力を割いて巨大なお墓を作っている場合ではなく、時間や人材などは軍備に捧げなければなりません。また、人骨から戦傷の痕が見られなくなったことも、平和な時代の訪れを物語っています。
このように鉄を媒介として、各地の有力豪族がヤマト王権に組み込まれるという現象により、古墳が作れる平和な時代が築かれていったのです。
なぜ前方後円墳は巨大化したのか?
ところで、なぜ前方後円墳は巨大化していったのでしょうか?
その理由の一つが「被葬者の偉大さをアピールするため」でした。多くの前方後円墳は人の目に触れやすい主要な街道沿いであったり、海沿いに築造されています。つまり、前方後円墳とは人に見られることを前提として造られており、巨大な古墳に埋葬することで、被葬者の権威性をアピールするために大きくなっていったと考えられています。
また、大きな前方後円墳を作ることが可能ということは、ヤマト王権との親密な繋がりを表しており、地方豪族からすると連合政権内での格を示す指標ともなりました。以上のような理由から、大きな古墳を作ることが連合政権内でのステータスでもあったのです。
日本に存在する巨大古墳
日本各地に作られた前方後円墳ですが、その中でも大阪府、奈良県、岡山県、群馬県には特に大きな古墳が築造されました。以下より、この4府県にある代表的な前方後円墳を見ていきましょう。また、巨大古墳ではありませんが、考古学的に重要な役割を持っている古墳も併せてご紹介します。
大仙陵古墳:墳丘長525m
大阪府堺市堺区の百舌鳥古墳群(もずこふんぐん)にある日本最大の前方後円墳で、面積の広さでは世界最大の墳墓です。エジプトのピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並び、世界三大墳墓のひとつに数えられています。被葬者は第16代仁徳天皇とされており、「仁徳天皇陵」と呼ばれることもあります。日本史の教科書にもよく登場する最も有名な前方後円墳です。
誉田御廟山古墳:墳丘長425m
大阪府羽曳野市の古市古墳群にある日本で2番目に大きい前方後円墳。被葬者は第15代応神天皇とされており、「応神天皇陵」と呼ばれることもあります。大仙陵古墳と同様に、日本を代表する前方後円墳のひとつです。
箸墓古墳:墳丘長278m
奈良県桜井市の纏向遺跡にある前方後円墳。一番最初に造られた巨大前方後円墳であり、箸墓古墳の登場によって古墳時代が幕をあけました。被葬者ははっきりしていないものの、纏向遺跡を本拠としていたヤマト王権の中心的人物である可能性が高いとされています。
造山古墳:墳丘長350m
岡山県岡山市北区にある日本で4番目に大きい前方後円墳。古代の岡山県一帯は「吉備(きび)」と呼ばれ、ヤマト王権に対抗しうる強大な王権が存在していました。この勢力を吉備政権と呼びます。被葬者は分かっていませんが、吉備政権の首長クラスの人物、もしくは日本書紀などに登場する「御友別(みともわけ)」という人物ではないかとされています。
卑弥呼ファン集まれーで検索してねー。