古墳時代の人々はどのような生活をしていたのか?
それでは以下より、古墳時代の衣食住を見ていきます。
当時の人々の服装は?
当時の人々の服装は、古墳から出土した人型の埴輪によってある程度推測できます。豪族などの一定以上の身分の者は、金色の装身具やきれいな玉を身に付けるなど、とてもオシャレに着飾っていました。
男女ともに衣(きぬ)と呼ばれる上衣を着用し、腰を帯で結んでいました。そして男性は褌(はかま)と呼ばれるゆったりしたズボンをはき、脛のあたりを足結(あしゆい)と呼ばれる紐で結んでいました。女性は裳(も)と呼ばれる長いスカートのようなものをはいていました。
また、男性は長髪を頭の両横で結んだ「美豆良(みづら)」という髪型、女性は長髪を頭のてっぺんで折りたたみ、リボンなどでまとめていました。
なお、当時の成人男性の平均身長は163センチ前後だったことが、出土した人骨などから判明しています。
食事は穀物が主食
主食には米や稗、粟などの穀物を食べていました。古墳時代には竈(かまど)が導入されるようになり、竈の上に甕を設置してお湯を沸かしたり、穀物を蒸して食べていました。現代で言うところの「おこわ」のような状態にしていたようです。
おかずには、シカやイノシシの肉、タイやブリなどの海水魚からナマズやコイといった淡水魚、その他にも豆などの野菜類、スモモなどのフルーツ類も食べられていました。木の実を加工し、焼いてクッキーのようにして食べることもあったようです。
魏志倭人伝によると、古墳時代の人々は「高坏(たかつき)に食事を盛りつけ、手づかみで食べていた」と記されています。高坏とは、食事を盛るための脚つきの器です。多くの場合は、粘土を赤く焼いた土器(土師器)の高坏が使用されていました。
家は有名な竪穴式住居
古墳時代の基本的な住まいは、いわゆる竪穴式住居でした。弥生時代の住まいとさほど大差はありません。屋根には草を葺き、低い穴を掘ってその上に住居を建てていました。竈を使う際に出る煙を排出するための煙突も完備していたようです。
なお竪穴式住居は、平安時代頃までは民衆の住まいとして活用されていました。また、纏向遺跡などからは高床式の建物も確認されています。これらは身分の高い人物が暮らしていた宮殿跡と見られています。
前方後円墳の特徴
前方後円墳はその名が示す通り、手前側が方形(四角形)、後ろ側が円形(丸形)で構成された鍵穴のような形をした墳墓です。大量の土を盛り、表面を石で固めて(葺石)、周囲にはたくさんの埴輪(はにわ)を配していました。
内部には埋葬施設としての空間があり、ここに石棺を設え被葬者を埋葬していました。この空間は巨石で造られていることから「石室」と呼ばれています。
石室には、古墳上部が開いた竪穴式石室と、横から出入りできる横穴式石室の2種類が存在します。竪穴式石室は1人の埋葬を目的としていて、横穴式石室は出入りすることを目的としており、被葬者に近しい人物複数名を埋葬することができました。
被葬者はどんな人物?
日本全国に存在する前方後円墳ですが、その被葬者はほとんどわかっていません。現在の大阪府や奈良県を中心に、宮内庁によって古代天皇、もしくは古代天皇に近しい人物の陵墓として治定されている前方後円墳もありますが、その人物が確実に埋葬されているかは判明していません。
また、宮内庁が管理している一部の巨大古墳は立ち入りが認められておらず、現状では発掘調査も不可能となっています。以上のようにそれぞれの被葬者を特定することは困難ですが、古代天皇か天皇に近しい人物、もしくは地方豪族の首長クラスに当たる人物やその身内など、身分の高い人物が埋葬されていることは間違いないとされています。
副葬品について
故人を古墳に埋葬する際には、「副葬品」と呼ばれる品々も一緒に石室へと納められました。副葬品には太刀や甲冑などの武器防具、勾玉などの装飾品、馬具といったものまで様々なものがありました。これらは被葬者の持ち物であったり、あるいは被葬者を守護するための儀式に使われたものだったりと様々な意味を持っていました。
また、副葬品のなかには「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」という鏡があります。数ある副葬品の中でも鏡は特に重要な意味を持っていて、被葬者はヤマト王権との強い繋がりを持った人物であったと考えられています。また、三角縁神獣鏡は日本国内でしか発見されておらず、日本独自の製法で造られたオリジナルの副葬品である可能性があります。
埴輪とは?
古墳時代を最も代表するものはもちろん前方後円墳ですが、埴輪(はにわ)の存在も欠かすことができません。
埴輪と一口に言っても、植木鉢にような形をした円筒埴輪を始め、壷や家など物の形をした形象埴輪、人の形をした埴輪、馬、鹿、水鳥など動物を模した埴輪など、実に様々な種類が発掘されています。このように、埴輪はとても個性的であり、古墳時代の文化を象徴するひとつの大事な要素でした。
埴輪は古墳の全体を囲むように配置され、結界を作って古墳を守護するために用いられた、あるいは宗教的な儀式で用いられたなど、その用途には様々な意味があったとされています。特に円筒埴輪は、古墳の形状に合わせ列状にびっしりと配置されていました。
卑弥呼ファン集まれーで検索してねー。