田中義一内閣の総辞職
事件で爆殺された張作霖は当時の国家元帥です。重大事件であったためすぐに調査が入り、当時の首相・田中義一に報告が入ります。田中は、関東軍が起こした事件である可能性が高いことを昭和天皇に上奏し、詳しい調査の内容が分かり次第また天皇に報告するつもりでいました。この時点で田中は、首謀者を軍法会議にかけて処罰し、支那には遺憾の意を表すつもりだったようです。
ところが、田中が総裁を務めていた立憲政友会からは、軍隊は天皇のものなので、事件を起こしたのが関東軍とわかれば天皇の名を汚すことになるから、この事件はうやむやにしてほしいという意見が出ます。また、陸軍からも、勝手にやったことは良くないが志は立派だから厳罰に処すべきではないといった声が上がりました。
閣議でも、天皇の最高軍事顧問として機能していた元帥会議でも、陸軍と同様の趣旨の意見が上がります。一方、元老として大きな力を持っていた西園寺公望は、国際的な信用を得るためにも、首謀者はきちんと処罰して軍の綱紀を守るようにと田中に伝えました。
こうした様々な意見の板挟みになった田中は、熟慮を重ねた上、昭和天皇に陸軍には犯人はいないといった不明瞭な報告をします。
それを聞いた昭和天皇は、前と話が違うと怒りを露わにし、田中に辞表を書いてはどうかと言います。田中はそれを受けて職を辞することを決め、発案者とされている村岡長太郎関東軍司令官を予備役に編入させ、実行者とされている河本大作関東軍参謀を停職とする処分を決めた後で、総辞職したのです。
この件に関しては、昭和天皇が後に「独白録」で、田中に辞表を書いてはどうかといった発言をしたことは若気の至りであったと述べています。また河本大作が、もし軍法会議を開いて訊問するなら、日本の謀略を暴露すると言ったので、軍法会議は取りやめになったという裏事情も明らかになりました。
軍部暴走のきっかけ
一般的に、張作霖爆殺事件は日中戦争・太平洋戦争へと続く発端になったものと認識されています。実際に昭和天皇も、この事件の対処を徹底的に行わなかったことが、敗戦に至る禍根の発端であったと繰り返し話し、悔やんでいたことが「拝謁記」にも記されています。
昭和天皇は、この時にもし厳罰を下す判断をしていたら、つまり天皇の持つ統帥大権を行使して首謀者を軍法会議にかけることができていたならば、といった話をしていたようです。そして「(自分が)命じれば軍は言うことを聞いたであろう」と昭和天皇自身が述懐しています。
つまり、張作霖爆殺事件の起きた当時なら、まだ軍部の暴走を止める可能性が残されていたということでしょう。昭和天皇だけではなく、昭和天皇の輔弼を務めていた元老の西園寺公望も健在でした。西園寺公望はアメリカやイギリスと協調していくべきという考えの持ち主であり、後には満州国建国にも反対しています。
首相の田中義一も陸軍軍人出身であったものの、現役を退いていたこともあって陸軍内部を抑えることができませんでした。軍法会議にかけるべきという自らの主張を曲げる形で事件の幕引きを図り、総辞職したため、結果的に軍部の思い通りに事態が動いてしまったのです。
これ以後、軍部はあらゆる形で暴走を始めます。張作霖爆殺事件と同じく、関東軍の謀略で引き起こされた柳条湖事件の際も、当時の日本を率いていた若槻礼次郎内閣は不拡大方針を打ち出していたものの、関東軍はそれを無視して軍事行動に拡大します。昭和天皇や西園寺公望も、イギリスやアメリカとの軍事衝突に発展しないとわかると、関東軍の行動を追認していくことになるのです。
張作霖爆殺事件の真犯人は?
張作霖爆殺事件の犯人とされていたのは、前述した関東軍高級参謀、河本大作大佐でした。しかし近年その説を否定する専門家も多く出てきています。まず張作霖は共産党と相当の軋轢があり、共産党本部の家宅捜索をしたり鉄道問題などかなりもめていました。
それに比べ日本とはあまり利害関係がなかったといいます。つまり日本には張作霖を殺害するほどの動機がないというのです。これは「日本政府にとって張作霖が邪魔になった」という従来の説を覆す見解で、主流の説ではありませんが簡単に紹介します。
日本軍の仕業かどうか実は未確定
張作霖爆殺事件は1928~1945年までの戦争犯罪を裁く「東京裁判」で、日本軍の仕業として取り上げられた事件です。しかし実際の張作霖は日本政府の説得により満州に引き上げる途中に起こった事件であり、日本が張作霖を爆殺するのは不自然さがあげられています。
日本軍の仕業と思わせる証拠として、「日本兵の監視所まで、爆弾点火の導線が残っていた」「河本大佐が張作霖を除くことを主張していた」などです。しかしまず導火線は監視所まで200メートルも離れている上に、列車の屋根が爆発していたことにより天井に爆弾が仕掛けられていた可能性が高いといいます。
列車の整備は中国側がするために日本軍もそこまでは手が出せず、また前日に中国側が日本に警備の交代を申し出ていたために、日本軍が実行犯というには証拠が不十分だといわれています。