【真相に迫る】グリコ・森永事件とは?事件の経緯や影響、犯人像も解説

「グリコ森永事件ってなに?」
「かい人21面相って?」
「何が起こったのか知りたい!」

昭和を代表する大事件のひとつ「グリコ森永事件」。日本で初めての劇場型犯罪といわれ、マスコミを利用して世間を巻き込んだ犯人グループに警察はなすすべなく翻弄されます。結局警察は犯人グループを逮捕できず、2000年に時効を迎え未解決事件となりました。

犯人は自らを「かい人21面相」と名乗り、企業には脅迫状をマスコミや警察には挑戦状を送りつけました。さらには青酸ソーダ入りのお菓子が京阪神を中心にバラまかれ、その凶行に日本中が震撼しました。

この記事ではグリコ森永事件が起こった経緯と犯人像、事件が与えた影響やモチーフに使用された小説を紹介します。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

グリコ森永事件とはなんだったのか?

事件の概要

江崎グリコ本社
出典:Wikipedia

グリコ森永事件とは1984年(昭和59年)から1985年(昭和60年)にかけて発生した食品会社を標的とする誘拐および脅迫事件です。江崎グリコ社長誘拐事件を発端として森永や丸大などの企業に向けて脅迫状が、新聞社に向けて挑戦状が送りつけられました。

やがて毒物入りのお菓子がコンビニやスーパーにバラまかれ始め、国民を巻き込みながら凶暴性を増していきます。その結果、全国の商店からグリコや森永のお菓子が姿を消すことになり、企業は大きな損害を受けました。

犯人グループの凶行が全国に渡ったため1984年4月12日に警察庁広域重要指定事件に指定されましたが、2000年2月13日にすべての事件において時効が成立します。警察庁広域重要指定事件としては初めての犯人逮捕に至らなかった未解決事件となりました。

当時の時代背景

バブル経済を象徴するビル群

グリコ森永事件が起こった1980年代の日本は日経平均株価が終値で初めて1万円を突破し、バブル経済の入り口に差し掛かっていたころでした。

1984年には新紙幣が発行され1万円札に福澤諭吉、5千円札に新渡戸稲造、千円札に夏目漱石の肖像画が採用されています。エリマキトカゲやオーストラリアから初上陸を果たしたコアラが大流行しました。

1985年には阪神タイガースが21年振りのセ・リーグ優勝に輝き、日本シリーズでは西武ライオンズを破り球団史上初の日本一に輝きます。任天堂から発売されたファミコン用ソフト「スーパーマリオブラザーズ」が大ヒットし社会現象になりました。

1985年の阪神タイガース優勝

同年6月には詐欺事件として当時の最大の被害額を記録した「豊田商事事件」、8月には日本航空123便が御巣鷹の尾根に墜落し520名の死者を出した「日本航空123便墜落事故」など現在まで語り継がれる事件・事故も起こりました。

「かい人21面相」とは

「かい人21面相」から送られた脅迫文

「かい人21面相」はグリコ森永事件の犯人が名乗った自称です。江崎グリコ脅迫事件の際にマスコミ宛に送られた2通目の挑戦状から使用され始めます。最初の挑戦状では署名はなく封筒の差出人名には江崎社長の名前が使用されていました。

「かい人21面相」の名前は江戸川乱歩の探偵小説である「少年探偵団シリーズ」に登場する怪盗「怪人二十面相」に由来していると思われます。

日本犯罪史上初の劇場型犯罪

演劇や芝居に例えた「劇場型犯罪」

グリコ森永事件は日本初の「劇場型犯罪」だといわれています。劇場型犯罪とは演劇や芝居を演じるように犯人が振る舞い注目を集める犯罪を言います。主に世間を舞台にして、犯人が主役、警察や企業が相手役、マスメディアや世間の人々が観客であることが多いです。

「劇場型犯罪」のようなケースに遭遇したことのなかった日本の警察は、グリコ森永事件では捜査ミスを連発し犯人に翻弄されてしまいました。

グリコ森永事件以降も劇場型犯罪は増加の一途をたどっています。1988年の東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人の宮崎勤や、1997年の「酒鬼薔薇聖斗」を名乗る犯人による神戸市連続児童殺傷事件では犯行声明文がマスコミに送りつけられました。

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