小説ヲタクがおすすめするオールタイムベスト83冊

【真相に迫る】グリコ・森永事件とは?事件の経緯や影響、犯人像も解説

「グリコ森永事件ってなに?」
「かい人21面相って?」
「何が起こったのか知りたい!」

昭和を代表する大事件のひとつ「グリコ森永事件」。日本で初めての劇場型犯罪といわれ、マスコミを利用して世間を巻き込んだ犯人グループに警察はなすすべなく翻弄されます。結局警察は犯人グループを逮捕できず、2000年に時効を迎え未解決事件となりました。

犯人は自らを「かい人21面相」と名乗り、企業には脅迫状をマスコミや警察には挑戦状を送りつけました。さらには青酸ソーダ入りのお菓子が京阪神を中心にバラまかれ、その凶行に日本中が震撼しました。

この記事ではグリコ森永事件が起こった経緯と犯人像、事件が与えた影響やモチーフに使用された小説を紹介します。

グリコ森永事件とはなんだったのか?

事件の概要

江崎グリコ本社

グリコ森永事件とは1984年(昭和59年)から1985年(昭和60年)にかけて発生した食品会社を標的とする誘拐および脅迫事件です。江崎グリコ社長誘拐事件を発端として森永や丸大などの企業に向けて脅迫状が、新聞社に向けて挑戦状が送りつけられました。

やがて毒物入りのお菓子がコンビニやスーパーにバラまかれ始め、国民を巻き込みながら凶暴性を増していきます。その結果、全国の商店からグリコや森永のお菓子が姿を消すことになり、企業は大きな損害を受けました。

犯人グループの凶行が全国に渡ったため1984年4月12日に警察庁広域重要指定事件に指定されましたが、2000年2月13日にすべての事件において時効が成立します。警察庁広域重要指定事件としては初めての犯人逮捕に至らなかった未解決事件となりました。

当時の時代背景

バブル経済を象徴するビル群

グリコ森永事件が起こった1980年代の日本は日経平均株価が終値で初めて1万円を突破し、バブル経済の入り口に差し掛かっていたころでした。

1984年には新紙幣が発行され1万円札に福澤諭吉、5千円札に新渡戸稲造、千円札に夏目漱石の肖像画が採用されています。エリマキトカゲやオーストラリアから初上陸を果たしたコアラが大流行しました。

1985年には阪神タイガースが21年振りのセ・リーグ優勝に輝き、日本シリーズでは西武ライオンズを破り球団史上初の日本一に輝きます。任天堂から発売されたファミコン用ソフト「スーパーマリオブラザーズ」が大ヒットし社会現象になりました。

1985年の阪神タイガース優勝

同年6月には詐欺事件として当時の最大の被害額を記録した「豊田商事事件」、8月には日本航空123便が御巣鷹の尾根に墜落し520名の死者を出した「日本航空123便墜落事故」など現在まで語り継がれる事件・事故も起こりました。

「かい人21面相」とは

「かい人21面相」から送られた脅迫文

「かい人21面相」はグリコ森永事件の犯人が名乗った自称です。江崎グリコ脅迫事件の際にマスコミ宛に送られた2通目の挑戦状から使用され始めます。最初の挑戦状では署名はなく封筒の差出人名には江崎社長の名前が使用されていました。

「かい人21面相」の名前は江戸川乱歩の探偵小説である「少年探偵団シリーズ」に登場する怪盗「怪人二十面相」に由来していると思われます。

日本犯罪史上初の劇場型犯罪

演劇や芝居に例えた「劇場型犯罪」

グリコ森永事件は日本初の「劇場型犯罪」だといわれています。劇場型犯罪とは演劇や芝居を演じるように犯人が振る舞い注目を集める犯罪を言います。主に世間を舞台にして、犯人が主役、警察や企業が相手役、マスメディアや世間の人々が観客であることが多いです。

「劇場型犯罪」のようなケースに遭遇したことのなかった日本の警察は、グリコ森永事件では捜査ミスを連発し犯人に翻弄されてしまいました。

グリコ森永事件以降も劇場型犯罪は増加の一途をたどっています。1988年の東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人の宮崎勤や、1997年の「酒鬼薔薇聖斗」を名乗る犯人による神戸市連続児童殺傷事件では犯行声明文がマスコミに送りつけられました。

犯人像の推測

元グリコ関係者説

元グリコ関係者説

最初の江崎グリコ社長の誘拐事件の犯行の鮮やかさや、一般には知られていないグリコの関連会社などにも精通していたことからグリコの内情に詳しい人間の仕業ではないかと言われていました。

狙われた企業の社長は脅迫状では名字で名指しされていましたが、グリコの社長だけは名前で書かれていたことも犯人グループの中にグリコに恨みを持つものがいるのではと考える要因となっています。

また事件の起こる6年前の1978年にはグリコの常務に金を要求する脅迫テープが送られていたことも判明しています。その脅迫計画の内容が実際のグリコ森永事件と酷似していたことから、捜査本部はのちの事件の犯人と同一人物と断定していました。

株価操作説

株価操作説

江崎グリコ脅迫事件が起こる前の1984年1月時点でのグリコの株価は745円でしたが、事件の翌日には598円にまで下がりました。さらには事件の終息後に株価が回復することも予測でき、この事実を最初から知っていれば株の売買で大きな利益を得ることができたでしょう。

身代金の額が途方もない金額であったことや、受け渡しに現れなかったことも「株価操作説」であれば説明がつきます。捜査本部は事件に関係する企業の株の売買で目立った動きをしていたグループを徹底的に監視していたといいます。

被差別部落説

脅迫テープに収録されていた革用ミシン

被差別部落の関係者が犯人グループにいるとも言われていました。森永の脅迫に使用されたテープを分析した結果、被差別部落の人々が多く従事している革製品加工のミシンの音が録音されていたため犯人像に上がってきました。

被差別部落説は一橋文哉によるノンフィクション「闇に消えた怪人 グリコ・森永事件の真相」でも扱われ、高村薫のグリコ森永事件をモチーフにした小説「レディ・ジョーカー」でも触れられています。

北朝鮮工作員グループ説

北朝鮮の国旗

1997年7月4日付の産経新聞や週刊文春で、事件の犯人が北朝鮮の工作員グループではないかという内容の記事が掲載されたことが発端です。犯人として疑われたのは兵庫県の貿易会社の社長で、北朝鮮の非合法活動グループの黒幕とされていた人物です。

社長の近辺にキツネ目の男と似た男や江崎グリコの社長に恨みを持つ人物がいたことや、当時北朝鮮工作員による拉致事件が多発していたことも疑いを深めた要因となりました。

しかし首謀者とされた人物の声紋鑑定やキツネ目の男に似た人物の面通しなどの捜査の結果、事件とは無関係であった事が判明し捜査は打ち切られています。

元暴力団組長グループ説

タイプライター

1990年ごろに捜査線上に浮上したのが暴力団の元組長を中心としたグループでした。この元組長は過去に江崎グリコから5億円を脅し取ろうとして拒否された過去があり、事件の被害にあった企業の関係者から元組長の銀行口座へ3億円の振込があったことなど疑わしい点が多々ありました。

また犯行に使用されたのと同じ種類のタイプライターを所持していたことや1978年にグリコの常務に送られた脅迫テープに登場する人物とのつながりなど、最も疑いが濃く事件史上最大の捜査が行われました。

しかし物証は見つからず、主要なメンバーを事情聴取をするも誰も容疑を認めませんでした。その後アリバイも確認されたことから捜査は打ち切られました。

事件の一連の流れ

1984年3月18日―江崎グリコ社長誘拐事件

保護された江崎社長

1984年3月18日の夜9時ごろ、兵庫県西宮市の江崎グリコ社長宅に2人組の男が押し入り、社長の家族を拘束すると入浴中だった社長を拳銃で脅し誘拐しました。その後、控えていたもう一人の仲間と合流して車で逃走します。自力で拘束を解いた夫人により警察に通報されました。

日が変わった深夜1時ごろ、大阪府高槻市にある江崎グリコ取締役の自宅に犯人の男から指定の場所に来るようにと電話がありました。取締役が指定の場所に向かうと、身代金として現金10億円と金塊100kgを要求する脅迫が置かれていました。

この段階から兵庫県警と大阪府警による合同捜査が開始されます。犯人から指定された身代金の受け渡し場所に向かうも、犯人は現れませんでした。

監禁されていた安威川沿いの水防倉庫

その後事態は急展開します。誘拐から3日後の3月21日、監禁場所である安威川沿いの水防倉庫から自力で脱出した江崎社長が、向こう岸に見えた国鉄の貨物駅に助けを求め作業員に無事保護されました。

1984年4月2日―江崎グリコ脅迫事件

身代金6000万円

1984年4月2日に江崎社長宅に脅迫状が届きます。脅迫状には4月8日に指定の場所へ現金6000万円を持って来るよう記されていましたが、当日指定場所に犯人は現れませんでした。4月8日には犯人グループから毎日新聞とサンケイ新聞に警察の捜査を嘲笑った最初の挑戦状が届いています。

2日後の4月10日、大阪市西淀川区にある江崎グリコ本社と関係会社の車庫に止められた車が放火されました。脅迫グループと同一犯とみられ、出火直後に帽子をかぶった不審な男が逃げる姿が目撃されています。事態を重く見た警察庁はこの時点で広域重要指定114号事件に指定しました。

4月23日には2回目の挑戦状がマスコミ宛に送られ、この時から犯人グループは「かい人21面相」を名乗り始めます。内容も過激になり「青酸ソーダ入りのお菓子を2つバラまいた」というものでした。同日中には江崎グリコの監査役の自宅に1億2000万円を要求する脅迫状が届けられています。

毒物が混入

5月31日に3億円を要求する脅迫状が届き、犯人逮捕のため大規模な捜査体勢が敷かれました。その際受け渡し場所に現れた不審な男を拘束し一時は犯人逮捕かと浮足立ちますが、犯人グループに襲われ脅迫されていた一般男性だとわかりすぐに釈放されています。

その後6月27日に「江崎グリコゆるしたる」とマスコミに手紙が届き、江崎グリコへの脅迫は収束しました。

1984年6月22日―丸大食品脅迫事件

丸大食品本社

犯人グループは江崎グリコへの脅迫が落ち着く以前の1984年6月22日にターゲットを丸大食品に移し、「グリコと同じ目に合いたくなければ5000万円を用意しろ」と脅迫状を送りつけていました。

6月28日に犯人から電話があり、録音と思われる女性の声で指定場所に来るようにと指示がありました。通報を受けていた大阪府警の刑事が丸大の社員になりすまし指定場所に向かうと、国鉄高槻駅から電車に乗り白い旗が見えたら金の入ったバッグを窓から投げ落とすよう記された指示書を発見します。

目印となった白い旗

しかし白い旗は見つからず結局バックは投げ落とせずじまいでした。この電車の中で不審な動きをしていた「キツネ目の男」を刑事が発見し尾行しますが、電車を降りて雑踏に紛れてしまい見失ってしまいます。

7月に再び犯人から電話があり子供の声で指定場所に来るよう指示がありましたが、結局犯人は現れませんでした。

1984年9月12日―森永製菓脅迫事件

森永製菓

1984年9月12日、大阪市にある森永製菓関西販売本部に脅迫状が届きます。犯人グループは1億円を要求し、応じなければ青酸ソーダを入れた森永製品をバラまくと脅迫してきました。

9月18日に犯人から電話があり、録音された子供の声で指定場所に現金を置くよう指示を繰り返しました。指定場所に行くも犯人はまたも現れませんでした。その後、京阪神と愛知のスーパーやコンビニから不審な手紙の付いた森永製品が相次いで発見され、検査の結果青酸ソーダが検出されました。

これを受けて警察は10月11日に脅迫電話の音声と監視カメラ映像を公開し、広く情報を求めました。

1984年11月7日―ハウス食品脅迫事件

ハウス食品グループ大阪本社ビル

ハウス食品工業に脅迫状が届いたのは警察が情報公開してから1か月後の1984年11月7日でした。脅迫状には11月14日に1億円を用意し、指定されたレストランに車で待機せよと記されていました。犯人グループを逮捕するため警察はマスコミに対し人質事件以外では異例の報道協定を申し入れています。

指定された11月14日は捜査が犯人グループに最も近づいた日でした。犯人の指示により京都から高速道路に乗り滋賀県の大津PAまで向かった捜査員は「キツネ目の男」を3度にわたって目撃します。上からの指示により職務質問を禁じられていたため、この時も見失い逃げられています。

グリコ森永事件を報道する新聞

白い布を探すよう犯人に指示され大津PAから名古屋方面に車を走らせましたが、そこで犯人からの指示が途絶えてしまいやむなく捜査を打ち切りました。

大阪府警の刑事たちが白い布に到着する少し前、高速道路の下を通る一般道に止まる不審な車を滋賀県警の巡回中のパトカーが発見します。職務質問をするため警察官が近づくと不審な車は急発進して逃走し取り逃がしてしまいました。

1984年12月7日―不二家脅迫事件

不二家店舗

1984年の12月7日、犯人グループは不二家の労務部長の自宅に脅迫状を送り付け一億円を要求します。脅迫状にはテープと青酸ソーダが同封されていました。12月10日をもって報道協定は解除され、マスコミは滋賀県で犯人を取り逃がした警察を糾弾しました。

12月15日と26日に再び脅迫状が届き、指定のビルの屋上から2000万円をバラまくよう要求してきましたが不二家は従いませんでした。年の明けた1985年の1月10日に警察は「キツネ目の男」の似顔絵を公開し情報を求めました。

バレンタイン間近の2月12日と13日に東京と愛知で相次いで青酸ソーダ入りのチョコレートが見つかります。この事件では不二家だけに留まらず、グリコ、森永、明治、ロッテの製品も含まれていました。

1985年3月6日―駿河屋脅迫事件

駿河屋本店

バレンタインも終わった2月24日、犯人グループからマスコミあてに「森永ゆるしたろ」という手紙が届き森永製菓に対する脅迫が終結を迎えます。

しかし3月6日には、室町時代から続く和歌山県の和菓子店である駿河屋に5000万円を要求する脅迫状が届きます。しかし2日後の3月8日に受け渡しを延期する連絡が届き、それを最後に犯人グループからの連絡は途絶えました。

1985年8月7日、ハウス食品の事件時にあと一歩のところで犯人を取り逃がした滋賀県警の本部長が、退職するその日に公舎の庭で自身に火を放ち自殺をはかりました。遺書は見つかりませんでしたが動機は犯人を取り逃がしたことへの自責の念とも、全責任を負わされたことへの抗議とも言われています。

焼身自殺した滋賀県警本部長の葬儀

これを受けて犯人グループから「くいもんの会社いびるのもおやめや」と手紙が届き、グリコ森永事件は終結を迎えました。

2000年2月13日―事件の時効成立

時効が成立

1994年に江崎グリコ社長誘拐事件の公訴時効が成立します。これによって刑事責任を問うことが出来なくなるため捜査本部は縮小を余儀なくされました。

そして2000年2月13日0時をもって東京・愛知に青酸入りのお菓子をバラまいた事件の時効が成立。グリコ森永事件に関わるすべての事件の公訴時効が成立し、未解決事件となりました。

1 2

コメントを残す