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【年表付】飛鳥時代とは?当時の生活や服装、文化、出来事、人物まとめ

「飛鳥時代の始まりと終わりはいつ?」
「飛鳥時代の文化の特徴は?」
「飛鳥時代に活躍したのはどんな人物?」

飛鳥時代に関して、以上のような疑問をお持ちの方も多いのではないでしょうか? 「飛鳥時代」とは、豪族の連合政権だった大和政権が、ひとつ統一国家にまとまっていった時代です。大陸に出現した強大な国家「隋」に対し一歩も引かない対等外交を挑み、国内でも大きな改革が行われ中央集権国家である「日本」が誕生しました。

飛鳥時代の寺院「法隆寺五重塔」

そんな飛鳥時代とは、一体どのような時代だったのか?当時の人々はどんな生活を営んでいたのか?また、飛鳥時代にはどんな人物が活躍し、どんな出来事があったのか?そしてどのような文化が栄えたのか?など、飛鳥時代に関してわかりやすくお伝えしていきます。

なお「日本」という国号や、「天皇」という呼び方が使用され始めたのは、天武天皇の時代からとされていますが、本記事では煩雑さを避けるため、それ以前の時代に関する内容も「日本」と「天皇」の呼称で統一しています。予めご了承ください。

飛鳥時代とはどんな時代?

飛鳥時代はいつからいつまで?

飛鳥時代の都市があった「飛鳥京跡」

飛鳥時代は崇峻天皇5年(592年)、第32代崇峻天皇が暗殺され、推古天皇が第33代天皇として即位し幕を開けました。前の時代区分である古墳時代の終期が6世紀末~7世紀末と捉え方が幅広いため、見方によっては、飛鳥時代の初頭と古墳時代は末期は重なる場合もあります。

そして、和銅3年(710年)に都が平城京へと移されたことで、飛鳥時代は終焉を迎えました。つまり、現在の奈良県高市郡明日香村付近に相当する「飛鳥」の地(主に飛鳥板蓋宮、飛鳥宮、飛鳥浄御原宮、藤原京)に都が置かれていた崇峻天皇5年(592年)~和銅3年(710年)までの118年間が、飛鳥時代と呼ばれる時代区分になります。

この時代の特徴を一言で言うと?

大陸に出現した約300年ぶりの統一国家「隋」の支配領域

飛鳥時代の特徴を一言で表すならば、「日本国が完成した時代」と言えます。もちろん、それ以前から天皇(当時は大王(おおきみ)と呼ばれていた)を中心としたヤマト王権は存在していたのですが、あくまで各地の豪族から成る連合政権であって、ひとつにまとまった「中央集権国家」ではありませんでした。

飛鳥時代は、大陸に「隋(ずい)」という強大な統一国家が約300年ぶりに出現したことで、日本はいつ隋に飲み込まれてもおかしくない状況でした。そこで、隋から文化や制度を学びつつも、互角に渡り合えるよう日本を独立した先進国に押し上げんとし、それを成し遂げた時代が飛鳥時代なのです。

古墳時代との違いは?

古墳時代の象徴「前方後円墳」

古墳時代と飛鳥時代の違いは大きく分けて2つあります。ひとつは前述の通り、連合政権だったヤマト王権が「日本」という中央集権国家として、ひとつにまとまったことです。

そしてもうひとつは、古墳時代の最大の特徴であった前方後円墳が作られなくなったことが挙げられます。西暦538年(552年説もあり)に日本へ仏教が入ってきたことで、各地の豪族は「氏寺(菩提寺)」を持つようになり、祭祀の場が前方後円墳から氏寺へと移っていきました。また大化2年(646年)には、墓の大きさを規定する「大化の薄葬令」が発布され、飛鳥時代には前方後円墳が作られなくなっていきました。

奈良時代との違いは?

奈良時代の「平城京跡」

飛鳥時代と奈良時代の最も大きな違いは都の場所です。飛鳥時代の都が現在の奈良県高市郡明日香村付近にあったのに対し、奈良時代は現在の奈良県奈良市の一部と大和郡山市の一部にあった「平城京」に都が置かれていました。

また、飛鳥時代は「日本を中央集権国家にするため、様々な改革を行い完成させた時代」、一方の奈良時代は「中央集権国家として、実際に国家運営が始まった時代」です。人物の面では、飛鳥時代には「蘇我氏」が大きな権力を持っていましたが、奈良時代に入ると「藤原氏」が台頭してきます。

飛鳥時代の人々の暮らし

飛鳥時代は今からだいたい1400年前です。当時の人々がどのような生活をしていたのか見ていくことにしましょう。

当時の服装や髪型はどうだった?

飛鳥時代の男性の服装

飛鳥時代になると、これまで以上に大陸文化が日本に流入し始めたため、その影響を強く受けることになります。当時の服装は不明な部分が多いものの、位の高い人物は「朝服(ちょうふく)」を着ていたと考えられています。男性は頭に冠をかぶり、上半身は袍(ほう)と呼ばれる裾の長いゆったりとしたものを着用し、下半身には袴を履いていました。女性の服装は、足元まで隠れる長いスカート状のものを着用し、袖もゆったりしていて、肩からスカーフのようなものをかけていたと推測されます。

また、男性の髪型は古墳時代の美豆良(みずら)から、「髻(もとどり)」に変化していきました。髻は冠を被るための髪型で、頭上で髪を結っていました。女性は、ストレートの髪を下ろした「宝髻(ほうけい)」、頭上で結ったアップスタイル「双髻(そうけい)」の2種類があったとされています。

食事は階級によって大きく違った

身分の高い豪族が食べていた「アワビ」

飛鳥時代の食事は身分によって異なります。身分の高い豪族はタイ、アワビ、アユなどの魚介や干し肉など様々なものを食べ、栄養状態も良好だったとされています。ランクの低い役人は玄米を主食とし、他には味噌汁や野菜の塩漬け、酢の物を食べていたようです。また、お酒を嗜むこともありました。

一方、庶民は弥生時代からさほど変わらない食生活だったとされ、玄米に塩、海草の味噌汁、茹でた青菜や山菜などを食べていました。庶民の栄養状態はかなり悪かったようです。

農民は竪穴式住居での暮らし

竪穴式住居のイメージ

飛鳥時代は身分によって住む家にも大きな差があり、庶民たちは弥生時代や古墳時代と変わらず竪穴式住居で暮らしていました。一方で身分の高い人は、複雑な柱の組み合わせからできた立派な建物に住んでいました。

竪穴式住居と言うと、縄文時代や弥生時代の住居をイメージしがちです。しかし、平安時代頃までの一般庶民は竪穴式住居で暮らしていたのです。

飛鳥時代を代表する人物

飛鳥時代になると、歴史の授業でもお馴染みの人物がたくさん登場してきます。以下より、この時代を特に代表する人物を簡単に見ていきましょう。

聖徳太子

日本の礎を固めた「聖徳太子

現代にいたるまで、日本の歴史を通して多くの日本人の心の拠り所になり続けている偉人。昨今では「厩戸皇子(うまやとのみこ)」と称されることもあります。

冠位十二階や憲法十七条の制定、遣隋使の派遣など多くの改革を実行し、後に中央集権国家となる日本の礎を築きました。大陸との対等外交を目指し、隋の煬帝(ようだい)にあてた「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや」から始まる国書はあまりにも有名です。

推古天皇

日本初の女帝「推古天皇」

第33代天皇で日本における史上初、さらには東アジアでも史上初の女帝。第29代欽明(きんめい)天皇の皇女なので男系の女性天皇です。前代の崇峻天皇が後継者を決めぬまま崩御したため、後継者争いを避ける目的で女性の天皇を擁立したとされています。聖徳太子を摂政とし、蘇我馬子らと改革を推し進め日本の独立を守りぬきました。

蘇我馬子

蘇我馬子の墓と伝わる石舞台古墳

敏達天皇、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇の4代に仕えた人物。約54年にわたり権勢を振るい続け、蘇我氏の全盛時代を築きました。権勢を振るい、不仲となった崇峻天皇を暗殺するという悪行の後、政治的理由から推古天皇を擁立したりもしていますが、聖徳太子とともに多くの改革を進めた人物です。

小野妹子

小野妹子の墓と伝わる妹子廟

遣隋使の1人として隋へ赴いた人物。「妹子」という名前ですが男性です。「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや」の国書は妹子が携えていたとされています。なお、妹子が隋への使節になったのは2回目の遣隋使で、それ以前に1度使節が派遣されています。

中大兄皇子

乙巳の変で蘇我入鹿を討った「中大兄皇子」

乙巳の変(いっしのへん)で蘇我入鹿を討ち、大化の改新を行った有名な人物です。後の第38代天智(てんぢ)天皇。国土防衛のため防人(さきもり)を設置、日本初の戸籍(庚午年籍)を作成するなど、中央集権国家に向けて多くの改革を行いました。なお、百人一首の一番初めに集録されている和歌は、中大兄皇子(天智天皇)のものです。

中臣鎌足

乙巳の変の首謀者の一人「中臣鎌足」

中大兄皇子とともに乙巳の変を主導した人物。一説によると、蹴鞠をしていた中大兄皇子の靴が脱げ、たまたま鎌足の前に落ちたことで知り合いになったと言われています。そして蘇我氏の専横を憂い意気投合し、大化の改新へと突き進んでいきました。晩年には「藤原」の姓を賜い、その子孫が藤原一族として大いに繁栄していくことになります。

蘇我入鹿

蘇我入鹿の首塚

飛鳥時代に絶大な権力を持っていた蘇我氏の一人。蘇我馬子の孫にあたる人物です。その権力を背景に政権内での地位を確固たるものにしたものの、専横が過ぎたために乙巳の変で討たれることになってしまいました。これまでは悪役として印象が強かったのすが、昨今では先進的な考えを持っていた人物として、見直しが進められています。

額田王

額田王の歌碑

名前は「ぬかたのおおきみ」と読みます。女性皇族であり歌人。天武天皇の妃となり十市皇女を授かりました。絶世の美女としても名高く、天武天皇の兄、つまり天智天皇(中大兄皇子)の寵愛も受けたと言われています。歌人としての才能にも恵まれ、その和歌は万葉集にも採用されています。

柿本人麻呂

飛鳥時代を代表する歌人「柿本人麻呂」像

名前は「かきのもとのひとまろ」と読みます。歌人として有名な人物です。和歌の名人を集めた三十六歌仙の一人に名を連ね「歌聖(うたのひじり)」と讃えられた名歌人。その和歌は万葉集や百人一首にも選出されており、万葉集における最大の歌人とも称されています。

天武天皇

初めて天皇の称号を用いた「天武天皇」

第40代天皇。日本古代史で最も大きな争いと言われる壬申の乱に勝利し、天皇を中心とした体制を作り上げ、日本を古代の先進国に押し上げた名君です。現存する日本最古の歴史書である古事記と日本書紀の編纂を命じたのも天武天皇でした。また、国名を「日本」としたのも、「天皇」という呼称を用いたのも、天武天皇が始まりとされています。

持統天皇

天武天皇の皇后で女帝「持統天皇」

第41代天皇。天武天皇の皇后で、日本史上3人目の男系女子の天皇です。天武天皇、持統天皇の治世は、天皇の政治権力が絶頂期に達した時期でした。初めて火葬された天皇としても知られてます。

飛鳥時代の文化の特徴

飛鳥時代の文化は大きく分けて「飛鳥文化」と「白鳳文化」の2つがあります。それぞれの文化の特徴、建造物や遺物を見て行きましょう。

飛鳥文化とは?

飛鳥寺釈迦如来像(飛鳥大仏)

飛鳥文化は飛鳥時代の前半、主に推古天皇の治世で栄えた文化を指します。当時の宮殿が置かれていた場所にちなんで「飛鳥文化」と呼ばれています。当初、蘇我氏などの一部の豪族にしか浸透していなかった仏教が、国の保護を受けて広く浸透していったことで、日本初の仏教文化が花開きました。これが飛鳥文化の最も顕著な特徴です。

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