【年表付】飛鳥時代とは?当時の生活や服装、文化、出来事、人物まとめ

飛鳥時代の文化の特徴

飛鳥時代の文化は大きく分けて「飛鳥文化」と「白鳳文化」の2つがあります。それぞれの文化の特徴、建造物や遺物を見て行きましょう。

飛鳥文化とは?

飛鳥寺釈迦如来像(飛鳥大仏)

飛鳥文化は飛鳥時代の前半、主に推古天皇の治世で栄えた文化を指します。当時の宮殿が置かれていた場所にちなんで「飛鳥文化」と呼ばれています。当初、蘇我氏などの一部の豪族にしか浸透していなかった仏教が、国の保護を受けて広く浸透していったことで、日本初の仏教文化が花開きました。これが飛鳥文化の最も顕著な特徴です。

飛鳥文化を代表する建造物など

法隆寺

現存する世界最古の木造建築「法隆寺西院伽藍」

聖徳太子と推古天皇により建立された仏教寺院。別名「斑鳩寺(いかるがでら)」。607年に創建されたものの、670年に一度焼失し、現在の姿はその時に再建されたものという説があります。寺院の一部は現存する世界最古の木造建築であり、ユネスコの世界文化遺産にも登録されています。明治時代の俳人 正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の句でも有名です。

飛鳥寺

蘇我氏の氏寺「飛鳥寺」

588年、蘇我馬子によって建立がスタートした日本で初の本格的な仏教寺院。もともとは法興寺という名で蘇我氏の氏寺(菩提寺)でもあります。蘇我馬子がその権力の大きさを誇示するために創建したと言われています。

四天王寺

聖徳太子が創建した「四天王寺」

聖徳太子が創建した寺院のひとつ。飛鳥寺(法興寺)と並び、日本最古級の仏教寺院として伝わっています。百済より招かれた宮大工たちによって建てられたとされ、その内の一人である金剛重光が創業した「金剛組」は、江戸時代まで四天王寺専門の宮大工として代々活躍してきました。この金剛組は約1400年前に創業した世界最古の企業として、現在も活動しています。

法隆寺金堂釈迦三尊像

国宝「法隆寺金堂釈迦三尊像」

「ほうりゅうじこんどうしゃかさんぞんぞう」。法隆寺金堂のご本尊。国宝。諸説あるものの聖徳太子の病気平癒を願って造立されたとも言われていますが、完成したのは太子が亡くなった1年後でした。また、聖徳太子の等身を模して造られたとも言われています。

救世観音菩薩立像

秘仏「救世観音菩薩立像」

「くぜかんのんぼさつりつぞう」。法隆寺夢殿のご本尊。明確な造立年代は不明ですが、日本に現存する最古の木造彫刻のひとつと言われています。聖徳太子の姿を模した秘仏とされ、その姿が明らかになったのは明治時代に入ってからでした。現在でも一般公開はされておらず、特別なご開帳期間にのみ、その姿を目にすることができます。

三経義疏

聖徳太子の直筆と伝わる「三経義疏」

「さんぎょうぎしょ」。聖徳太子の直筆と伝わる仏教の注釈書。法華経(ほけきょう)、勝鬘経(しょうまんきょう)、維摩経(ゆいまきょう)の3つの経典について書かれており、聖徳太子が仏教に深い理解を持ていたことがわかる貴重な遺物です。

天寿国繡帳

聖徳太子を追悼するために作成された「天寿国繡帳」

「てんじゅこくしゅうちょう」。聖徳太子を追悼するために作られた工芸品。国宝。本来は縦2メートル、横4メートルほどの帳2枚を横に繋げた巨大な刺繍だったとされていますが、現存するのは一部分のみとなっています。飛鳥時代の染織工芸、絵画、服装、仏教信仰などを知るうえで非常に貴重な遺物です。

1 2 3 4

コメントを残す