武者小路実篤はどんな作家?生涯・年表まとめ【功績や作品、名言についても紹介】

1936年 – 51歳「実篤、ヨーロッパ旅行に出発」

新しい体験が皮肉にも実篤を戦争支持者にしてしまう

ベルリンオリンピックを観戦

旅客機が飛んでいなかった時代に実篤は船でヨーロッパ旅行へと出発します。実篤は朝日新聞社から依頼を受けて、ベルリンオリンピックを観戦。日本女性として初めて金メダルを獲得した前畑秀子の平泳ぎもその目で見た実篤は、臨場感たっぷりの記事を日本へと送りました。

また、美術鑑賞もこの旅行の大きな目的の1つで、パリではピカソを始めとする芸術家たちに会い、刺激を受けたということです。

人生で最初で最後の海外旅行をした実篤は、このときに黄色人種ゆえの心無い扱いを受けました。このとき感じた屈辱が忘れられず、実篤は外国との戦争を肯定するようになっていき、第2次世界大戦中には戦争協力をしてしまうのです。

二・二六事件

実篤がヨーロッパ旅行に出発する2カ月前に、東京で起こったのが陸軍青年将校たちによる二・二六事件でした。不景気で苦しむ庶民をよそに、富める者だけがもっと豊かになる社会を変えるべきだと、青年将校たちがクーデターを起こそうと試みたのです。

彼らは昭和維新のスローガンをかかげ、腐敗した内閣を排除して天皇が直接政治を行うことを目指しました。この事件をきっかけに陸軍は団結、公然と政治にも介入してくるようになったのです。

こうして日本では軍部が力を増し、国を上げて戦争に向けて進んでいきました。外国で屈辱を感じた実篤が日本に帰ってきたときに、戦争支持者になったとしても不思議はありませんでした。

1946年 – 61歳「実篤、公職追放となる」

実篤が晩年を過ごした調布市・写真は深大寺

雑誌・心の創刊

実篤の戦争協力は主に日本文学報国会に加入していたことだと言われています。しかし、この会には実篤以外にも多くの作家が加入していました。実篤は支部長まで務めたために、やり玉に上がってしまったのかもしれません。

また、新しき村を作った実篤は共産主義者だと疑われていたこともあり、疑いを晴らしたいと思う気持ちから、積極的な戦争協力をしたのかもしれません。

しかし公職追放となっても、実篤は前向きだったと思われます。雑誌・心の創刊がそれを表しているようです。それぞれの個性を認め、違う個性に教わることがあるだろうとする実篤はそれを裏付けるように「真理先生」を連載しました。読む人は、自分の生き方を肯定できる真理先生に救われたことでしょう。

公職追放の解除と文化勲章受章

前向きな活動が再び認められたのか、実篤は1951年には公職追放が解除となり、文化勲章も受賞します。穏やかで大きな心にたどり着いた実篤は、盛んに野菜の絵に一言を添えた色紙を描きます。これはとても有名になり、戦後の一時期、多くの家庭に飾られていました。

武者小路実篤と言えば、野菜の絵の色紙を描く人のイメージはこのときに定着したのです。その後1955年、70歳のときに調布市に移住。亡くなるまでの20年間を過ごします。調布の自宅が現在は調布市武者小路実篤記念館として公開されています。母屋は2017年に登録有形文化財となりました。

1976年 – 90歳「実篤、死去」

八王子中央霊園に建つ実篤の墓石

90年の生涯に悔いはなかった?

4月9日、東京狛江市の東京慈恵会医科大学付属第3病院にて死去。死因は尿毒症と言われています。尿毒症は、腎臓の機能が低下することで老廃物を尿として排出することができなくなってしまう症状です。尿毒症になると心臓や肺にもさまざまな症状が表れます。

実篤は1月に脳出血を起こしていますから、それが結果的には尿毒症に結びつき、命を落としたのでしょう。しかし実篤はすでに90歳でしたから、それも仕方のないことだったのかもしれません。

実篤は東京都八王子市の中央霊園と、埼玉県入間郡の新しき村の納骨堂の2箇所に葬られています。

志賀直哉の死

1971年、実篤よりも一足早く志賀直哉が肺炎と老衰のために亡くなります。当時すでに86歳だった実篤は葬儀に駆けつけ、弔事を読みますが、悲しみのあまり声が細く、周りの誰にも内容が聞き取れなかったそうです。

私生活では癇癪持ちで、妻に手を上げることもあったという志賀でしたが、実篤との友情は大切にしていました。手作りの杖を贈った逸話からもそれがわかります。見送らなくてはならなかった実篤の悲しみはきっと深いものだったでしょう。

武者小路実篤の関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

人生は楽ではない。そこが面白いとしておく。

素朴な絵に添えられた言葉に思わず唸ってしまうかもしれません。じゃがいもを8個お盆の中に置いて、仲間と書いてあるなど、じわりじわりと心に染み込んでくるような気がします。

また、最終ページに使われているジャンプをする78歳の実篤の姿には、驚きとともに心が温かくなるのを感じます。

何度眺めても、飽きないし、元気が出て来る作品です。

真理先生

戦後間もなく作られた作品です。家族も金も持たない(妻には逃げられているし、仕事もしていないのです)真理先生に周りの人たちが惹かれていきます。

真理先生のような人に普通なら惹かれるはずはないと思いますが、読み進めるうちに先生の個性を認め、その良さがわかるようになっていきます。

この作品を読んでいると、それぞれの個性を認めながら、自分が幸せに生きるにはどうすれば良いのかを真剣に考えてみたくなります。

関連外部リンク

武者小路実篤についてのまとめ

武者小路実篤の人生について、功績や生涯年表だけでなく、戦争協力などの影の部分や都市伝説も交えて解説してきました。彼の人生を知ることで、もっと作品が心に染み込むようになるはずです。

ぜひ、初期の作品から通して読んでみて下さい。きっと彼の作品が時代とともに、変化して進化を遂げていることがわかります。

最近は好むと好まざるとに関わらず、1人で過ごすことが増えましたが、実篤の小説や絵は私たちの心を癒やし、穏やかにしてくれるはずです。そして何歳になっても、新たなチャレンジを怖がらなかった実篤に勇気ももらえると思います。

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