楠木正成の功績
功績1「日本開闘以来の名将といわれたこと」
少し前述しましたが、江戸時代に『古今軍理問答』では、『保元物語』『平治物語』『平家物語』『甲陽軍鑑』なども論じていますが、それらの主要人物である源義朝・源義経・武田信玄・上杉謙信などを差し置いて、正成を「日本開闢以来の名将」の異名で呼んでいます。
理由は「個人の将として優れているのは越後の上杉謙信、技術で優れているのは武田信玄としつつも、戦国時代の軍法は小競り合いの類である。小事を知るには良いが、源義経・楠木正成・新田義貞の軍法の後に本当の合戦というのは存在しない」という評価を江戸時代の陽明学者がしていたからでした。
功績2「皇国忠臣の英雄とされたこと」
楠木正成は皇国史観に基づき、「忠臣の鑑」「日本人の鑑」といわれました。皇国忠臣の思想は南朝の北畠親房が記した歴史書「神皇正統記」が元となり、万世一系とする天皇の国家統治が理想とされた考え方です。この書は南朝の北畠親房が書いてあるのも相まって、南朝の正統性を記していました。
この思想は江戸末期に尊王攘夷論として発展していき、明治時代には正式に南朝が正統とされました。それに伴い、江戸時代までは朝敵とされていた楠木正成が、変わって英雄とされていきました。第二次世界大戦の頃には、「皇国史観」として国粋主義として発展していき、帝国主義を支えるイデオロギーと発展していった一面があります。
功績3「商人であり延臣でもある器用な武士の姿を体現したこと」
楠木正成は非常に戦略に優れ、義にも厚い武将であると同時に、近年商工経済のルートやネットワークを駆使していたこともわかってきています。また建武の親政の時には、記録所の寄人(職員)に抜擢されています。他の官僚の顔ぶれからかなりの実務官僚の手腕があったのではないかと推定されています。また修験道者でもあったという、色々な顔を持つ人物だったといわれています。
分からないことの多い楠木正成ですが、それだけ歴史の表舞台からは遠い世界に最初はいたために、色々な経験を積むことによって後の「楠木正成」に繋がっていったといえるのではないでしょうか。
楠木正成の名言
正成1人が生きている限り、あなた様の運は必ずや開けましょう
楠木正成の武士としての気概を感じる一言です。数十倍の軍勢に立ち向かう正成の実力があってこそなお際立つ一言といえます。
良将は戦わずして勝つ
これは中国の「孫子」という兵法に載っている言葉を引用したといわれています。1332年の赤坂城の戦いにおいて敵を驚かすだけで撤退させることに成功し、言葉通り一戦も交えずに城を取り返したといいます。
大なる知恵も細なる知恵もなくてはかなわぬ
大将とは大きな知恵も小さな知恵も持たなけれなならないのだ。磨き続けないと正しい知恵は出てこないと解いています。この考え方は、正成の戦法の強い武器となったことでしょう。
楠木正成の人物相関図
楠木正成にまつわる都市伝説・武勇伝
都市伝説・武勇伝1「実は後醍醐天皇の夢が取り立てられるきっかけとなった」
楠木正成は後醍醐天皇の夢がきっかけで、取り立てられたといわれています。内容は後醍醐天皇が笠置山でうたた寝ををしている時に、夢の中で大きな木があり、下に官人が位の順に座っていたけれども南側の上座だけが誰も座っていなかったそうです。天皇は誰の席か不思議に思っていると、童子が来て「ここはあなた様の席です。」と言っていなくなってしまったという夢でした。
目覚めた天皇が夢の意味を考えていると、「木」と「南」を合わせると「楠」となるためにこのあたりに「楠」という武士はいるかと下問すると、河内に橘諸兄の子孫「楠木正成」という武士がいると答えたそうです。天皇はすぐに楠木正成を呼び寄せ、取り立てたという伝説が残っています。
都市伝説・武勇伝2「七生七滅の罪状と七生報国の精神」
「太平記」によると自害すると前に、楠木正成は弟の正季に次に生まれ変わるときは何になりたいかと問うと、正季はからからと笑って「7度人間に生まれ変わって朝敵を倒したい」といったといいます。それを聞いた正成は満足げな様子で、「なんとも罪深い邪悪な考えだが私もそう思う。さらばだ、私も同じように生まれ変わり、滅族の本懐を果たそう」と答えて刺し違えたといわれています。
こうして「七生滅賊」という仏教的に罪深い思想に囚われた正成は、後巻で怨霊として再登場して室町幕府を呪い最後は僧侶が唱える「般若心経」で調伏されたという結末となっています。しかし、この話も明治時代には「七生報国」と美談になり、軍国主義に利用されることにも繋がりました。
都市伝説・武勇伝3「楠木正成の怨霊伝説」
楠木正成は儒教的には三徳兼備の聖人であるけれども、仏教的には「七生滅賊」の罪業を願った悪人といわれていました。「太平記」に怨霊として楠木正成が出ています。内容は以下の通りです。
正成を討った大森盛長は猿楽を嗜む一族でもあり、ある日盛長が猿楽に向かっていると山脇の細道で美女に会いますが、口が裂けて角が生えた怪物に変わりました。この時は抵抗して女は消えましたが、猿楽は中止になりました。
しかし後日猿楽を再開したときに再び化け物が現れ楠木正成と名乗り、朝敵滅賊の野望を果たすために修羅の眷属となり、「貪」「瞋」「癡」の三毒の魔剣を探し求めていると明かしたのです。この後は後醍醐天皇や護良親王らも現れ大きな戦いとなりますが、最後は盛長の縁者の禅僧が「般若心経」により調伏したとされるところで物語は終わっています。
凄く分かりやすかった