楠木正成とはどんな人?生涯・年表まとめ【戦術や名言、子孫まで紹介】

楠木正成の生涯年表

13世紀~14世紀頃「日本開闢以来の名将、生を受ける」

楠木正成は修験僧でもあったという

生まれた年も場所も不明ですが、「日本開闢以来の名将」は生を受けました。生まれた場所は河内国か、駿河国という説が有力です。いつから河内国に住んでいたかははっきり分かりませんが、河内国の観心寺で仏学を学んだといいます。

1322年 「摂津国の渡辺党など三氏を討ち、阿弓河荘を与えられる」

幕府は楠木正成が反逆を起こさないか恐れていた

北条高時の命令で、摂津国の要衝淀川河口に居する渡辺党を討ち、紀伊国安田庄司湯浅氏を殺害し、南大和の越智氏を撃滅していています。これにより楠木正成が正史に名前が出てくるようになります。これにより正成は、阿弓河荘を与えられました。正成の三氏討伐に六波羅は感嘆をあげ、そして恐れたといい、世間に強烈なインパクトを与えました。

1331年 「元弘の乱が起こる」

元弘の乱の時幕府側執権の北条高時

後醍醐天皇は笠置山にて挙兵し、朝廷対幕府軍の元弘の乱が起こりました。正成は幕府の官人でしたが後醍醐天皇の倒幕に加担しました。正成は笠置山参行したため、幕府は怒って所領の和泉国若松荘を「悪党楠木兵衛尉跡」として没収しています。

赤坂城の戦い

楠木正成の戦いを再現した人形

笠置山の赤坂城に立てこもった楠木正成軍と、幕府軍が対峙した戦いが起きます。幕府軍が30万騎だったのに対し楠木軍は、500騎だったといわれています。圧倒的な兵力差ですぐ勝負がつくと思われましたが、正成の卓越したゲリラ戦でとにかく耐え抜いています。1か月程の籠城に耐え、同じく陣にいた護良親王と正成は城を捨て逃亡し、半年ほど消息不明となりました。

1332年「再び挙兵し赤坂城を奪回する」

所縁深い河内国を取り戻している
出典:Wikipedia

半年経った翌年に楠木正成は挙兵し、生きていたことを世に示しました。赤坂城を奇策をもって城を奪いその勢いで河内・和泉を制圧しています。討伐に乗り出した六波羅も奇襲により撃退しました。

千早城を攻略する

新田義貞

楠木正成は千早城に籠城し、幕府軍を迎え撃ちました。後醍醐天皇もこの時に隠岐から脱出しており、正成が千早城で幕府軍を釘付けにしている間に新田義貞が鎌倉幕府を滅ぼすことに成功しています。その功績もあり、後醍醐天皇が京を凱旋した時には警護を任されました。

建武の新政で取り立てられる

「三木一草」の一人、千種忠顕

倒幕の功績が認められ、後醍醐天皇より記録所寄人、雑訴決断所奉行人、検非違使、河内・和泉の守護、河内守(国司)に任じられています。その他にも多くの所領を与えられました。正成は建武の新政において後醍醐天皇の絶大な信任を受け、結城親光、名和長年、千種忠顕とあわせて「三木一草」と併称されて、「朝恩に誇った」とされます。

1335年「足利尊氏が朝廷から離反、豊島河原合戦で戦う」

豊島河原合戦で勝利を治めるも、正成は足利尊氏と共に九州へ付き従う武士を見て状況を悟ったという

建武の新政への武士の不満が募り、足利尊氏が朝廷より離反し鎌倉で挙兵しました。足利軍は当初戦闘有利に進み、京まで攻めてきましたが、楠木正成の活躍により豊島河原合戦に勝利し、足利軍を京から九州に駆逐しています。

決戦前夜息子正行と「桜井の別れ」をする

桜井の別れ画像(大正時代作)

後醍醐天皇の勅によって出陣を命じられて、兵庫に下向しています。その際の道中、息子の正行に「今生にて汝の顔を見るのも今日が最後かと思う」と述べ、桜井の宿から河内へ帰したといいます。これが後に「桜井の別れ」といわれました。「太平記」の名場面の一つとして、国語の教科書にも載っていた戦前教育では有名な場面だったといいます。

湊川の戦いで生を終える

湊川で激動の生を終えた

湊川で新田・楠木軍と足利軍が対峙し戦となりました。最初は互角に戦っていたのですが、細川水軍の奇襲により足利軍優勢となり、最後は敗北を悟り、弟の正季と刺し違えて自害し生涯を閉じました。その清廉した人格に、敵である足利尊氏も敬意を払ったといわれています。

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関連外部リンク

楠木正成についてのまとめ

いかがでしたでしょうか。筆者は今回楠木正成を執筆していて、自分が知っていた内容以上に深い人物で、新しい視点が開けた感覚です。執筆するまで、「戦争時代に英雄視されていた」というイメージが先行していて、戦国時代の武将より馴染みが薄い印象を持っていました。

今回の執筆で知ったことは、「大楠公」は非常に清廉な人格の義に厚い強い武将だったということです。戦国大名とはフィールドが違うために、戦う戦法も「合戦」ではなく「戦争」だなと感じています。とても器用で何でもこなす人物だったということも知って新鮮でした。まだ貴族の血縁が強い時代に、自分の力で出世した武士の走りなのではないかと感じています。この記事を読んで少しでも「楠木正成」に興味を持っていただけたら嬉しく思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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