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ニューディール政策とは?内容や成果を分かりやすく簡単に解説

第2次ニューディール政策

改革を断行したルーズベルトは身体障がい者で、普段は車椅子に乗っていた

矢継ぎ早に行われた第1次ニューディール政策によって出てきた不満を解消するために実施されたのが第2次ニューディール政策です。

先に行われた第1次ニューディール政策は主に雇用の保障と経済・金融政策の安定を図る法案がメインとなっていました。しかし、富裕層との貧富の格差是正や社会保障という面では脆弱で、議会でも右派・左派を問わず不満の声が上がっていました。

また、市民からもこれらの改善を求める声が複数出ていることに直面したルーズベルトは、第1次ニューディール政策から方針転換を迫られることとなりました。

ここからは1935年以降、戦争に突入するまでの第2次ニューディール政策について迫っていきます。なお、先にお話した全国労働関係法、第2次農業調整法に関してはすでに説明しているため割愛します。

労働者の保障から失業者の雇用へ

雇用促進局のポスターのうちの1枚

第1次ニューディール政策と大きく変わった点として、労働者の各種保障の充実から、失業者への雇用への方針転換があります。その理由として、第1次ニューディール政策で違憲判決を下された全国産業復興法の代替案がきっかけになっています。

ルーズベルトは、失業者をないがしろにしていたわけではありませんでした。むしろ、テネシー川流域開発公社や市民保全部隊の創設で、積極的に失業者の雇用を促してきました。しかし、それだけでは十分な雇用創出につながらず、市民からは不満の声も上がっていました。

雇用促進局のあっせんで就労する市民

雇用創出のため、ルーズベルトは新たな公社として雇用促進局を設立します。公共事業促進局とも呼ばれるこの公社は、その名の通り失業者の新たな雇用創出のために開設されたものでした。従来のダム建設のみならず、インフラ整備や空港や高速道路といった公共事業にも従事させる目的で、延べ850万人の雇用を創出しました。

もちろんブルーカラーと呼ばれる肉体労働者の支援だけではありませんでした。予算は全体の10%ほどでしたが、作家や研究者、芸術活動をするホワイトカラーにもその手は差し伸べられたのです。

雇用促進局は1943年、第二次世界大戦の軍需産業の拡大に伴う失業者の激減を受けて解消されました。

貿易方針の変更

第2次ニューディール政策は対外関係、とりわけ貿易に色濃く影響を与えました。

政策前の各国のブロック経済事情

それまでアメリカの利益を追求し実施されていた保護貿易から、ルーズベルトは自由貿易への転換を議会の承認をもって決定されます。これにより、世界恐慌の対策として行われてきたブロック経済のうち、米ドル・ブロックが事実上終了。他国からの輸入に関しても関税を設けずに国内にものが入ってくるようになったのです。

しかしすべての税がなくなったわけではなく、大統領権限による税率変更がなされました。自国の産業を守りつつ、海外から入ってくる物品を国内に流通させることで、市民の購買意欲を促進しようとしたのです。

では、どのようにして税率が決定されたのでしょうか。当時は輸入する側、輸出する側で結ばれた条約によりその権限の持ち主は違いました。日本史で言うところの関税自主権の問題です。

保護貿易と自由貿易の図解

ルーズベルトはこれを撤廃し、互恵通商協定を貿易相手と結ぶことを決定します。互恵通商協定とは関税をはじめとする貿易に関わる税率を輸出する側と輸入する側の交渉によって決定するものです。これにより対等な貿易を実現することができ、両国間の利益・不利益をできるだけなくすことができるようになりました。

結果としてアメリカ国内の産業を守りつつ、海外からの輸入による比較的安価なものがアメリカ市場に出回ったことで購買意欲はやや上昇傾向に転じました。

ニューディール政策の成果はどうだったのか

ルーズベルト自体の人気は高く、アメリカ史上はじめて4期当選を果たした

成果の出たもの、出なかったものとさまざまな政策が入り混じっているニューディール政策。では、この政策は成功だったのか、はたまた失敗したのか、どちらだったのでしょうか。

実はこれに関しては現在も議論されており、両主張が譲らない状態となっています。その理由は「何をもって成功・失敗とするのか」が曖昧な点にあります。基準が明確ではないため、この議論に終止符が打たれるかは微妙なところですが、では成功したと主張する側と失敗だったとする意見にはどのようなものがあるのでしょうか。

本章では双方の意見をご紹介します。あらかじめお断りしておきますが、ここで成功・失敗の結論を出すものではありません。あくまでも有識者による意見だということを念頭に置いてこの続きをお読みください。

成功したという意見

特に成功したという意見で強調されるのは銀行の救済策です。まず第一にルーズベルトが取り組んだ政策のひとつであり、この迅速な対応によって取り付け騒ぎは収束に向かいました。

ニューディール政策は成功したと主張する中野剛志氏

日本の経済産業省官僚である中野剛志は、著書『レジーム・チェンジ-恐慌を突破する逆転の発想』でこう述べています。

ルーズベルト大統領は『ニューディール政策』を実行し、デフレ脱却に向けた政策レジームの大転換を行った。その結果、人々はそのレジーム転換に反応しインフレを期待し行動するようになり、アメリカ経済は恐慌から脱出した

つまり、度重なる物価下落によるインフレを防いだという評価です。

銀子規制が恐慌再発を防止したと意見したロバート・ルーカス氏

また、アメリカ人経済学者、ロバート・ルーカスもコラムの中で以下のように評価しています。

1934年の預金保険の整備、グラス・スティーガル法による銀行と証券を分離によって、銀行が過度なリスクをとれないようにする金融規制の体系が整った。…(中略)…この銀行規制は数十年にわたって、大恐慌の再発を防止した

緊急銀行救済法に関連する改革が、その後の恐慌を防止したという見解です。

これらの観点から、物価の下落抑止、銀行による過度な貸し付けによる不況防止は一定の成果を上げたとして評価されているのです。

失敗だったという意見

一方で、それ以外の政策についてはなかなか評価されていないのが現状です。アメリカ本国のみならず世界中から厳しい意見が多く、大方の経済学者は失敗の意見を述べています。

成果はわからないままだったと主張する宇沢弘文氏

日本人経済学者、宇沢弘文は『始まっている未来 新しい経済学は可能か』の中でこう述べています。

結局は、ニューディール政策がどういう結果・成果をもたらしたかが解る前に第二次世界大戦に突入してしまった

ニューディール政策は、十分な効果をもたらすことができなかったわけではなく、その結果がわかる前に第二次世界大戦が勃発し特需景気で回復してしまったとする意見です。

ニューディール政策は効果がなかったと主張するミルトン・フリードマン氏

また、同様にノーベル経済学賞を受賞したミルトン・フリードマンは『大恐慌を見た経済学者11人はどう生きたか』の中で、以下のように話しています。

1929-1933年と1933-1941年の期間は別に考えるべきである。大恐慌ではなく大収縮を終わらせたのは、銀行休日、金本位制からの離脱、金・銀の購入計画などの一連の金融政策であったのは間違いない。大恐慌を終わらせたのは、第二次世界大戦と軍事支出である

このように、ニューディール政策自体が失敗であり、第二次世界大戦の勃発が世界恐慌を終わらせたとする意見もあります。

いずれにしても当時としては画期的な改革であり、抜本的な手法であったことは事実です。ニューディール政策が成功だったのか、失敗だったのかについては未だに意見の分かれるところですが、現在まで続く社会保障制度や貿易ルールの基礎となったことは、当のルーズベルトも考えていなかったでしょうね。

ヤルタ会談に臨むルーズベルト(中央)。こののちすぐに療養先で亡くなった。

ニューディール政策に関するまとめ

第1次と第2次に分けられたニューディール政策を、行われた政策ごとに紹介してきました。

教科書では高く評価されているニューディール政策。就任翌日から改革に乗り出し、わずか100日でその基礎を作り出す手腕を発揮したルーズベルトは、こんな名言を残しています。

It is common sense to take a method and try it. If it fails, admit it frankly and try another. But above all, try something.
訳:ある方法を選んで試すことは常識である。もし失敗しても素直に認めて別の方法を試そう。しかし何にもまして、何かをすることが大事だ。

ニューディール政策の成功失敗も重要ですが、アメリカ国民を救うために行動した彼の意志の強さには敬服しなければいけませんね。

長き時間にわたってお付き合いいただき、ありがとうございました!

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