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ヒッタイトとはなに?歴史や文化、神話まとめ【地図付きで分かりやすく紹介】

「ヒッタイトってなに?詳しく知りたい」
「ヒッタイトはなぜ鉄を使っていたの?」
「ヒッタイトの歴史について、地図つきで知りたい!」

本記事にたどり着いたあなたは、このように思っているのではないでしょうか?

ヒッタイトとは古代に発展した王国で、人類で初めて鉄を使って道具を作った民族の名前でもあります。製鉄技術の独占により強大な力を持ち、他国を侵略して勢力を伸ばしていきました。

そして滅亡後は各国へ製鉄技術が広まり、鉄器時代のきっかけを作りました。

今回はそんなヒッタイトの歴史や文化、鉄を使うに至った経緯について地図つきで解説します。ぜひ参考にしてください。

ヒッタイトとは

ヒッタイト王国の地図

ヒッタイトとは、紀元前18世紀ごろからアナトリア北部(今のトルコ)のハットゥシャを中心に王国を作った古代の民族です。

紀元前14世紀に最盛期を迎え、メソポタミア北部を支配しましたが、紀元前1180年ごろに海の民が発端となった動乱の中で滅亡しました。

ヒッタイトはどこから来たの?

もともとヒッタイト人がどこにいたのかはわかっていない

ヒッタイト人がどこから中央アナトリアへ移動してきたのかは、いまだ明らかになっていません。

これについては、ロシア南部からカスピ海を通ってアナトリアへ移住したとするクルガン仮説と、同じアナトリアの別地域から中央アナトリアへ来たとするアナトリア仮説があります。

現在明確になっているのは、紀元前1900年にどこからともなく現れたヒッタイト人が、その地の民族を支配したということです。

ヒッタイト人はまだまだ謎が多く、明らかになっていないこともあるミステリアスな民族です。

ヒッタイトの言語は?

ヒッタイト人は現地の言葉を吸収して使っていた

ヒッタイト人は、中央アナトリアに定住した際に原住民の文化や宗教を吸収しました。その中には言語も含まれています。

ヒッタイト人は、当時存在していたハッティ人やアッシリアの商人から楔形文字を取り入れました。楔形文字とは、縦・横・斜めの線で構成される文字のことで、主に粘土板に記述されました。

楔形文字はヒッタイト王国で一般的に使われる言葉となります。現代では「ヒッタイト語」と呼ばれていますが、ヒッタイト人はこの言語を「ネサの言語」と呼んでいました。

「ネサ」とは、トルコのキュルテぺのことです。ヒッタイト人はこのキュルテぺを自分たちの故郷とするような伝説を持っていたため、自分たちの言語をそう呼びました。

他国へ遠征し、古バビロニア王国を滅ぼした

他国への遠征を繰り返したヒッタイト

ヒッタイトは世界で初めて鉄製の武器を使用し、他国への遠征を繰り返しました。メソポタミアの古バビロニア王国を滅ぼし、カッシート王朝が成立するきっかけを作ります。また、シリアではエジプトと対決しました。

ここまで聞くと、他国へ攻めいる好戦的な民族ととらえてしまいます。しかし、実は外交によって他国と共存をはかっていた一面もありました。

外交によって他国と共存をはかった

主にエジプトとやりとりをしていた

ヒッタイトは、世界で初めて平和条約を結んだ王国です。

上記で触れたエジプトとの争いが終わって数10年後に、両国は世界初の平和条約「カデシュ条約」を締結しました。他にも諸外国と交わした条約や書簡などが確認されており、ヒッタイトは外交に積極的な国であったことが伺えます。

また、王女を他国へ嫁がせ、友好的な関係を築くこともありました。

条約、と聞くと平等な関係を結んでいたのかと勘違いしてしまいますが、実はほとんどが明確な主従関係を築くものでした。条約、という言葉はもともと「敵の手足を縛る」という意味からきています。

そのため「カデシュ条約」以外の条約は、ヒッタイト王は相手よりも優位であることを示す文書で、一方的に義務を課すものでもありました。

ヒッタイトの文化

鉄を発展させた民族

鉄を発展させ、技術を独占した

ヒッタイト人は世界で初めて鉄を有効に利用した民族です。製鉄技術を最初に発展させ、独占することで強大な軍事力を持ちました。ですが、なぜヒッタイト人はそれほどまでに優れた製鉄技術を持つに至ったのでしょうか。

実は、ヒッタイトがアナトリアに進出する前からその地ではハッティ人が鉄で道具を作っていました。しかし、ハッティ人が作る鉄は脆く、道具には向かない強度でした。

しかしヒッタイト人がアナトリアへ進出し、ハッティ人の製鉄技術や文化を吸収すると一気に技術が進歩します。

ヒッタイト人は製鉄の際、炭を使うと鉄がより加工のしやすい「鋼」になることを発見しました。鉄と炭から作られた鋼は硬く、しかもある程度の柔軟性を持っています。道具にするには持ってこいの鉱物でした。

ヒッタイト人はこの鋼を加工し、鉄器や武器を作って強くなったのです。ヒッタイト人は鉄をそのまま利用するのではなく、鋼へと加工できたからこそ力を持てました。

優れた製鉄技術は、ヒッタイト滅亡後世界に広まります。世界各地で取れる鉄は各国の軍事力や農業を発展させ、大国ができる土壌を作りました。

車や自転車に使われているスポーク付き車輪を開発した

ヒッタイト軍の戦車

ヒッタイトが他国に対して優位だったのは、製鉄技術だけではありません。実は頑丈な戦車を持っていたことも、ヒッタイトを軍事面で有利にしました。

当時、エジプトやメソポタミアでも戦車を使っていました。しかし、車輪の強度を支えるスポークが木でできた木製のものであったり、そもそも車軸がなかったりする戦車でした。

ヒッタイトはスポーク(車軸)を開発した民族です。しかし、スポークだけなら、すぐに真似ができてしまうため戦争を優勢にする要素にはならなかったかもしれません。ヒッタイトはさらに、このスポークをより頑丈なものへ改良しました。

ヒッタイトは重要な部品である車輪とスポークを鉄で作り、頑丈な戦車を作ったのです。ヒッタイトの戦車は小型の馬に引かせる大型タイプのもので防御重視でした。

壊れにくい戦車はヒッタイトの大きな力となり、他国に対する軍事的優位を確保しました。

もしヒッタイト人がスポーク付きの車輪を開発しなかったら、わたしたちが日常的に乗っている車や自転車はなかったかもしれませんね。

ヒッタイト人の服装

ヒッタイト人の服装は、メソポタミア文明とほぼ同じです。

亜麻製の腰布をまき、短めの上着をきていました。女性は長いスカートを履き、体の線を強調しない服装をしていました。

ヒッタイトは周辺の国から文化を吸収していたため、服装は周囲の文明とほとんど変わらなかったようです。

ヒッタイトの神話

ヒッタイトは旧約聖書では「ヘテ人」として登場し、約束の地カナンの原住民として知られている

ヒッタイト人は、原住民のハッティ人や近辺のアッシリア人、フリ人の神々などそれぞれの民族の宗教を受け入れて崇拝しました。

そのため、ヒッタイトには主に2つの神話があります。

1つ目が死と再生をテーマにした「テリピヌ伝説」です。内容は、以下の通りです。

豊穣神のテリピヌがなんらかの理由で怒って姿を消してしまい、人や家畜は子を産まなくなり、植物は枯れてしまいます。そのため、神も人も飢えに苦しむようになってしまい、見かねた太陽神が1000の神々を集め、テリピヌを探します。

しかし、なかなか見つけることができません。そこで最後にミツバチを差し向けたところ、ようやくテリピヌが見つかりました。テリピヌの怒りを鎮める儀式を繰り返し行うと、ついにテリピヌが姿を現し、再び生命の営みが戻り、餓えはなくなったという話です。

2つ目が「クマルビ神話」です。こちらはメソポタミアの神を取り入れ、それらの神話を体系化して神々がどのように発生したかを記した書です。

内容は以下の通りです。

最初の天界の主人はアラルでしたが、アヌにとって代わられます。しかしそのアヌはクマルビに追われます。その時に、アヌの精液を飲み込んだクマルビから生まれたのが、ヒッタイトで重視されている天候神です。天候神は父と戦い、勝利を収める、という内容です。

ヒッタイトの遺跡

ハットゥシャ遺跡

ハットゥシャ遺跡

ハットゥシャ遺跡は、トルコの首都アンカラの東200kmの地点にある遺跡です。ヒッタイト人の首都があった場所で、1986年に世界文化遺産に登録されました。

ヒッタイトは外敵が多かったため、都の周りは長大な城壁で囲まれていました。その中に神殿や住居、学校、食料貯蔵庫、王城が存在していました。

この遺跡の見所はたくさんあり、紹介しきれないほどです。

まず、ラムセス2世からの贈り物と思われるグリーンストーン。この石はパワーストーンとして有名で、別名「願い石」とも呼ばれています。

次にヒッタイト王国時代、ハットゥシャの出入り口だった3つの門もそれぞれ特徴的で見応えがあります。遺跡の西にある獅子門には、2頭のライオン像があり、都の中に悪霊が入るのを防いでいたと言われています。

また、70mにも及ぶ地下通路や大要塞、最後の王について記された8.5mにも及ぶ碑文など、古代を生きたヒッタイトの文化や歴史を感じられます。

ヤズルカヤ遺跡

ヤズルカヤ遺跡のレリーフ

ヤズルカヤ遺跡は、ハットゥシャ遺跡の東3kmに位置しています。ヤズルカヤはトルコ語で「碑文の岩場」という意味があり、その名の通り数々のレリーフが良好な状態で残っています。

この遺跡はヒッタイト人が、彼らが信仰する神に祈りを捧げた場所で、重要な聖所でした。当時崇められていた神や王の姿が描かれたレリーフを見ることができる貴重な遺跡です。

ヒッタイトについて詳しく知りたい方は、ぜひ1度訪れてみてください。

ヒッタイトの歴史年表

ヒッタイトの起源

紀元前1900年ヒッタイト人の大移動

紀元前1900年、ヒッタイト人たちはどこからか中央アナトリア地域へと移住してきました。彼らの移住は、同時代に起こる民族大移動のきっかけとなります。

ヒッタイト人は最初から中央アナトリアへ集まって定住していたわけではなく、いくつかのグループに分かれそれぞれの都市で生活していました。さらに、ヒッタイト人はもともとアナトリアで暮らしていたハッティ人やアッシリアの商人からさまざまな文化を取り入れています。

時が経つと、都市国家ボアズキョイを中心とする強力な支配者グループが出現します。彼らは分かれていた都市をまとめ上げて中央アナトリアの大部分を支配し、ヒッタイト王国を建国しました。

ヒッタイト古王国時代

ヒッタイト古王国時代の地図

ヒッタイト古王国時代の歴史は紀元前1680年から紀元前1400年ごろまで続きます。この時代は外征が多く、他国への侵略の歴史と言えます。

ヒッタイト王国建国

ハットゥシリ1世が建国したヒッタイト帝国

中央アナトリアで小国分立状態のヒッタイト人をまとめ、ヒッタイト王国を建国したのはラバルナ1世です。彼は後にヒッタイトの伝説的な王として語り継がれ、「ラバルナ」という名前は王の称号をさす言葉となります。

ラバルナ1世は、クッシャラを本拠地としていましたが、ハットゥシャを再建するとそこに都を移し「ハットゥシリ1世」と改名しました。

ハットゥシリ1世は、シリア北部のヤムハドまで遠征し、戦果をあげていましたが、首都のアレッポを攻め落とせませんでした。当時のヒッタイト王国内では、息子と家臣が反逆を企てていたのです。

これに怒ったハットゥシリ1世は、パンクと呼ばれる貴族会議で養子のムルシリ1世を王位継承者にすると宣言しました。

ヒッタイトの外征と内戦

メソポタミアを支配していた古バビロニアを滅ぼす

ハットゥシリ1世が亡くなり、王位は遺言通りムルシリ1世に譲られました。

ムルシリ1世は前王が行っていたシリア北部への侵略を継ぎ、ハットゥシリ1世が果たせなかったアレッポを征服します。紀元前1595年にアレッポを落としたムルシリ1世は、次にユーフラテス川を下り、メソポタミア地方へ侵略の手を伸ばしました。

圧倒的な戦力でムルシリ1世は、当時メソポタミアを支配していた古バビロニア王国を滅ぼします。しかし、ムルシリ1世はバビロニアを支配下におかず、バビロニアの同盟国のカッシートに引き渡します。というのも、ヒッタイト国内で紛争が起こっていたからです。そのため、軍を引き国へ帰る必要がありました。

ヒッタイト王国へと帰ったムルシリ1世ですが、帰国後すぐに暗殺されてしまいます。ムルシリ1世が不在の間に、彼の義弟のハンティリ1世が陰謀を計画し、実行したからです。計画が見事成功し、ハンティリ1世は自ら王位につきました。

ヒッタイト王国衰退

ヒッタイト王国の混乱に応じて、外敵が侵攻してきた

ハンティリ1世が王となってからヒッタイト王国では謀反が相次ぎます。ヒッタイト王国の混乱を察知した、チグリス川・ユーフラテス川上流に住むフルリ人はこれを好機と見て、アレッポとその周辺地域を奪い取りました。

こうしてヒッタイト王国は衰退期に入ります。

優れた王は出ず、支配領域も小さくなっていきました。この時期のヒッタイト古王国の不安定な情勢の一因として、王権の在り方があります。

当時のヒッタイト王国では、王は市民の中のリーダーという位置付けでした。エジプトやメソポタミアのような「生きる神」という特別な存在ではなかったのです。

ヒッタイト王国の混乱に終止符を打ったのは、ムルシリ1世から数代後の王テリピヌです。彼は勅令を出して次の3つを定めました。

  • 第一王子が王位を継ぐこと
  • 第一王子がいなければ第二王子が継ぐこと
  • もし王子がいなければ第一王女の婿が継ぐこと

上記以外に、200条から構成されるヒッタイト法典を作り、テリピヌは国内の秩序を回復させていきます。また彼は南西方面にあったフルリ人の国の1つ、キズワトナと同盟を結び、ミタンニ王国に何度か勝利していました。

ヒッタイト中王国時代

古王国と新王国のつなぎの時代

紀元前1500年のテリピヌの治世が古王国時代の最後になりました。ヒッタイトは、ここから新王国時代まで長い弱小期が始まります。紀元前15世紀になにがあったかは、記録が不十分でほとんどわかっていません。

中王国時代は、古王国と新王国をつなぐ過渡期に当たります。詳細のわからない期間が70年続いたのち、新王国へと時代が移ります。

ヒッタイト新王国時代

ヒッタイト新王国時代の勢力図(赤)ヒッタイト(緑)エジプト

ヒッタイト新王国時代は別名「ヒッタイト帝国時代」とも呼ばれ、ヒッタイト王国が再び歴史へ姿を表します。王国が最も繁栄した時代でもありますが、同時に多くの変化が起こった時代でもあります。

トゥドハリヤ1世の政治

紀元前1430年頃、トゥドハリヤ1世の治世が始まります。彼は他国と条約や同盟を次々と結んだ外交手腕から、国際政治の先駆者と呼ばれています。

トゥドハリヤ1世は、再びキズワトナと手を結び、フルリ人の都市アレッポとミタンニを征服してさらに西へと勢力を拡大しました。ヒッタイト人がアナトリア南部の土地へ定住するにつれ、隣接する地域の人々と条約を結びます。

この頃のヒッタイトの王権は世襲制へと変わっており、王は神として扱われました。市民からは「わが太陽」と呼ばれ、崇められ始めます。そのため王は高位の聖職者としての一面を持ち、聖なる都市を巡ったり、祭祀を執り行ったりしました。

侵略されるヒッタイト王国

一時は首都まで陥落し、滅亡の危機だったヒッタイト

トゥドハリヤ1世が死去すると、再びヒッタイト王国は衰退します。敵が各方面から攻め込み、首都のハットゥシャまでも陥落しました。外敵との抗争により、ヒッタイト王国は混乱し、滅亡の危機にひんしていました。

特に大きな勢力を持っていたアルザワ王がエジプトに送った書簡では「ヒッタイトは滅亡した」と書かれていたほどです。

しかし、ヒッタイト王国は滅びず、シュッピルリウマ1世が王位につくと力を取り戻します。

彼は小国と条約を結び、バビロニア王女を王妃に迎えるなど外交に手を尽くします。そうして準備が整うと、アレッポやミタンニを征服し息子たちに支配させました。さらにエジプトと同盟を結ぼうと、息子をツタンカーメンの未亡人と婚姻させようとしました。

しかし、肝心の息子はエジプトへ到着する前に殺され、結局同盟は結ばれませんでした。

シュッピルリウマ1世が病死し、その後息子が王位を継ぎましたが、すぐに病死したためごく短期間の治世に終わりました。

やがてムルシリ2世が即位すると、彼はヒッタイトから疫病を取り除くことを天空神に願う儀式を行いました。ムルシリ2世は有能な武将として、周辺諸国の反乱を収めることに成功しました。

カデシュの戦い

エジプトと平和条約を結んだハットゥシリ3世とその妻プドゥヘパが描かれたレリーフ

ムルシリ2世からムワタリに王位が移ると、領土拡大を狙うエジプトとシリアの覇権を争うことになります。

ヒッタイトの繁栄は、交易路と鉱山に支えられていました。シリア北部はメソポタミアとの交易路がある、重要な地域です。そんな国の行く末に関わる要所をエジプトが攻撃してきたため、争いがおきました。

この戦いはオロンテス河畔のカデシュで起きたことから「カデシュの戦い」とも呼ばれています。

カデシュの戦いの勝敗ですが、実は定かではありません。記録によると、両者ともこの戦いに勝利した、と主張しています。しかし戦いの後、両国の勢力に変化がないため、実際はほぼ引き分けであったと見られています。

カデシュの戦いの後、ムワタリはシリアの支配を重視し、都をハットゥシャからシリアに近いタルフンタッシャに移動させました。しかし、次の王ムルシリ3世は再びハットゥシャに都を戻しています。

ムルシリ3世の治世はハットゥシリ3世によって王位を追われてしまい、7年間という短期間で終わりました。ハットゥシリ3世は冷戦状態になっていたエジプトと平和条約を結び、娘を嫁がせます。このとき締結された「カデシュの条約」は世界初の平和条約です。

ヒッタイト王国の滅亡

海の民の進出と勢力図

エジプトとの平和条約締結に成功したヒッタイトですが、同じ頃アッシリアが勢力を急速に伸ばしていき、相対的に力を失っていきました。ヒッタイトの目がエジプトに向いている間に、アッシリアはミタンニを征服し、ユーフラテスへと侵略の手を伸ばしていきます。

そもそもエジプトの条約は、アッシリアが国境に侵入してくることが多くなったため、その対応として行われたものです。

ハットゥシリの治世が終わり、彼の息子トゥドハリヤ4世が王位につきます。彼はアッシリアの侵攻を食い止めることに成功します。次の王シュッピルリウマ2世も、海の民との海戦に勝利しますが、その頃にはすべて手遅れでした。

すでに海の民は地中海沿岸部まで侵略しており、ついにはヒッタイトの要所キリキア(旧キズワトナ)を奪われてしまいます。防衛の要となっていたキリキアを失い、ヒッタイトは外敵からの攻撃を防ぎ切れなくなってしまいました。

結果、紀元前1180年ごろに首都ハットゥシャは全焼。ヒッタイト王国の歴史は途絶えました。これ以後、「新ヒッタイト」と呼ばれる小さな国家がシリア北部やアナトリアで興りましたが、アッシリアに統合されていきます。

ヒッタイトの関連作品

ヒッタイトのおすすめ漫画

天は赤い河のほとり

ヒッタイト新王国時代に、現代の少女がタイムトリップしてしまうという漫画です。

実際の人物や王国が多く登場し、わかりやすく描かれています。ヒッタイトに興味はあるけれど、本から入るのはちょっと、という方が雰囲気をつかむのにおすすめです。

ヒッタイトに関するまとめ

ヒッタイトについて解説しましたが、いかがでしたか?最後に簡単にまとめます。

  • ヒッタイトは現在のトルコがある地域で発展した古代の民族。人類で初めて鉄を使った
  • ヒッタイトは軍事だけでなく、外交にも優れており世界初の平和条約をエジプトと締結した
  • ヒッタイトの歴史は強い王と弱い王が繰り返し出現し、同時に繁栄と衰退を繰り返した。最後には国が弱っていたところを海の民に侵略されて滅亡した

現代、鉄は日常のあらゆるものに使われています。その元となっているのはヒッタイト人です。もし、彼らが製鉄の技術を磨いていなかったら、今の生活は少し違ったものになったかもしれません。

歴史上で起こった数々の出来事は、さまざまなことに影響しています。もし、あの出来事がなかったら、もしこの民族がいなかったら、今の世界はどうなっていたのか。歴史は、そういったIFを想像する楽しみもあります。

この記事が、歴史を楽しむきっかけになれば幸いです。長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。

レキシルでは他にも歴史上の人物や出来事について、わかりやすく解説しています。よかったら、他の記事もご覧ください。

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