「ヒッタイトってなに?詳しく知りたい」
「ヒッタイトはなぜ鉄を使っていたの?」
「ヒッタイトの歴史について、地図つきで知りたい!」
本記事にたどり着いたあなたは、このように思っているのではないでしょうか?
ヒッタイトとは古代に発展した王国で、人類で初めて鉄を使って道具を作った民族の名前でもあります。製鉄技術の独占により強大な力を持ち、他国を侵略して勢力を伸ばしていきました。
そして滅亡後は各国へ製鉄技術が広まり、鉄器時代のきっかけを作りました。
今回はそんなヒッタイトの歴史や文化、鉄を使うに至った経緯について地図つきで解説します。ぜひ参考にしてください。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
ヒッタイトとは
ヒッタイトとは、紀元前18世紀ごろからアナトリア北部(今のトルコ)のハットゥシャを中心に王国を作った古代の民族です。
紀元前14世紀に最盛期を迎え、メソポタミア北部を支配しましたが、紀元前1180年ごろに海の民が発端となった動乱の中で滅亡しました。
ヒッタイトはどこから来たの?
ヒッタイト人がどこから中央アナトリアへ移動してきたのかは、いまだ明らかになっていません。
これについては、ロシア南部からカスピ海を通ってアナトリアへ移住したとするクルガン仮説と、同じアナトリアの別地域から中央アナトリアへ来たとするアナトリア仮説があります。
現在明確になっているのは、紀元前1900年にどこからともなく現れたヒッタイト人が、その地の民族を支配したということです。
ヒッタイト人はまだまだ謎が多く、明らかになっていないこともあるミステリアスな民族です。
ヒッタイトの言語は?
ヒッタイト人は、中央アナトリアに定住した際に原住民の文化や宗教を吸収しました。その中には言語も含まれています。
ヒッタイト人は、当時存在していたハッティ人やアッシリアの商人から楔形文字を取り入れました。楔形文字とは、縦・横・斜めの線で構成される文字のことで、主に粘土板に記述されました。
楔形文字はヒッタイト王国で一般的に使われる言葉となります。現代では「ヒッタイト語」と呼ばれていますが、ヒッタイト人はこの言語を「ネサの言語」と呼んでいました。
「ネサ」とは、トルコのキュルテぺのことです。ヒッタイト人はこのキュルテぺを自分たちの故郷とするような伝説を持っていたため、自分たちの言語をそう呼びました。
他国へ遠征し、古バビロニア王国を滅ぼした
ヒッタイトは世界で初めて鉄製の武器を使用し、他国への遠征を繰り返しました。メソポタミアの古バビロニア王国を滅ぼし、カッシート王朝が成立するきっかけを作ります。また、シリアではエジプトと対決しました。
ここまで聞くと、他国へ攻めいる好戦的な民族ととらえてしまいます。しかし、実は外交によって他国と共存をはかっていた一面もありました。
外交によって他国と共存をはかった
ヒッタイトは、世界で初めて平和条約を結んだ王国です。
上記で触れたエジプトとの争いが終わって数10年後に、両国は世界初の平和条約「カデシュ条約」を締結しました。他にも諸外国と交わした条約や書簡などが確認されており、ヒッタイトは外交に積極的な国であったことが伺えます。
また、王女を他国へ嫁がせ、友好的な関係を築くこともありました。
条約、と聞くと平等な関係を結んでいたのかと勘違いしてしまいますが、実はほとんどが明確な主従関係を築くものでした。条約、という言葉はもともと「敵の手足を縛る」という意味からきています。
そのため「カデシュ条約」以外の条約は、ヒッタイト王は相手よりも優位であることを示す文書で、一方的に義務を課すものでもありました。