遼東半島とはどんな場所?歴史や位置、旅順まで分かりやすく解説

「歴史にでてくる遼東半島ってどこにあるの?」
「どんな都市があり、どんな歴史や文化があるんだろう」

歴史の授業で出てくる遼東半島について、こんなふうに疑問に感じたことはありませんか。たった一度聞いただけなのに、なぜか強烈に記憶に残る名前「遼東半島」。

朝鮮半島と山東半島に包まれるように位置する遼東半島

地理的に日本から近いことや独特な読み方の名前も記憶しやすいことの理由です。何より、歴史の授業で習うとおり、この遼東半島が日本の国の歴史に大きく関わったことがありました。さらに第二次世界大戦までの間、租借(相手国の同意のもと一定期間借りること)というかたちで日本が遼東半島を支配をした歴史もあります。

今回は日本と日本人にふかい係わりをもった遼東半島をテーマに、歴史と地理、観光名所などについてご紹介します。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

遼東半島とは

まず、遼東半島がどんな場所であるかについて、概要と代表的な3つの都市、地理的環境についてを見ていきたいと思います。

遼東半島を簡単に説明すると?

遼東半島は中国遼寧省南部の半島です。遼河の東岸に位置していることから「遼東」と名付けられました。中国では山東半島についで第2の大きさをほこる半島として知られています。産業としては、穀物栽培や漁業が盛んです。

遼東半島には大連、営口そして丹東という主要な都市があります。以下、それぞれの都市の特徴についてまとめています。

大連

空からみた大連市の様子
国家中華人民共和国
遼寧省
行政級別副省級市
成立1899年
面積13,237km²(市区面積2,415km²)
人口583.37万人(2012年)
市樹エンジュ
市花ロサ・キネンシス

1898年、日清戦争後の三国干渉の見返りとしてロシアが租借し発展させた都市です。もともとの名称は三山(魏とつづく晋の時代)、三山浦(唐の時代)、三山海口または青泥窪口(明・清の時代)と呼ばれていました。ロシア人がこの地を「ダーリー(ロシア語で「遠い」の意味)」と呼んだことに倣いロシアの後を受けて支配した日本も「大連」と字を当ててよんでいます。そのため現在の名称が定着することになりました。

営口

営口市・遼河老街の風景
国家中華人民共和国
遼寧省
行政級別地級市
成立1949年
面積5,399.8 km²(市区面積842 km²)
人口244万人(2015年)

1858年の天津条約では牛荘が開港されるはずだったのですが、堆積土などのため港としての使用に耐えられず、代わりに営口が開港地として登場しました。その後、対外的な貿易港としての機能は大連に譲り、営口は沿岸貿易の港となり現在に至っています。

丹東

丹東市の元宝山からみた丹東市街と対岸の北朝鮮・新義州方面
国家中華人民共和国
遼寧省
行政級別地級市 
成立1876年
面積15,030 km²(市区面積563 km²)
人口241万人(2015年)
市樹イチョウ
市花ツツジ

紀元前から7世紀頃にかけて朝鮮半島北部・中国東北部を支配した高句麗の領土となりますが、のち唐が高句麗を征服すると中国領となります。清により1876年に安東県がおかれると、以後は安東港として対外的に開港しています。鴨緑江の水運が物資輸送に利便であったために、日本支配時代に多数の日本企業が進出したほか、朝鮮戦争時に軍需物資を集積する兵站基地としても活用されました。なお、1965年に安東市から丹東市へと改称されています。

地理的環境

朝鮮半島の北西に位置する遼東半島は、対岸の山東半島に向かって突き出た地形となっています。

鴨緑江

丹東を支えた鴨緑江の水運機能
出典:Wikipedia

遼東半島の付け根の東を流れる鴨緑江は、中国と北朝鮮の国境となっている川です。白頭山を水源とし、黄海に流れます。

上流に位置する水豊ダムは、日本統治時代に建設され、その湛水面積(面積345km²)は琵琶湖の半分に相当します。建設当時は東洋一の規模をほこり、現在も北朝鮮の重要な電力源となっています。

遼河

遼河デルタに見られる紅海灘

遼東半島の付け根の西を流れる遼河は、内モンゴル方面から流れる西遼河と、吉林省方面から流れる東遼河が合流し遼河となります。遼寧省を北から南へと流れて、営口から遼東湾に注ぐ外遼河(大遼河とも呼ばれる)、盤錦市から遼東湾に注ぐ双台子河とに分流します。

千山山脈

千山山脈の大黒山(大連市)

遼寧省東部の千山山脈は、中国・北朝鮮の国境からつづく長白山脈の支脈です。吉林省から遼陽市を経て大連市まで伸びており、山脈の東を鴨緑江、西を渾河が流れます。主峰は綿羊頂子山(1046m)ですが、概ね標高500m程度の山々が連なっています。主として花崗岩、石灰岩からなるため所々侵食されており、山地と平坦地がおり重なるような地形となりました。

渤海

渤海。厳冬期には凍結が見られることもある
出典:Wikipedia

遼東半島と山東半島に囲まれた海域が渤海です。内部に3つの湾口を抱えており、湾内北にあるのが遼東湾、同様に西が渤海湾、南が莱州湾です。また、遼東半島と山東半島に挟まれた海域を渤海海峡といいます。

水深25mと浅く、干満の差が大きい(3m)ことが特徴で、古くから製塩と漁業が盛んでした。なお、渤海(この海域全体)と渤海湾(渤海の中の一つの湾口)が混同されがちですが、こちらは別のものを指しています。

黄海

黄河から黄海へと黄土が流れる様子

中国大陸と朝鮮半島に囲まれた海域が黄海です。渤海海峡によって渤海とつながっています。遼東半島と朝鮮半島の間の凹みが西朝鮮湾でここに鴨緑江が注ぐ形となっています。黄河から運ばれる黄土のために濁って見えることから「黄海」とよばれており、フランスの地図学者・ダンヴィル(1697年〜1782年)が1737年に作成した地図にその名が現れています。

1 2 3 4

コメントを残す