遼東半島とはどんな場所?歴史や位置、旅順まで分かりやすく解説

遼東半島の観光エリア

遼東半島の観光名所は、主要都市とその周辺に集まっています。大連・旅順の歴史遺構をはじめ、営口・丹東の眺望など人気のスポットを厳選してご紹介します。

大連エリア

星海広場

星海広場

このうつくしい広場は、もとはごみ処分場でした。4年の歳月を経て広場として整備されたのは1997年。中心となる広場は南北1km、東西600mほどの大きさで、中央には星のデザインが施されました。外周2.5km、百周年記念彫刻広場や周辺飲食店、対岸の星海新天地をあわせると総面積は77万㎡に達します。広場としてはアジア最大規模を誇っています。

発現王国主題公園

発現王国

大連にある大型テーマパーク。50万㎡ちかい敷地内には発現広場、神秘砂漠、魔法森林、伝奇白堡、瘋狂小鎮、金属工場といったエリアに区分され、ジェットコースターをはじめとするアトラクションがあります。メリーゴーランドやゴーカートもあり小さな子供でも楽しめます。冬季休業期間があるので注意が必要です。

大連森林動物園

大連森林動物園入場口

大連の街の南、白雲山の丘陵につくられた動物園。森林と名づけられるだけにゆたかな自然に囲まれています。園内は、草食動物、ライオン、虎、霊長類、熊、アジア象とエリア分けをされています。ジャイアントパンダ(大連猫熊館で見ることができます)が大人気です。

旧ロシア人街

旧ロシア人街(ロシア風情街)に当時の雰囲気を伝える初代・大連市役所

旧ロシア人街は、帝政ロシアによって街づくりが行われた街区です。ロシア建築の初代・大連(ダーリニー)市役所やロシアの市長邸など当時をしのぶ建築物が残されています。観光地化にともない、レプリカとして復元された建物もありますが、歴史を味わうことができます。

旧日本人街

旧日本人街(南山日本風情街)に染まるイチョウ

旧日本人街は、日本人の入植によって形成された街区です。当時、旧連鎖街・南山・沙河口・文化台などのエリアには満鉄の職員を中心に多くの日本人が居住していました。戦後も日本風住宅が多く残る場所として知られていましたが、近年の再開発により整然とした街並みに生まれ変わっています。

大連中山広場

フォトジェニックな大連中山広場

大連中山(ちゅうざん)広場は、帝政ロシアにより1899年に作られた広場で、当初はニコライェフスカヤ広場と命名されました。その後日本の入植により「大広場」となります。大連南東部・中山区にある広場であることから、現在は中山広場と呼ばれています。

旅順港・白玉山

白玉山から見おろす旅順港

白玉(はくぎょく)山は、旅順口区にある海抜130mの小山です。山頂の白玉山塔(当時は「表忠塔」という名称でした)は、日露戦争の戦没者を追悼するため東郷平八郎・乃木希典の発案によって1909年に建立されました。黄海での海戦ののち、逃げ込んだロシア艦隊を日本海軍が包囲・閉塞した古戦場でもあります。

二〇三高地

日露戦争の激戦地・二〇三高地

旅順港を見おろすことができる二〇三高地は、現在の旅順口区にある丘陵。日露戦争時は、ロシア艦隊への観測攻撃を行いたい日本軍と死守したいロシア側との間で激戦地となりました。両軍をあわせ3万人を超える死者を出すほどの戦いに、日本軍(第三軍)を率いた乃木希典は爾霊山(にれいさん=爾(なんじ)の霊の山=二〇三」と詩に詠んでいます。

乃木希典が詠んだ詞とその解説
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