遼東半島の歴史年表
紀元前771年~紀元前403年(紀元前453年とも):春秋時代
遼東半島が燕の領土として記録に現れる。
189年:後漢末
公孫氏が遼東の太守に任命されています。その後、一時は楽浪郡や山東半島にまで支配を拡大しました。魏・呉・蜀の三国時代は、魏に臣従しつつ、呉と同盟を結んで独立を企図しました。237年に公孫氏が燕王を称して独立しますが、翌年魏の司馬懿により征伐されました。
なお、この時代の大連は「三山」と呼ばれています。唐の時代には「三山浦」、明~清時代には「三山海口」または「青泥窪口」と呼ばれていました。
1856年:アロー戦争
清国官憲がイギリス船籍のアロー号を臨検・拿捕したアロー号事件を発端に起きた清国軍とイギリス・フランス連合軍による戦争。1858年の天津条約により開港が決められた牛荘の代わりとして、1864年に営口が開港されました。1860年の北京条約で最終的に停戦されました。
1878年:清国、旅順を要塞化
1878年、清国は旅順に要塞を設け清国・北洋艦隊の根拠地とします。なお、北洋艦隊は1888年に創設された清国艦隊です。威海衛や旅順を母港としていましたが、日清戦争における威海衛の戦いにより壊滅的打撃を受けました。
1894年:日清戦争勃発
朝鮮に対し宗主国として介入しようとする清国と、朝鮮の独立を保持し逆に介入を試みたい日本との間で戦端が開かれます。日本が勝利し、翌1995年4月の下関条約により遼東半島は日本に割譲されることとなりました。
1895年:三国干渉
4月下関条約に対し、ロシア・フランス・ドイツの三か国が干渉をします。ロシア帝国の外相であったウイッテが主唱しフランス・ドイツがこれに追従するかたちで「日本の遼東半島領有は極東の平和を妨げる」と主張し、日本に対して放棄するよう迫ったのです。日本にはこれに抗する力がなく、11月には清国との間で返還条約を締結しています。
1896年:見返りをもとめた三国
三国干渉の翌1896年、ロシア・フランス・ドイツの三か国は、三国干渉による成果に対する見返りを清国に要求しました。これによりロシアは1896年に東清鉄道の敷設権を獲得したほか、1898年には遼東半島の先端に位置する「旅順・大連」の租借を認められています。清国としては日本に対する賠償金の財源として自国の領土を切り売りするしかなかったとう事情がありました。
1904年:日露戦争勃発
1904年2月、日本とロシアとの間で戦端が開かれます。
日本海軍の目標は、ロシア太平洋艦隊(旅順艦隊)の殱滅ないし封鎖(閉塞)でした。ロシア・バルチック艦隊がバルト海から回航して日本海に到達する、その時点までに達成できなければ挟撃され、あるいは陸軍が孤立する恐れもあったためです。
日本は、陸軍・海軍の協同により、多数の死傷者を出しつつも旅順要塞を陥落させることに成功しました。翌1905年3月の奉天会戦で勝利すると、ついで同年5月の日本海海戦ではロシアのバルチック艦隊を撃破しました。
ここまでで国力の消耗が大きく戦争の継続が厳しい状況になっていた日本と、同年1月に「血の日曜日事件」をはじめロシア第一革命の動きなどから政情不安定に陥ったロシアの意向が合致し、同年9月にポーツマス条約を締結することとなりました。結果として、日本は「旅順・大連」に対するロシアの租借権を継承し以後「関東州」の一部として支配してゆくことになります。
1915年:対華二十一か条の要求
1915年、日本は中華民国の袁世凱政府に対し、二十一か条の要求を突きつけます。この中に「旅順・大連の租借期限を99か年延長すること」という一条がありました。これにより日本は旅順の植民地化を加速させていきます。
1931年:満州事変勃発~日中戦争の遠因となる
1931年、日本の関東軍が奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破した事件を契機として、満州全土を支配するに至ります。さらに1937年、盧溝橋事件により日本と中国との武力衝突がおこると、次第に戦争状態に入ります。日本は宣戦布告をしなかったため「北支事変(のち支那事変)」と呼びましたが、実質的な日中戦争がこの時から始まったとされます。
1945年:日本の敗戦
アメリカ軍による8月6日広島、9日長崎への原爆投下、8月9日のソ連対日参戦などにより日本はポツダム宣言受諾を決定します。1945年8月15日、日中戦争が日本の敗戦により終結すると、遼東半島(関東州)は中華民国に返還されますが、旅順・大連にはソ連軍が駐留し租借を継続しました。
1949年:中華人民共和国の成立
1949年に中華人民共和国が成立すると、ソ連との間で「旅順・大連」に関する折衝を行います。1955年にソ連軍が撤退し、中国はようやく「旅順・大連」を回復することに成功します。三国干渉後のロシアの租借開始から半世紀以上が経過しての主権回復でした。