堀辰雄の代表作
聖家族
1930年に発表された、堀辰雄の出世作です。芥川龍之介の自殺をモチーフに描かれたもので、登場人物と実在の人物は次のようにリンクしています。
- 河野扁理:堀辰雄
- 九鬼(扁理の師):芥川龍之介
- 細木夫人(九鬼の恋人):片山廣子(芥川の恋人)
- 絹子(細木夫人の娘):片山総子(片山廣子の娘)
主人公の青年・河野扁理は、尊敬する師・九鬼の死をきっかけにその恋人である細木夫人とその娘・絹子に再会します。九鬼と細木夫人の関係を自らの恋愛に重ねながら、扁理が自己のあり方を確立していく物語です。亡くなった九鬼を中心にした3人の微妙な心理を、フランスの小説家であるラディゲやコクトーなどから学んだ理性的な文体で描いています。
風立ちぬ
堀辰雄と亡くなった婚約者・矢野綾子をモデルにした中編小説です。美しい高原に建つサナトリウムで、重い病に冒されている女性・節子と彼女に付き添う婚約者「私」が、やがて2人に訪れる死別を前に輝く「生」を強く意識して生きる愛の物語です。決してハッピーエンドではないけれど、このような幸せのかたちもあるのだな、と感じます。
菜穂子
堀辰雄の晩年の代表作です。心のうちに燃える情熱を抑えながら、慎ましく恋をしていたロマンチックなところのある母親に反発し、自分は現実的な生活をしようと愛のない結婚へと踏み切った女性・菜穂子が主人公です。夫と姑との間で孤独だった彼女は、長野の病院で療養中に幼馴染だった男性と再会し…本当に「生きる」とはどういうことかを問う小説となっています。
堀辰雄の功績
功績1「最先端のヨーロッパ文学を積極的に取り入れた」
フランス文学に造詣の深かった堀辰雄は、フランスを中心に起こった「心理小説」そしてその発展形の「新心理主義」の文学を自分の作品に取り込みました。「新心理主義」とは、20世紀のはじめに精神科医・フロイトが起こした「精神分析学」をもとに、意識の流れや心のうちでのつぶやきを表現する手法で深層心理を描こうとした文学の流派です。
フランスでは辰雄もよく読んだという『失われた時を求めて』のマルセル・プルーストが代表者となっています。日本では堀辰雄のほかに伊藤整などが取り入れて、川端康成や横光利一ら「新感覚派」の作風を深めました。
功績2「日本古典文学を作品の題材にした」
フランス文学の最先端を吸収しながら、堀辰雄は日本の古典文学、特に平安時代の王朝文学に興味をもっていました。藤原道綱母の「蜻蛉日記」を題材にした『かげろふの日記』という作品もあり、また亡くなる直前まで『伊勢物語』を自分の作品に取り入れたいと計画していました。
辰雄の『ほととぎす』『曠野』などの作品にも王朝文学の影響が見られます。また、民俗学者・折口信夫の思想やオーストリアの詩人・リルケの影響もあり、空間や時代を超えてさまざまなものからインスパイアを受けていることがわかります。
功績3「『生と死』『愛』というテーマを書き続けた」
堀辰雄の小説はほとんどが「生と死」「愛」がテーマになっています。どちらかというと重いテーマですが、辰雄の文学はこれらをうまく書いてしまおうとはせず、誠実に、真摯に向き合って作品にしていると感じます。2つのテーマをベースに、先ほどご紹介した「新心理主義」や日本古典文学に影響が混ざりあったものが堀辰雄の文学です。
堀辰雄の小説は確かに恋愛小説の一面もありますが、よくあるラブストーリーと思って読み始めると難しいものがあります。生きることや人間の宿命について考えたいとき、小説に哲学的なもの求めているときなどにおすすめです。
堀辰雄の名言
風立ちぬ、いざ生きめやも。
堀辰雄の代表作『風立ちぬ』の「序曲」という章に登場する一文です。フランスの詩人、ポール・ヴァレリーの『海辺の墓地』という詩の一節「Le vent se lève, il faut tenter de vivre.」を辰雄が日本語訳したもので、このフランス語の原文は『風立ちぬ』の冒頭に引用されています。
古語の正しい用法にしたがうとこの日本語訳は間違っているともいわれますが、生きなければならないという意志と不安が一言で言い表された名文です。
幸福の思い出ほど、幸福を妨げるものはない。
『風立ちぬ』の「冬」という章に出てくる一文です。作品中では「何かの物語で読んだ」とされて登場する文なのですが、この「何かの物語」はフランスの小説家、アンドレ・ジッドの『背徳者』ではないかといわれています。『風立ちぬ』の「冬」はそれまでと打って変わって幸せを描いた描写が少ない章なのですが、そのことをこの一文はよく表しているように思えます。
自分の先生の仕事を模倣しないで、その仕事を終わったところから出発するもののみが、真の弟子であるだろう。
堀辰雄は芥川龍之介を師と仰いでいました。だからこそ芥川の自殺に大きな衝撃を受けたのですが、この言葉はそのような2人の関係性を思い起こさせます。自殺によって終わってしまった芥川の仕事をただ真似するのではなく、その「終わりから始める」という意志が感じられます。
堀辰雄にまつわる都市伝説・武勇伝
都市伝説・武勇伝1「芥川の恋人の娘・総子との恋」
1924年の夏、軽井沢の「つるや旅館」では芥川龍之介をはじめ、堀辰雄や室生犀星、芥川の恋人の片山廣子(松村みね子)とその娘・総子らが集っていました。当時19歳だった辰雄は、17歳だった片山総子に恋をします。そのときのことは辰雄のデビュー作『ルウベンスの偽画』や『聖家族』のモチーフとなりました。
けれども小説の題材にしたことで、総子は辰雄のことを憎み始めます。「堀辰雄との噂のせいで縁談がことごとくダメになる」「堀はひどい人間だ」と訴え、文芸春秋社に押しかけたり、母・廣子も「ゴシップを言いふらさないでほしい」と文学関係者のもとをまわったりしています。辰雄自身は沈黙を守っていたのですが、人から憎まれたことが身体に障ったのか、この年も軽井沢へ療養に訪れています。
堀辰雄の生涯を追ってみると、人から良く思われたり好かれたりすることは多くても、憎まれたという話はあまり目にしません。また、1924年の夏は亡くなった芥川とも楽しく過ごした美しい思い出だったはずで、そのときのことがきっかけで憎まれてしまったというのは相当心苦しい経験だったと思います。