日清戦争とは?原因や結果、結ばれた条約までわかりやすく解説

戦後の動き~日露戦争へ

戦後に結ばれた条約とは?

調印された下関条約(日清講和条約)

日清戦争に圧勝した日本が「下関条約」を締結したことはすでに述べました。もしくは「日清講和条約」とも言います。調印者は、日本側が伊藤博文と陸奥宗光、清国側全権が李鴻章(りこうしょう)と李経方(りけいほう)でした。

下関条約の主な内容としては、

  • 朝鮮の独立を認めること
  • 台湾・遼東半島(りょうとうはんとう)・澎湖諸島(ほうこしょとう)の割譲
  • 賠償金2億両(日本円で約3臆1千万円)を支払うこと
  • 日清通商航海条約の締結
  • 朝鮮半島の一部地域での治外法権の承認

などが盛り込まれていました。

こうして日本は清の勢力を半島から一掃、朝鮮の独立を成功させたのです。しかし、これを良しとしない列強国による横槍が、この後日本を悩ませることになるのです。

三国干渉と日本の対応

三国干渉によって返還することになった「遼東半島

これまで極東の弱小国だと思われていた日本が、当時の大国 清に圧勝。実は弱いことが判明してしまった清の領土は、列強国によって侵されていきました。それと同時に、日本に対する警戒も強まります。特にロシアは南満州への進出を狙っており、日本の飛躍を苦々しく想っています。

こうした最中、ロシア、ドイツ、フランスの列強3国が、日清戦争での勝利により日本が手に入れた遼東半島を清に返還するよう要求してきました。これを「三国干渉」と言います。

圧勝だったとは言え、日清戦争を終えたばかりの日本は疲弊しています。そんな中で、1国ですら太刀打ちできるかわからない列強国が、3国まとまって日本に詰め寄ってきたのです。戦争になったら到底勝ち目のない日本は、この要求を飲まざるを得ませんでした。

臥薪嘗胆(がしんしょうたん)を誓う日本

当時の外相「陸奥宗光」

日本は賠償金を上乗せすることで遼東半島の返還に応じました。しかし、ただ返還したわけではありません。「今は要求に応じるしかないが、いずれ必ず目的を達成してみせる。目的を達成するためには、どんな苦労にも耐えてみせる」という、強い意志を持って要求に応じました。この決意を「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」と言います。

当時の日本政府は、明治天皇臨席の下で国策を決める会議「御前会議」で臥薪嘗胆を決意しました。苦汁を舐めさせられた日本は国民一体となって、ロシアへの復讐を固く誓ったのです。

属国の道を自ら選んだ朝鮮

朝鮮を主導していた「閔妃」

結果的に、三国干渉によって遼東半島を手放すことになってしまった日本。この状況を見た朝鮮ではまたしても閔妃が復権し、今度はロシアに接近、近代化しようとする改革派は力を失っていきました。

繰り返しになりますが、日清戦争の目的は「南下してくるロシアに備えるため、朝鮮を清から独立させ近代化させること」です。そのために日本は清と戦い、朝鮮を独立国家へと導きました。しかし、朝鮮はロシアに取り込まれようとしていました。清からロシアへ鞍替えし、朝鮮は自ら属国であり続けることを望んだのです。

ロシアに亡命した「高宗」

このような事態を憂慮した日本公使の三浦梧楼(みうらごろう)は、朝鮮の改革派と共謀し、近代化を妨げる閔妃を暗殺。閔妃の夫「高宗」はパニックに陥りロシアに亡命しました。こうして朝鮮は完全にロシアの保護国となり、日清戦争の目的はあえなく潰えてしまったのです。

日清戦争が与えた影響、そして日露戦争へ

朝鮮半島を進軍中の日本軍歩兵

日本が遼東半島を清に返還した後、今度はロシアが清を脅し「遼東半島南端の旅順と大連を25年間租借させろ」と要求しました。こうしてロシアは遼東半島に拠点を手に入れ、南下政策を着々と進めて行くことになります。

前述の通り、日清戦争で弱体ぶりを露わにしてしまった清は列強国に蹂躙されました。そして肝心の朝鮮半島はロシアの手に落ちました。日清戦争には勝利したものの、日本は列強国に目を付けられてしまいました。その結果、日本の思惑通りにはならず、ロシアの脅威がより間近に迫ってきてしまったのです。

こうして、日本とロシアはついに対峙することとなり、明治37年(1904年)日露戦争へと突入していきます。そして日本は大国ロシアに大勝利し、欧米列強の植民地政策に大きな楔を打ち込むことに成功するのです。

日清戦争に関するまとめ

いかがでしたでしょうか?日清戦争とは、明治維新以来、近代化を目指してきた日本が初めて経験した近代式の戦争でした。そして、列強国に後れを取っていた日本が、その成長を世界に誇示した戦いでもありました。

朝鮮半島、ロシア、そして清のあった大陸(今は中華人民共和国)、これらの国と日本は、今でも国際問題を抱え続けています。日本の歴史上、朝鮮半島を巡る問題は何度も起こってきました。良くも悪くも朝鮮半島とはずっと関わってきました。日本と朝鮮半島はどうあるべきか?答えはひとつではないかもしれません。しかし、お互いの関係を考えていく上で、ひとつのヒントを与えてくれる出来事が、日清戦争と言えるのではないでしょうか。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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