田山花袋とはどんな人?代表作は?【功績や都市伝説、生涯年表について詳しく紹介】

田山花袋の功績

功績1「今、私小説が読めるのは田山花袋のおかげ?」

花袋のおかげで小説は楽しくなった?

田山花袋の作品は自分の経験や感情を忠実に描いているため、自然主義と言われることが多いです。確かに自然主義文学は事実を極端に美化せずに、見たまま感じたままを忠実に書くことを大切にしています。

同時に花袋の作品は自分が経験したことをもとにして作られているため、私小説の始まりとも言われています。私小説は現在でも読む人の好奇心を満たし、その作品の世界に入り込みやすいため、読書を愛する人になくてはならない存在です。

自然主義文学も私小説も、人間の中に広がる世界に注目し、掘り下げています。人間の中を知りたいと思う人なら、花袋の作品が自然主義文学でも私小説でもどちらでも良いことです。

現在多くの人たちが小説を読んで楽しめるのは花袋の功績と言えるのです。

功績2「田山花袋の作品は記録としても一級品!」

実際の旅行よりも、本を読んでいる方が楽しいことも…

「蒲団」や「田舎教師」で自然主義の代表的な存在となった花袋。事実を丁寧に描いていく手法は小説以外の作品も多く生み出しました。

関東大震災の記録「東京震災記」や、東京の街の移り変わりとともに自身の自伝でもある「東京の三十年」は、後世のための貴重な記録になっています。確かな文章力で描かれた記録は、過去のことを生き生きと伝えてくれるに違いありません。

また、花袋は紀行文も得意で、1914年から16年にかけて「日本一周」という3冊組の紀行文集を刊行します。日本全国の100箇所以上の地域を紹介したこの作品は、旅行好きの人にも読書好きの人にも新たな楽しみを与えてくれたのです。

功績3「田山花袋は教えてくれる!つまずいても大丈夫 」

悩んでいるときほど、花袋の本を

花袋の小説では、一見主人公の姿がみっともない、情けないなどと感じられます。ですが、それを読むことで人は自分自身を肯定できるのではないでしょうか。

花袋の作品では、みっともなくても情けなくても人はしっかりと生きています。その姿を通して、人生につまずいたときに、そっと労ってくれるのが花袋の作品だと思えるのです。

花袋本人も少年時代に奉公がうまくいかずに、実家に戻されています。しかし、それがなければ彼の人生は変わり、小説家にはなっていなかったかもしれません。もしかすると花袋は私たちに、その人生をかけて、つまずいても大丈夫だと教えてくれているのかもしれません。

田山花袋の名言

夏の草むしり、秋の落ち葉掃きは終わりのない重労働だ

毎日掃いても落ち葉がたまる。これが取りも直さず人生である。

花袋の代表作「田舎教師」の一節です。この言葉にうなずける人は多いのではないでしょうか。毎日の積み重ねにもう嫌だと感じている人も。しかし、これが人生だと言われてしまえば、私たちは受け入れるしかありません。

諦めているようでいて、実はとても力強い言葉だと思います。たまった落ち葉に立ち向かおうという気持ちになります。

書物よりも生きた人間から受けた影響の方がずっと大きい。

花袋の名言としてさまざまな場所で語られていますが、花袋の実感に基づいた言葉ではないかと思われます。

花袋は幼い頃に父を亡くしたことにより、経済状態が悪くなっただけでなく、家族の関係まで変わってしまいましたが、それが彼の人生勉強の始まりだったのかもしれません。

そんな学問以外の学びを大切にする花袋だったからこそ、数々の名作が生まれたのでしょう。

田山花袋にまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「名作に人生を変えられた男女「蒲団」のモデルとは」

「蒲団」のモデルにならなければ、違った人生だったのかも

花袋の実際の経験をもとにしているため、「蒲団」にはモデルがいます。作中の女性の弟子・横山芳子のモデルは岡田美知代と言い、明治生まれの小説家であり、雑誌記者でもありました。

広島で有力者の娘として生まれた美知代は、19歳で上京して花袋に入門、同時に現在の津田塾大学の予科に入学しますが、20歳で永代静雄(もちろんこの人も「蒲団」に登場します)と知り合い、そのまま恋愛関係になります。このことが花袋の知るところとなり、美知代の実家にも報告されたために一度は実家に帰ります。そして9月には「蒲団」が発表され、美知代は渦中の人物になります。

1908年、再び美知代は上京しますが、そのときに永代との子どもを妊娠していることがわかります。

美知代と永代は結婚しますが、夫婦仲は安定せず、離婚と復縁を繰り返します。「蒲団」のモデルとして注目を集めた2人の生活には私たちからははかり知れない苦労があったのかもしれません。

後に美知代は児童書を数多く手掛けます。自分で外国文学を翻訳したものもあり、子どもたちのために良い本を届けたいという熱意が感じられます。「蒲団」のモデルとならなければ、もっと別の人生があったのではないかと思わずにはいられません。

晩年の美知代は英語を学びながら、花袋の回顧文を書き続けていたそうです。美知代は1968年まで生き、老衰でこの世を去りました。花袋に巻き添えにはされましたが、したたかに生き抜いた女性だったと思われます。

都市伝説・武勇伝2「旅行雑誌の先駆け!田山花袋の紀行文は秀逸」

小説以外を読んでみるのも、良いかもしれない

事実を正確に書き、美化をしないという自然主義の花袋と紀行文はとても相性が良かったようです。小説家として芽が出る前には、鉄道職員の手伝いをして旅行案内を書いていたこともありました。

花袋の紀行文の集大成は「日本一周」ですが、これは現在も販売されて多くの人たちに読まれています。読むと正確に街の様子が伝わってくるような文章は、今よりも旅行に行くことが難しかった時代、人々に多くの夢を与えたことでしょう。紀行文を書いた土地はさまざまですが、それが自分の故郷だったりすると、まるで帰省したような気分を味わえたはずです。

今は旅行に行くときの参考のために、たくさんの旅行雑誌やガイドブックが販売されていますが、その先駆け的な存在として、小説家・田山花袋の存在があるのは興味深いことですし、ぐっと花袋が親しみやすく感じられます。良い紀行文には高い文学性が必要だということが花袋の文章からわかります。

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