応仁の乱をわかりやすく簡単に解説!起こった原因や結果、覚え方も紹介

応仁の乱が与えた影響

ここまでお伝えしてきたとおり、応仁の乱は京都を主な舞台とし、約11年に渡り繰り広げられました。結果的には西幕府の解体で幕を閉じましたが、実質的には勝敗もハッキリしておらず、うやむやのまま終息していきました。

厭戦気分が漂う中にあっても、自分たちの利権のために争うことをやめなかった守護大名たち。そんな応仁の乱が残したものは何だったのか?後世の歴史にどんな影響を与えたのか?などを以下より見て行きたいと思います。

焼け野原になった京都と地方へ伝わった文化

応仁の乱による被害の範囲

前述の通り、応仁の乱は京都の市街地で行われたため、かなりの範囲が焼け野原になったと言われています。その範囲には諸説あるものの、京都の中心地が主な戦場となったため、市街地がごっそり焼け野原になったとも言われています。このため、京都にあった多くの文化財も失われたと言われています。

一方で、京都で戦っていた武士たちは、在京中に貴族や僧侶と交流を持ちました。その中で最先端の京文化を吸収し、乱の後は自分の領国へ下っていきました。また、戦禍を逃れるために多くの公家が地方へ下っていきました。こうして、京都の香り高い文化が地方へ伝わり、文化の発展に大きく寄与したのです。

東山文化の誕生

東山文化の象徴「銀閣寺」

文化面ではもうひとつ「東山文化」の誕生が、特筆事項として挙げられます。将軍の足利義政は、応仁の乱の最中でも遊興にふけっていたダメ将軍でした。そして趣味に傾倒するあまり、自分の隠居所として建立したのが銀閣寺であることはすでに述べました。この銀閣寺で義政が趣味を満喫する中で生まれた文化が「東山文化」です。東山文化を創造した義政は文化人としては高く評価されています。

東山文化は、質素なものに美を見出す「わび・さび」の文化とされ、現在の茶道、華道など現代人が「日本らしさ」を感じる様々な日本文化に影響を与えてました。また、今でも日本人に馴染み深い和室や日本庭園なども、東山文化が原型とされいます。

弱体化した室町幕府

将軍の邸宅だった「花の御所」の跡地

乱の経過からもわかるように、国政の頂点に位置するはずの将軍家が守護大名たちの思惑を制御できず、戦乱が長期化したことで、幕府内の秩序が崩壊しました。その結果、将軍の権威は失墜、戦乱に明け暮れていた畠山氏や斯波氏を始めとする有力守護大名家も没落していきます。

応仁の乱により、将軍と守護大名の連合政権だった室町幕府は、その機能を急速に低下させていきました。なお、応仁の乱直後の幕府権威はそこまで衰退しておらず、決定打となったのは明応2年(1493年)細川政元による将軍擁立事件「明応の政変」だとする説もあります。いずれにしても幕府と将軍の権威が弱くなったことには変わりはありません。

戦国時代へ突入する日本

戦国時代の合戦(川中島の戦い)の様子

文明7年(1477年)に一応は終結した応仁の乱。しかし、京都での争いは終息したものの、地方での局地的な小競り合いは継続していました。守護大名たちは在京して応仁の乱を戦っていたため、その領国では守護代(守護大名の代理で政治を行う者)や在地の豪族(国人)らが力を持ち始めました。そのため、在京の守護大名たちは領地へ帰国し、領国支配を徹底しようとしたのですが、逆に守護代や国人に滅ぼされるケースもありました。これが、いわゆる「下克上」です。

元亀元年(1570年)頃の戦国大名勢力図

やがて、守護大名を滅ぼした守護代や国人、あるいは生き残った守護大名家は「戦国大名」へと変貌していきます。こうして全国各地に独立勢力が台頭。中央政権の室町幕府の影響力も著しく低下していたため各国の独立勢力を制御できず、実力こそが全ての戦国時代へと突入していくのです。

応仁の乱の覚え方

応仁の乱が起こったのは「1467年」。語呂合わせで、

  • 「人の世むなし応仁の乱」

と覚えた方も多いのではないでしょうか。これまでお伝えしてきた通り、応仁の乱は人々の利権が複雑に絡み合い、10年以上もダラダラと続きました。その結果、勝敗もよくわからず室町幕府の権威も衰退、ほとんど無政府状態になった日本は戦国乱世へと突入しました。このように、虚しい結果となった応仁の乱は「人の世むなし(1467)」と覚えるのです。

応仁の乱を扱った作品

おすすめの書籍・漫画

講談社 学習まんが 日本の歴史(9)応仁の乱

応仁の乱を漫画で手軽に学びたい方にオススメの一冊。応仁の乱とその前後の歴史は相当ややこしく、また多くの人物が登場するため、どうしても理解しづらいのですが、そういった煩わしさが多少なりとも緩和できるのは、漫画ならではの魅力と言えるでしょう。

応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱

2016年に発売され、歴史ジャンルでベストセラーになった有名な一冊です。決して簡単な内容ではないのですが、同時代の僧侶の残した史料を元にして乱の経過をまとめた貴重な本です。応仁の乱の中身を詳しく知りたい方にオススメです。

足利義政と東山文化

応仁の乱の時の将軍であり、乱の原因にも大きく関わっている重要人物 足利義政に焦点を当てた一冊。応仁の乱の関する記述はもちろんのこと、足利義政が乱の最中何をやっていたのか、そして義政が生み出した東山文化についてなど、将軍 義政視点で応仁の乱を学べます。

おすすめのドラマ

大河ドラマ 花の乱 完全版 DVD-BOX

数あるNHK大河ドラマの中で、純粋な室町時代のみを描いた唯一の映像作品です。鎌倉時代末期から南北朝時代も含めると太平記も有るのですが、日野富子を主人公として、応仁の乱を中心に室町時代のど真ん中をドラマ化した非常に貴重な作品です。

応仁の乱に関するまとめ

いかがでしたでしょうか?応仁の乱とは、足利将軍家や有力守護大名家の家督争いを発端に、京都の市街地を戦火に巻き込みながら、約11年間も続いてしまった無益な戦いとして位置づけられています。その結果、室町幕府という中央政府が機能しなくなり、日本は戦国時代へと移行していきました。

一方で、日本の文化が飛躍した時代でもあり、応仁の乱が起こったことで京風文化が地方へ広がったり、日本らしさを醸し出す東山文化が誕生したこともまた事実です。負の側面ばかりが目立つ応仁の乱ですが、文化面の発展に目を向けると、また一味違った視点で捉えることもできるのではないでしょうか。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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