イマヌエル・カントとはどんな人?生涯・年表まとめ【名言や思想も紹介】

イマヌエル・カントの功績

功績1「認識論における「コペルニクス的転回」をもたらした」

「これはウサギ」「これはアヒル」――どちらも正しいのなら、それは「ウサギでもアヒルでもあるのでは?」とカントは考える。

「矛盾した二つの事柄が並立しているのなら、そもそも前提条件が間違っているのでは?」

冷静に考えれば当たり前に気付ける事柄ではありますが、この考え方を哲学分野に持ち込み、純粋な哲学の話よりも先に、その前提条件を疑う考えを打ち出したことこそが、カントの最大の功績だと言えるでしょう。

カントはこの発想で、これまで「対象として存在しているものを、人間が認識していた」と考えられていたものを、「人間が認識しているからこそ、そこに対象が存在している」と考える、新たな哲学の前提条件を打ち出すこととなりました。カントはこの発想の転換を「コペルニクス的転回」と称し、その言葉は現代でも文章表現の一つとして使われています。

もっとも、カント以前の認識論が正しかったとも、カントの認識論が正しいとも言えないのが、哲学の難しいところです。しかし「煮詰まった議論に、前提から一石を投じた」という点が、カントの偉大な業績の一つだとも言えるでしょう。

功績2「超越論哲学の基礎とも目される」

「理性とは?」と聞いた時、答えはきっと人によって千差万別。カントはそこを明確に定義しようと試みた。

カントの提唱した”認識に基づく哲学体系”は、現在では超越論哲学として研究が続けられています。

カント以前の哲学によく見られた理性や論理による真理への到達ではなく、まずは「理性とは?」「論理とは?」という言葉の定義を明確化し、「それは真理に至るために適切な手段か?」を考察するのが、カントが提唱したこの学問。

哲学としてはある種異端であり、方法論としても遠回りに感じられますが、現在でも研究され続け、なおかつ明確な答えのない分野となっている事にも、カントの影響が強く残っていると言えるでしょう。

功績3「実は気象学者としての顔も持っていたとか?」

現在も普通に使われる”前線”の概念も、元はカントの理論に影響を受けている。

哲学者として有名なカントですが、実は彼は気象学者としての顔も持ち、しかも現代でも使われる概念に携わっていたことが記録されています。

彼は論文『風の理論の説明に対する新たな注解』において、風という自然現象に関する考察を行っており、その論文は後の気象予報の根拠の一つとなったばかりか、現在も使われる気象における”前線”の考えの根拠ともなっています。

ニュートンの自然哲学に興味を持っていたカントらしい、広範ながら一貫性のある業績だと言えそうです。

イマヌエル・カントの名言

なんじの意志の格律が、つねに同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ

カントが提唱した倫理学の特徴である「定言命法」を表した言葉です。「善は善であるから善である」というような、ある種乱暴な論理ですが、「では善とは?」と考えていたカントの言葉と考えると、少しは腑に落ちる部分もあるのではないかと思います。

真の人間性に最もよく調和する愉しみは、よき仲間との愉しい食事である。

後のトピックでも語る通り、少々アクの強い性格をしていたカントですが、一方で彼は友人との会食を楽しみにするような一面も持ち合わせていました。彼のそんな人間的な側面を表す言葉がこれだと言えるでしょう。

哲学は学べない。学べるのは哲学することだけである。

カントによる哲学論を表した言葉です。「前提条件」という普遍であるべき、普遍でなくてはならないものを疑ったカントらしい言葉だと思います。

イマヌエル・カントにまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「時計よりも正確な男、カント」

生活の基盤である時計だが、カントはそんな時計よりも正確な人物だったとか。

「理性とは?」「論理とは?」という抽象的な言葉を規定しようとしたカントは、やはりと言うべきか非常に几帳面な人物だったと言われています。

特に生活リズムの几帳面さは異常なまでに一貫していたらしく、なかでも彼が午後に行っていた散歩は、エピソードとして残るほど。あまりにいつも同じ時間を同じリズムで歩いていくため、その散歩の経路にある家は、カントの姿を見て時計の狂いを治したのだとも言われています。

また、「いつもの時間にカントが散歩に出てこない」と騒ぎになったことも記録されています。その時のカントはルソーの『エミール』を読みふけって散歩を忘れていたらしく、カントはこの時に「他者を尊敬する心を学んだ」と後に書き残しています。

都市伝説・武勇伝2「功績だけではない?根深い社会問題の生みの親とも目される」

現代にも残る多くの人種問題だが、カントはその先駆けとなってしまったとも目されている。

功罪入り混じるのは歴史上の偉人の常ですが、カントもまた、哲学に関する功績だけでなく、現代にまで続く”ある社会問題”の生みの親と目されてしまっています。

カントは論文『美と崇高との感情性に関する観察』の中で、黒人や黄色人種に対する差別的で(少なくとも現代的には)無根拠な持論を展開。このような論文を発表したことから、カントは「科学的人種主義の生みの親」と目されることにもなってしまっています。

とはいえ、カントの論文の中には白人種の文明に対する痛烈な批判も多いため、「カントによる有色人種批判は、あくまでも(当時の価値観における)文明的な進歩に関する議論なのでは?」とする考え方も決して少なくはありません。

しかし、「科学的人種主義の生みの親」と目されてしまうあたり、カントが決して手放しに賞賛できるだけの人物ではないことは確かだろうと思います。

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