小説ヲタクがおすすめするオールタイムベスト83冊

日英同盟とは?内容や結ばれた理由、復活の可能性も分かりやすく解説

「日英同盟ってなぜ締結されたの?」
「海外の反応はどうだったのかな?」
「最終的に破棄されたのはなぜだろう…」

日本とイギリスが対等な立場で結んだ条約「日英同盟」は、日本にとっては初の軍事同盟であり、イギリスにとってはそれまでの「光栄ある孤立」(いずれの国とも同盟関係を結ばない外交方針)を変更する画期的な条約でした。

今回は、「日英同盟」をテーマに、条約を結ぶまでの歴史的な経緯と目的、内容と第三国の反応、さらに日英同盟のその後についてを解説したいと思います。

日英同盟を簡単に解説すると?

英国艦隊を歓迎する絵葉書

日英同盟は、ロシア帝国の極東進出政策に対抗するため、日本とイギリスの間で1902年1月30日に結ばれた条約です。その後、1904年に起きた日露戦争を挟んで、第二次日英同盟(1905年)、第三次日英同盟(1911年)と更新されました。第一次世界大戦後の1921年、ワシントン海軍軍縮会議により四か国条約が結ばれるとその役割を終え、1923年8月17日に失効しています。

日英同盟が結ばれた理由は?

ひと言でいえば、当時のイギリスが大国ロシアの南下政策を防ぐ上で同盟を考えたとき、もっともふさわしい国が日本であったことが理由です。以下、南下をめざすロシアの恐ろしさと列強の中国分割状況、ドイツ・イギリス・日本の三国の思惑について解説します。

大国・ロシアの恐ろしさ

ロシア膨張政策のキーワードは「凍らない港」

ロシア南下政策はユーラシア大陸全般に及んだ

18世紀、ロシア帝国の南下政策はロマノフ朝において本格化しています。領土は広大なのに、長い冬に凍ってしまい使えない港が多いロシアでは「凍らない港」の獲得が国家的課題でした。

最大の焦点となったのは黒海・バルカン半島です。19世期、ロシアはオスマン帝国に対してクリミア戦争、露土戦争をおこしますが、結果として地中海に出るルートを奪うには至りませんでした。

他方、カスピ海方面に侵攻して二度にわたりイラン・ロシア戦争をおこしたり、中央アジア方面に侵攻してハン国を支配下に治めたりしています。こうしたロシアの南下政策は、スエズ運河やインドでの権利を守りたいイギリスとの間で摩擦となりました。

ロシアによる中国・極東侵略の流れ

中国東北部、黒竜江周辺からロシアの中国侵略がはじまる

ロシアによる中国侵略のきっかけとなったのが、清国(当時の中国)とイギリス・フランス間によるアロー戦争です。1858年、混乱に乗じてロシアは清国とアイグン条約を結び、ロシアは黒龍江左岸(地図でいうと右上)を領土にしています。また、1860年にアロー戦争が終結する折には、ロシアも清国と北京条約を結びました。あらためて黒竜江左岸をロシアの領土であることを確認しつつ、新たに沿海州をロシアの領土としています。

1895年、日清戦争後の下関条約により遼東半島が日本の領土になります。すると、ロシアはフランス・ドイツとともにこれに反発し返還を迫りました(三国干渉)。日本はやむなく遼東半島を清国に返還します。1898年、ロシアは清国から三国干渉の見返り等として、遼東半島の旅順・大連を借りることに成功したのでした。

その後ロシアは旅順に軍港要塞を設けロシア艦隊の拠点とし、大連には鉄道を敷いて東清鉄道と結びます。極東への軍隊や物資の輸送に活用するため、ロシアは東清鉄道とシベリア鉄道をつなぎたいと考えていました。

各国の極東政策(イギリス・フランス・ドイツ・アメリカ)

日清戦争、三国干渉を経て列強に分割される中国

日清戦争後、列強各国は中国の分割支配を加速させます。「眠れる獅子」と怖れていた中国が、日本にも負けてしまうほど弱っていることを目の当たりにしたためです。各国の動きを簡単にまとめると次のようになります。

もっとも早く中国侵略をはじめたのがイギリスです。アヘン戦争後の1842年に南京条約を結び香港を領土としたほか、アロー戦争後の1860年には北京条約を結び九龍半島南部を領土としました。その後、日清戦争で清国が敗退すると、賠償金の支払いに苦しんでいる清国を助ける口実で資金提供を行います。その代わりに、1898年イギリスは威海衛及び九龍半島北部を獲得したのでした。

フランスは清仏戦争後の1895年に鉄道や鉱山についての権利を認めさせ、雲南・広東・広西の支配を強めています。また、1898年には広州湾を占領しその後99年間借りることを清国に認めさせました。

ドイツは1898年の宣教師殺害事件を口実として膠州湾を占領し、そのまま99年間借りることを認めさせています。その間に青島港を築いて艦隊を駐留させたほか、鉄道敷設権、鉱山採掘権を根拠に山東半島を勢力圏としています。

アメリカは中国進出に出遅れ、1899年に国務長官のジョン・ヘイが門戸開放通牒を発し、中国国内での経済的な機会均等を主張するに至りました。翌1900年には中国の領土保全もあわせて主張しました。

ドイツの仲介とイギリス・日本の利害の一致

ドイツによる仲介

ドイツ帝国最後の皇帝となるヴィルヘルム二世

日英同盟のため、日本とイギリスの間をとりもったのは、ドイツでした。ドイツ皇帝・ヴィルヘルム2世はイギリス国王・エドワード7世に、ドイツ宰相・ビューローもまた駐英ドイツ大使を通じてイギリス外相・ランズダウンに対し日英同盟の必要性を説いています。

ドイツにとって日英同盟は、ロシアの矛先を極東に向けさせ、イギリスを日本と組ませることでロシア・フランスと対立させるなど、ドイツの安全を考える上でメリットがあると思っていたのです。

イギリスの思惑

20世紀はじめのイギリス領

イギリスはロシアの南下に警戒を強めます。イギリスの中国における権益(威海衛や香港など)ばかりか、将来的にはインドにまで危機が及ぶとしてことが想定されたからです。ただ、当時のイギリスはボーア戦争などアフリカでの戦争に忙しく、ロシアの相手をする余力がありませんでした。

イギリスは従来、非同盟政策をとっていましたが、ここに来て同盟国を探すことになります。ただし、ドイツは日英同盟を説きつつも矢面に立つことを避けており、フランスはロシアの同盟国、アメリカは非同盟政策、いずれもイギリスの同盟国とはなり得ませんでした。そこで浮上したのが日本でした。

日本の選択

ロシア南下政策を風刺する絵地図

日本もまた、朝鮮半島がロシア領となれば日本もロシアに支配されるのではないか、という思いが強くロシアを怖れていました。いっそ、ロシアと手を組めないか--。という考え方が伊藤博文に代表される「日露協商論(満韓交換論)」とよばれるものです。ロシアには満州の支配を認めるかわりに、日本にも朝鮮での優越権を認めてもらおうという妥協案でした。

伊藤博文はロシアに行き交渉にあたりますが、結果として失敗します。残された方法として有力視されたのが、イギリスとの同盟案でした。

日英同盟の内容

第一次日英同盟締結成る、調印のサインが読みとれる

1902年1月30日、イギリスのランズダウン侯爵邸において日英同盟の調印が行われました。日本代表は駐英公使の林董、イギリス代表は第5代ランズダウン侯爵ヘンリー・チャールズ・キース・ペティ=フィッツモーリス外相です。

日英同盟協約 1902年1月30日
The Anglo-Japanese Alliance, January 30,1902

前文:
日本国政府及び大不列顛(大ブリテン)政府は偏(ひとえ)に極東に於いて現状及び全局の平和を維持することを希望し、 且つ清帝国及び韓帝国の独立と領土保全とを維持すること及び該二国に於いて各国の商工業をして均等の機会を得せしむことに関し、 特に利益関係を有するを以って茲(ここ)に左の如く約定せり。
The governments of Great Britain and Japan, actuated solely by a desire to maintain the status quo and general peace in the Extreme East, being moreover specially interested in maintaining the independence and territorial integrity of the Empire of China and the Empire of Korea, and in securing equal opportunities in those countries for the commerce and industry of all nations, hereby agree as follows:

第1条:
両締約国は相互に清帝国及び韓帝国の独立を承認したるを以って該二国孰(いず)れに於いても全然侵略的趨向に制せらるることなきを声明す。 然れども両締約国の特別なる利益に鑑み即ち其の利益たる大不列顛に取りては主として清国に関し、 また日本国に於いては其の清国に於いて有する利益に加うるに、 韓国に於いて政治上並びに商業上及び工業上格段の利益を有するを以って、 両締約国は若し右等利益にして別国の侵略的行動に因り、 若しくは清国又は韓国に於いて両締約国孰れか其の臣民の生命及び財産を保護する為干渉を要すべき発生に因りて侵迫せられたる場合には、 両締約国孰れも該利益を擁護する為必要欠くべからざる措置を執り得べきことを承認す。
ARTICLE I:
The High Contracting Parties, having mutually recognized the independence of China and Korea, declare themselves to be entirely uninfluenced by any aggressive tendencies in either country. Having in view, however, their special interests of which those of Great Britain relate principally to China, while Japan, in addition to the interests which she possesses in China, is interested in a peculiar degree politically as well as commercially and industrially in Korea, the High Contracting Parties recognise that it will be admissible for either of them to take such measures as may be indispensable in order to safeguard those interests if threatened either by the aggressive action of any other Power, or by disturbances arising in China or Korea, and necessitating the intervention of either of the High Contracting Parties for the protection of the lives and property of its subjects.

第2条:
若し日本国または大不列顛国の一方が上記各自の利益を防護する上に於いて別国と戦端を開くに至りたる時は、 他の一方の締約国は厳正中立を守り併せて其の同盟国に対して他国が交戦に加わるを妨ぐることに努むべし。
ARTICLE II:
If either Great Britain or Japan, in the defence of their respective interests as above described, should become involved in war with another Power, the other High Contracting Party will maintain a strict neutrality, and use its efforts to prevent other Powers from joining in hostilities against its ally.

第3条:
上記の場合において若し他の一国又は数国が該同盟国に対して交戦に加わるときは、 締約国は来たりて援助を与え協同戦闘に当るべし。 講和も又該同盟国と相互合意の上に於いて之を為すべし。
ARTICLE III:
If in the above event any other Power or Powers should join in hostilities against the Ally, the other High Contracting Party will come to its assistance and will conduct the war in common, and make peace in mutual agreement with it.

第4条:
両締約国は孰れも他の一方と協議を経ずして他国と上記の利益を害すべき別約を為さざるべきことを約定す。
ARTICLE IV:
The High Contracting Parties agree that neither of them will, without consulting the other, enter into separate arrangements with another Power to the prejudice of the interests above described.

第5条:
日本国若しくは大不列顛国に於いて上記の利益が危殆に迫れりと認むる時は、 両国政府は相互に十分且つ隔意無く通告すべし。
ARTICLE V:
Whenever, in the opinion of either Great Britain or Japan, the above-mentioned interests are in jeopardy, the two Governments will communicate with one another fully and frankly.

第6条:
本協約は調印の日より直ちに実施し、 該期日より五ヶ年間効力を有するものとす。 若し右五ヶ年間の終了に至る12ヶ月前に締約国の孰れよりも本協約を廃止するの意思を通告せざるときは、 本協約は一方が廃棄の意思を表示したる当日より1ヵ年の終了に至る迄は引き続き効力を有するものとす。 然れども右終了期日に至り同盟国の一方が現に交戦中なる時は、本同盟は講和結了に至る迄当然継続するものとす。
ARTICLE VI:
The present Agreement shall come into effect immediately after the date of its signature, and remain in force for five years from that date. In case neither of the High Contracting Parties should have notified twelve months before the expiration of the said five years the intention of terminating it, it shall remain binding until the expiration of one year from the day on which either of the High Contracting Parties shall have denounced it. But if, when the date fixed for its expiration arrives, either Ally is actually engaged in war, the alliance shall, ipso fact, continue until peace is concluded.

国立公文書館 アジア歴史
1 2

コメントを残す