古代エジプトとは?壁画や有名な王族、当時の人々の服装や生活も解説

「古代エジプト文明ってどんな文明?」
「古代エジプト文明の流れや有名な王、神々について知りたい」
「古代エジプト人はどんな生活をしていたの?」

このページを見てくれている人はそんな疑問を持っているかもしれません。古代エジプト文明は、紀元前3000年ころから紀元前1世紀までのおよそ3000年間にわたって栄えました。巨大なピラミッドやファラオと呼ばれた王たちが眠る王家の谷などの遺跡が有名です。

古代エジプト人の生活や服装は墓などに残された壁画によって知ることができます。また、3000年の間にはクフ王やツタンカーメン王など日本人でも聞いたことがある王(ファラオ)たちが登場します。

今回は、古代エジプト文明の期間や時代区分、生活文化、有名な王たち、代表的な神々などについてわかりやすく解説します。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

古代エジプト文明とは

古代エジプト文明は、エジプトのナイル川流域に生まれた文明で、世界史に大きな影響を与えました。古代エジプトではファラオとよばれる王が国を統治し、民衆を動員してピラミッドやスフィンクスなどの巨大建造物をつくらせました。

「エジプトはナイルの賜物」という言葉を残した歴史家ヘロドトス

ギリシアの歴史家ヘロドトスは「エジプトはナイルの賜物」と評しました。その理由は、ナイル川が良質な土を下流にもたらし、それを利用した農業によって古代エジプト文明が形作られたからです。この農業生産力があったからこそ、巨大建造物を作ることができました。

周囲を海や砂漠で囲まれ閉鎖的なエジプトの地形

周囲を砂漠や海に囲まれたエジプトの地形は外部の侵入を拒みやすく、古代エジプトは3000年にわたり独自の文明をはぐくみます。神聖文字とよばれるエジプト独特の象形文字もその一つでしょう。現在私たちが古代エジプトについて知ることができるのは、彼らが神聖文字で壁画や古文書に様々な情報を書き残してくれたおかげです。

古代エジプト文明の時代区分

古代エジプト文明は4期に分けることが可能です。ピラミッドなどが建造された古王国時代、テーベを中心とした中王国時代、古代エジプトの最盛期となった新王国時代、外国の侵入に苦しんだ末期王朝時代です。これにギリシア系のプトレマイオス朝を加えます。それぞれについてみていきましょう。

古王国時代

紀元前3000年頃、伝説上の王メネスが上エジプト(現在のカイロの南からアスワン付近までの地域)と下エジプト(ナイル川下流域のデルタ地帯)を統一し、エジプト古王国が誕生したとされます。首都は下エジプトのメンフィスに置かれました。

ギザの三大ピラミッド

古王国時代最大の特徴はピラミッドなどの巨大建築がつくられたことです。大規模なピラミッドがつくられたのは第3王朝のジェセル王の時代です。その後、第4王朝のクフ王、カフラー王、メンカフラー王がギザに三大ピラミッドを作らせます。

初期のピラミッドは応募であった可能性が高いとされますが、それ以降のピラミッドは太陽信仰と関係のある遺跡だと考えられます。しかし、正確なところはわかっておらず、古代エジプトの大きな謎の一つとされています。

中王国時代

テーベ近郊の死者の町、ネクロポリス

古王国は地方の有力者が中央政府から自立することで衰退します。その後、エジプトは分裂時代に突入しますが、紀元前2040年頃に上エジプトのテーベの王がエジプト全体を統一しました。これにより、中王国時代が始まります。

中王国時代にエジプトの官僚制度が整備され、より強い仕組みが出来上がります。また、地中海のクレタ島などとの交易などによっても栄えました。この中王国時代に領土はナイル川上流のヌビア(現在のエジプト南部からスーダンにかけて)にまで拡大しました。

中王国を滅ぼし、下エジプトを支配した異民族ヒクソス

紀元前1650年頃、シリア方面からヒクソスとよばれる異民族がエジプトに侵入します。ヒクソスは騎馬や戦車といった新しい軍事技術でエジプト中王国に勝利し、ナイル川下流を支配します。これにより、中王国は滅亡しました。

新王国時代

ヒクソスがナイル川下流域を支配していたころ、中流域のテーベにはエジプト人が支配する政権が残存していました。紀元前1542年、テーベの王アアフメス1世はヒクソスの都アヴァリスを攻め落とし、ヒクソスから下エジプトを取り戻します。

古代エジプト史上、最大版図となったエジプト新王国

紀元前1490年に即位したトトメス3世はシリア・パレスティーナ方面にたびたび出兵し領土を拡大しました。また、ヌビアのクシュ王国も従えたため、トトメス3世時代にエジプトの領土は最大となります。

この新王国時代はテーベの守護神アメンの神官団の勢力が増した時代でもありました。そのため、ファラオとアメン神官団は次第に対立関係になり、やがてアメンホテプ4世の宗教改革の原因となります。

エジプト新王国に大打撃を与えた謎の勢力「海の民」

その後、エジプト新王国はヒッタイト、ミタンニ、カッシートなどとともにオリエントの強国として繁栄しましたが、紀元前1200年頃におきた海の民の侵入によって衰退しました。

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