末期王国時代とプトレマイオス朝
新王国滅亡後からアレクサドロス大王に征服されるまでの期間を末期王朝時代といいます。この間、エジプトはナイル川上流の黒人王国であるクシュ王国やメソポタミアを統一したアッシリアなどの支配を受けました。
アッシリア滅亡後、オリエントは小アジアのリディア、イラン高原のメディア、メソポタミアの新バビロニア、エジプトの末期王朝の4大国による支配となります。そして、メディアから独立したアケメネス朝ペルシアがオリエントを統一し、エジプトもペルシアの支配下にはいりました。
紀元前332年、アケメネス朝ペルシアの軍を何度も打ち破ったマケドニアのアレクサンドロス大王がエジプトを占領しました。これにより、エジプトは大王の帝国の一部となります。
しかし、大王が紀元前323年に急死すると、大王の部下の一人であるプトレマイオスがエジプトで自立しました。これがプトレマイオス朝です。プトレマイオス朝はおよそ300年にわたりエジプトを支配しましたが、その最後の女王がクレオパトラです。彼女がローマのオクタウィアヌスとの戦に敗れ自殺したことにより、プトレマイオス朝は滅亡しました。
古代エジプトの文化や社会、生活は?
古代エジプト文字
古代エジプトには文字が3つありました。壁画などに書き込まれた神聖文字(ヒエログリフ)と神官が日常でつかう神官文字(ヒエラティック)、民衆が使う民衆文字(デモティック)です。ここでは、特に重要なヒエログリフを中心に解説します。
神聖文字(ヒエログリフ)
神聖文字(ヒエログリフ)とは、壁画や「死者の書」、石碑などに用いられた絵文字です。この文字は宗教儀式だけではなく法律や売買契約、結婚の契約にも用いられました。それだけ、重要な文字だったということがわかります。
ヒエログリフが最もよく残されているのが「死者の書」です。「死者の書」は死者が死後の世界に旅立つときに持つとされる書でパピルスとよばれる紙に記されました。「死者の書」には故人を守る呪文や、生前の行いに対する弁明などが書かれています。
解読の手掛かりとなった「ロゼッタストーン」
ヒエログリフ解読のカギとなったのは「ロゼッタストーン」でした。「ロゼッタストーン」はナポレオンのエジプト遠征の時に発見されます。この石はプトレマイオス朝時代の碑文に一部で、ヒエログリフ、デモティック、ギリシア文字が書き込まれていました。
フランスのシャンポリオンは3つの文字が同じ内容であると推測し、ヒエログリフの解読に成功します。シャンポリオンによる解読によって、今までよくわかっていなかった古代エジプト文明の研究が大いに進みました。現在、「ロゼッタストーン」はイギリスの大英博物館で展示されています。
古代エジプト人の食事や服装
上流階級の食事や服装
上流階級の代表であるファラオは、現代人顔負けの豊かな食生活を送っていました。パンやビールはもちろんのこと、羊肉のローストやナイルパーチと呼ばれる淡水魚の丸焼き、ヨーグルトやチーズといった乳製品、ワインなどが食卓に上がります。ただし、牛は神様だったので特別な祭儀の時以外は上流階級でも口にしませんでした。
服装については、男性は腰布のみのシンプルなものです。これは、古代エジプトでは肌を見せることが誇りだったからです。ただ、使われる布は最高級のリネン(麻布)が用いられました。また、高位の男性は様々な被り物をすることが多かったようです。くわえて、上流階級の男性はパピルス製のサンダルを履きました。
女性は現代でも着こなせそうなワンピースが主流だったようです。新王国時代になるとチュニックや透けるドレスのカラシリスなどを着用します。化粧も盛んで、アイシャドーや口紅、マニキュアなどをしていたことがわかっています。
一般民衆の食事や服装
古代エジプトではパンとビールが食事の中心でした。ナイル川でとれる川魚やナイル川に住む水鳥は庶民の貴重な食糧源となります。ほかには玉ねぎやレタス、ザクロなどを栽培して食べていたようです。お祭りの時などは牛や羊のローストを貴族からふるまわれたようです。
一般庶民の男性も上流階級と同じく腰布だけの姿が一般的でした。上流階級との違いは履物を履いていないことと、装飾品をあまり身に着けないことだったでしょう。一般女性もワンピース中心という基本の服装は同じでしたが、化粧や装飾品ははるかに少なかったようです。