第一次世界大戦の元凶といわれている
ヴィルヘルム2世は、宰相ビスマルクの行ってきた協調外交路線でなく、「帝国主義」路線で各国に強気の姿勢をとりました。それにより、英・仏・露の反感を買い、それが結果として第一次世界大戦へと発展してしまっています。
世界で批判された代表的な話として、ヴィルヘルム2世とイギリス軍人の対談があります。イギリス軍人との対談において「ドイツで戦艦を作っているのは極東政策のため」など発言してしまったのです。これは日本の事を指しますが、当時は「日英同盟」が結ばれていたために、日本と戦うということは英国とも対戦することになります。思慮の足らない皇帝の発言に、ドイツ国民は愕然としたそうです。
このような失言や他国を刺激する政策が度重なり、第一次世界大戦が起きた時にはドイツは英・露・仏を敵に回してしまうことになってしまいました。
ヴィルヘルム2世の性格と考え方
ヴィルヘルム2世の性格は、母のヴィクトリアによると、「旅行しても博物館には興味を示さず、風景の美しさにも価値を見出さず、まともな本も読まなかった」「ヴィルヘルムには謙虚さ、善意、配慮が欠けており、彼は高慢で、エゴイストで、心がぞっとするほど冷たい」と評されています。
ただし母と仲が悪かった為に、完全に鵜呑みにすることはできませんが、非常に極端な考え方であったことは間違いありません。その代表的なエピソードが黄色人種の脅威を説く「黄禍論」の主張でした。『黄禍の図』を説く絵画の下絵を描いたのはヴィルヘルムです。ヴィルヘルムは画家に絵を描かせその複製を多数作り、ロシアの皇帝ニコライ2世や、ヨーロッパ王室、アメリカの大統領にも送りつけていたといいます。
ヴィルヘルム2世が怒らせた人は数知れませんがその中には、日本人外交官・石井菊次郎という人が、「余の外交官生活中ドイツのカイゼル・ウィルヘルム2世ぐらい嫌な人はなかった」と記しています。
失言が多い人だった
第一次世界大戦の元凶になったと言われている事からも分かる通り、ヴィルヘルム2世は失言の多い人でした。彼は同盟国のオスマン帝国を訪問している時に、
「ドイツは全世界3億のイスラム教徒の友である」
と発言し、イギリス・ロシア・フランスを刺激してしまいます。恐らくヴィルヘルム2世にとってはリップサービスのようなものだったのでしょうが、イスラム圏に植民地を持つ三国は、「もしイスラム教徒が蜂起したらドイツが味方となる」といったも同然だと受け止められてしまったのです。
この言動はヴィルヘルム自身も悪手だったとは思ったようで、「側近がちゃんとチェックしてくれなかったから」と言っています。しかし後悔しても後の祭り状態で、ドイツが信頼できる国は清とオスマン帝国だけだったといいます。こうした軽率な言動は、各国を怒らせ続けていました。
ヴィルヘルム2世の功績
功績1「『新航路』という政策をとったこと」
皇帝位についたヴィルヘルムは、新政を行っていきます。女性の夜勤・日曜労働・13歳以下の児童労働・現物払いを禁止・16歳以下の人に対する労働時間を制限するなど、当時としては画期的な政策を打ち出しています。この政策は新聞で「新航路」と呼ばれるようになりました。
しかし「新航路」政策によって労働者が政府支持に転じると思っていたヴィルヘルム2世は、その効果をあまりに性急に求めたために効果が薄いと感じるようになり、次第に消極的になっていきました。そして社会政策から次第に「帝国主義」への政策に方向転換することになったのです。結果として「新航路」は終わりを迎えました。しかし中途半端ではあったものの、当時先進的な社会政策を一度行ったことは功績といえるでしょう。
功績2「ジャガイモの剥き方勅令を出したこと」
ヴィルヘルム2世はジャガイモの剥き方に対するユニークな勅令を残しています。内容は、
「ジャガイモは皮を付けたまま食べよ。しかし、どうしても皮を剥く必要があるなら、決して生のうちに剥くな。必ず蒸すか、煮たうえで剥くようにせよ」
この後に内務大臣の注釈が続き、「ジャガイモを生のまま剥くと、皮に11%もついて捨てられる。蒸すか煮るかしてから皮を剥くと、容易に薄い皮だけを剥くことができる」というものでした。
細かい指示に驚くばかりです。ヴィルヘルム2世の性格を表す勅令として紹介されます。正直評価されている訳ではありませんが、確かにフードロスはいつの時代も失くすべきことであり、ある意味時代を先取りしている勅令といえるかもしれませんね。