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大東亜共栄圏とは?なぜ結ばれたのか?目的や海外の反応もわかりやすく解説

「大東亜共栄圏がイマイチよくわからない」
「どんな目的で大東亜共栄圏を作ったのか教えてほしい」

大東亜共栄圏とは、アジア全体を巻き込んだ大きな政策のひとつを指します。あちこちでいろいろなことが起きていた第二次世界大戦の最中に掲げられた政策のため、ややこしく感じてしまうのもありません。

当時の日本も国を挙げてこの政策に取り組んでいました。ただ、教科書などには具体的な中身や実態、評価に関して詳しく書かれていないので、深く知る機会がなかなかないでしょう。

そもそも大東亜共栄圏とはどんな目的で作られたものなのでしょうか。そして大東亜共栄圏の評価や、それにまつわる噂は本当なのか。今回は大東亜共栄圏のそもそものお話とその目的と実体、後世の評判や最近あちこちで見かける「ある噂」についてお話をしていきます。

大東亜共栄圏とは?

大東亜共栄圏結成時の各国首脳の集合写真。中央に映るのが東条英機首相。

大東亜共栄圏とは、当時の大日本帝国としては国を挙げて取り組むべき巨大政策のひとつでした。そして対象とされたアジア諸国はこれに賛同、大東亜共栄圏が成立したのです。巨大な国家共同体として成立した大東亜共栄圏ですが、実はその提唱は政策としてではなく、ただの標語だったのです。しかし、あれよあれよという間に政策に昇華したという経緯があります。

ではそもそも大東亜共栄圏という考え方が生まれ、政策となって各国と結ばれるまでの過程はどのようなものだったのでしょうか。

欧米勢力排除を目的とした政策

童話『ヘンゼルとグレーテル』の表紙。昔のヨーロッパはこの童話のように森だらけで資源は少なかった。

大東亜共栄圏の本来の目的は、アジアから欧米勢力を排除することになりました。当時のアジア情勢は、ヨーロッパによる植民地政策を受ける側であり、欧米の権益獲得の争いに巻き込まれる傾向にありました。

欧米は、今でこそものが豊かなイメージですが、植民地政策全盛期、ヨーロッパではそれほど物がなく、アジア独自の物を獲得することに必至でした。貿易相手にすると欧米側も対価を払わなければならなかったため、「それなら支配しよう」という結論に至ったのが植民地政策の始まりです。

第二次世界大戦の直前、世界はその殆どがイギリス植民地、他にフランス、アメリカと欧米諸国の支配下で重税・重労働に勤しむことになっていました。それらの国々にとって、自分たちの主張は通らない強固な支配体制に反発する中で、アジアでその力を伸ばしていた日本の提案に乗らない案はなかったのです。

もともとはただの標語だった

近衛文麿首相。大東亜秩序を発表した張本人。

大東亜共栄圏は最初から政策として発表されたわけではありませんでした。始まりは1940年、当時の首相・近衛文麿が第二次内閣組閣の時に発表した「大東亜秩序」がその始まりです。

「共栄圏」の名付け親は松岡洋右。国際連盟脱退を実行した外務大臣として有名です。松岡はドイツで掲げられていた「生存圏」から着想を得て共栄圏の名を用いたのです。

松岡洋右外務大臣。国際連盟脱退の際は英雄として新聞で報道された。

あくまで標語・基本方針として掲げられていましたが、どこの国を対象に何をするかまで具体的に決まっていたため、政策化はそれほど難しいものではありませんでした。その性格は政治的・経済的な共存を目指す、今で言うところのASEANなどに近いものです。もちろん中心には日本が存在し、日本の号令のもと、欧米勢力を排除し主権を回復しようとするものだったことは言うまでもないでしょう。

なぜ結ばれたのか?

大東亜共栄圏成立を記念して発行された切手。かなりデフォルメされている。

大東亜共栄圏の思想はすぐさま対象とされた地域に広がり、各国の賛同を得て実行に移されました。

1941年、太平洋戦争開戦に伴って日本は大東亜共栄圏の政策を実行に移します。日本は同時期にアジアに侵攻し、次々に欧米諸国の手からアジア各国を開放。これに各国が喜ばなかったわけがありません。

植民地支配は、言ってしまえば奴隷同然の扱いしか受けられないことがほとんどです。自国で生産したものは宗主国本国に送られ、自分たちが使えるのは異常に高い関税をかけられた輸入品のみ。もちろん実費です。さらに本国の需要を満たすために政策下で進められた生産を半ば強制的にさせられていました。

独立運動などもってのほか。近代兵器で武装した欧米諸国には手も足も出なかったアジアが、その支配から開放してくれた日本がさらに自分たちを守ってくれるであろう大東亜共栄圏に乗らないという判断はなかったのです。

大東亜共栄圏の思想の変遷

大東亜共栄圏の思想は、実は近衛内閣で突然出てきたものではありませんでした。古くから存在していた別の思想の発展系という捉え方もできるのが大東亜共栄圏の面白いところでもあります。

もちろん多少の性格は違えど、原点となった「汎アジア」思想があったからこそ大東亜共栄圏の思想が生まれたのです。では、この思想は一体どんなもので、近衛内閣が基本方針として掲げた大東亜秩序とどのような関係があったのか。ここではその内容についてお話していきましょう。

古くからあった「汎アジア」思想

汎アジア主義について書かれた本。この思想は海外でも注目されていた。

汎アジア思想とは、それ自体が思想として出来上がっているものではなく、アジアのあり方についての思想やそれに関連する運動の総称です。つまりいくつもの思想や運動がこの思想を形作っているのです。

明治中期にはすでに「興亜論」として日本国内で存在していました。欧米勢力の排除とアジアの復興を目的に、政治の世界のみならず、思想家の間でもしきりに議論をされていたのです。この「興亜論」の大きな特徴は、出始めた当初は非戦の考え方が強かったこと。つまり武力による目的達成は考えていなかったことになります。

しかし、時代が下るにつれて徐々に主戦派が台頭。日清戦争以降は日本の軍事力が世界に通じることが立証されたこともあり、徐々に平和裡にこれを成し遂げようとする派閥は姿を消していったのです。

近衛文麿の政治的基本方針

大東亜の名を冠した薬の宣伝。大東亜という言葉そのものが流行し広まっていった。

第二次近衛内閣が発表した基本方針の中で、大東亜秩序として興亜論は日本社会の表舞台に出てきました。第二次近衛内閣組閣時に発表された「基本国策要綱」に、「大東亜秩序」という名で登場しています。

中軸、つまりこの秩序に据えられたのは日本・満州国・中華民国の3カ国。この他、フランス領インドシナ・タイ・オランダ領東インドなど計9つの国と地域を欧米勢力排除のターゲットとして想定しました。

当時の日本は台湾と朝鮮半島を植民地としていましたが、経済基盤としては脆弱でした。それを補うための方針として登場したのです。言ってしまえば植民地支配を拡大するという名目でしたが、当時の日本の国力増強の思惑、そして該当国として名指しされた国々の主権回復の願望がマッチし、大東亜共栄圏として形をなしたのです。

「大東亜が日本の生存圏」

『我が闘争』の表紙。ヒトラーはこの中で初めて「生存圏」を政治的に解釈した。

「大東亜」の文字が出てきた当時、これが指す地域は日本・満州国・中華民国の3か国でした。それ以外の地域に関してはこの当時は含まれておらず、この3か国で「日満支経済ブロック」を形成していたのです。欧米諸国の経済ブロック同様のものとして扱われていたのですが、その背景にはドイツの「生存圏」思想がありました。

生存圏の言葉が政治的な意味を持って初めて出てきたのは、ナチスの総統であったアドルフ・ヒトラーの著書『我が闘争』です。もともとドイツの主要民族であるゲルマン人には十分な空間(土地)が与えられていないという思想が存在していました。その空間とは国境によって分けられていると考えられており、国土が決して広くはなかったドイツにとって、この生存圏の拡大は国の威信をかけた問題でもありました。

演説するアドルフ・ヒトラー。ドイツの威信をかけた主張こそが『我が闘争』だった。

しかし、他の欧米諸国が植民地政策に成功する中、ドイツは後れを取ってしまい気が付いたころには手を出す余地がないほど他の国の支配地が増えていました。ドイツにとってはこれ以上の屈辱はなく、自分たちの生存圏拡大に失敗したことに対して、ヒトラーは著書の中で回復するという意味を込めてこの語を用いたのです。

日本はこれを引用。日本も同様の事情を抱えていたという背景も手伝ってこの思想は広がっていきました。そしてこれを端的に表した標語こそが「大東亜は日本の生存圏」なのです。この言葉は発表された1940年に流行語となり、日本全体に広がっていきました。

大東亜共同宣言を経て国策へ

大東亜共同宣言の英文の宣誓書。この条文に対してはさまざまな意見が寄せられたが日本は拒否を貫いた。

日本がアジアに本格進出を果たした1941年の宣戦布告から2年余りで、日本は関係各国と合意したとのことで大東亜共同宣言を発表します。この宣言に至るまでに、日本はフランス領インドシナを始めとする当該諸国に侵略し独立を保障していきました。1943年に各国の代表を集められた大東亜会議が開催され、この宣言が採択・発表されたのです。

大東亜共同宣言の内容は次のようになっています。

抑〻世界各國ガ各其ノ所ヲ得相倚リ相扶ケテ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ世界平和確立ノ根本要義ナリ
然ルニ米英ハ自國ノ繁榮ノ爲ニハ他國家他民族ヲ抑壓シ特ニ大東亞ニ對シテハ飽クナキ侵略搾取ヲ行ヒ大東亞隷屬化ノ野望ヲ逞ウシ遂ニハ大東亞ノ安定ヲ根柢ヨリ覆サントセリ大東亞戰爭ノ原因茲ニ存ス
大東亞各國ハ相提携シテ大東亞戰爭ヲ完遂シ大東亞ヲ米英ノ桎梏ヨリ解放シテ其ノ自存自衞ヲ全ウシ左ノ綱領ニ基キ大東亞ヲ建設シ以テ世界平和ノ確立ニ寄與センコトヲ期ス
一、大東亞各國ハ協同シテ大東亞ノ安定ヲ確保シ道義ニ基ク共存共榮ノ秩序ヲ建設ス
一、大東亞各國ハ相互ニ自主獨立ヲ尊重シ互助敦睦ノ實ヲ擧ゲ大東亞ノ親和ヲ確立ス
一、大東亞各國ハ相互ニ其ノ傳統ヲ尊重シ各民族ノ創造性ヲ伸暢シ大東亞ノ文化ヲ昂揚ス
一、大東亞各國ハ互惠ノ下緊密ニ提携シ其ノ經濟發展ヲ圖リ大東亞ノ繁榮ヲ增進ス
一、大東亞各國ハ萬邦トノ交誼ヲ篤ウシ人種的差別ヲ撤廢シ普ク文化ヲ交流シ進ンデ資源ヲ開放シ以テ世界ノ進運ニ貢獻ス


そもそも世界各国がそれぞれその所を得、互いに頼り合い助け合ってすべての国家がともに栄える喜びをともにすることは、世界平和確立の根本です。
しかし米英は、自国の繁栄のためには、他の国や民族を抑圧し、特に大東亜に対しては飽くなき侵略と搾取を行い、大東亜を隷属化する野望をむきだしにし、ついには大東亜の安定を根底から覆そうとしました。大東亜戦争の原因はここにあります。
大東亜の各国は、互いに提携して大東亜戦争を戦い抜き、大東亜諸国を米英の手かせ足かせから解放し、その自存自衞を確保し、次の綱領にもとづいて大東亜を建設し、これによって世界の平和の確立に寄与することを期待しています。

  1. 大東亜各国は、協同して大東亜の安定を確保し、道義に基づく共存共栄の秩序を建設します。
  2. 大東亜各国は、相互に自主独立を尊重し、互いに仲よく助け合って、大東亜の親睦を確立します。
  3. 大東亜各国は、相互にその伝統を尊重し、各民族の創造性を伸ばし、大東亜の文化を高めます。
  4. 大東亜各国は、互恵のもとに緊密に提携し、その経済発展を図り、大東亜の繁栄を増進します。
  5. 大東亜各国は、すべての国との交流を深め、人種差別を撤廃し、広く文化を交流し、すすんで資源を開放し、これによって世界の発展に貢献します。

大東亜共同宣言は満場一致で採択され、正式に効力を発揮します。日本にその中心国として、重大な国内政策の1つとして推し進めていくととなりました。

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5 COMMENTS

匿名

『大東亜共栄圏を言い出すのは「ネトウヨ」?』のところの最後の1行の「身長」は慎重の間違えではないでしょうか

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