大東亜共栄圏とは?なぜ結ばれたのか?目的や海外の反応もわかりやすく解説

「大東亜共栄圏がイマイチよくわからない」
「どんな目的で大東亜共栄圏を作ったのか教えてほしい」

大東亜共栄圏とは、アジア全体を巻き込んだ大きな政策のひとつを指します。あちこちでいろいろなことが起きていた第二次世界大戦の最中に掲げられた政策のため、ややこしく感じてしまうのもありません。

当時の日本も国を挙げてこの政策に取り組んでいました。ただ、教科書などには具体的な中身や実態、評価に関して詳しく書かれていないので、深く知る機会がなかなかないでしょう。

そもそも大東亜共栄圏とはどんな目的で作られたものなのでしょうか。そして大東亜共栄圏の評価や、それにまつわる噂は本当なのか。今回は大東亜共栄圏のそもそものお話とその目的と実体、後世の評判や最近あちこちで見かける「ある噂」についてお話をしていきます。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

大東亜共栄圏とは?

大東亜共栄圏結成時の各国首脳の集合写真。中央に映るのが東条英機首相。

大東亜共栄圏とは、当時の大日本帝国としては国を挙げて取り組むべき巨大政策のひとつでした。そして対象とされたアジア諸国はこれに賛同、大東亜共栄圏が成立したのです。巨大な国家共同体として成立した大東亜共栄圏ですが、実はその提唱は政策としてではなく、ただの標語だったのです。しかし、あれよあれよという間に政策に昇華したという経緯があります。

ではそもそも大東亜共栄圏という考え方が生まれ、政策となって各国と結ばれるまでの過程はどのようなものだったのでしょうか。

欧米勢力排除を目的とした政策

童話『ヘンゼルとグレーテル』の表紙。昔のヨーロッパはこの童話のように森だらけで資源は少なかった。

大東亜共栄圏の本来の目的は、アジアから欧米勢力を排除することになりました。当時のアジア情勢は、ヨーロッパによる植民地政策を受ける側であり、欧米の権益獲得の争いに巻き込まれる傾向にありました。

欧米は、今でこそものが豊かなイメージですが、植民地政策全盛期、ヨーロッパではそれほど物がなく、アジア独自の物を獲得することに必至でした。貿易相手にすると欧米側も対価を払わなければならなかったため、「それなら支配しよう」という結論に至ったのが植民地政策の始まりです。

第二次世界大戦の直前、世界はその殆どがイギリス植民地、他にフランス、アメリカと欧米諸国の支配下で重税・重労働に勤しむことになっていました。それらの国々にとって、自分たちの主張は通らない強固な支配体制に反発する中で、アジアでその力を伸ばしていた日本の提案に乗らない案はなかったのです。

もともとはただの標語だった

近衛文麿首相。大東亜秩序を発表した張本人。

大東亜共栄圏は最初から政策として発表されたわけではありませんでした。始まりは1940年、当時の首相・近衛文麿が第二次内閣組閣の時に発表した「大東亜秩序」がその始まりです。

「共栄圏」の名付け親は松岡洋右。国際連盟脱退を実行した外務大臣として有名です。松岡はドイツで掲げられていた「生存圏」から着想を得て共栄圏の名を用いたのです。

松岡洋右外務大臣。国際連盟脱退の際は英雄として新聞で報道された。

あくまで標語・基本方針として掲げられていましたが、どこの国を対象に何をするかまで具体的に決まっていたため、政策化はそれほど難しいものではありませんでした。その性格は政治的・経済的な共存を目指す、今で言うところのASEANなどに近いものです。もちろん中心には日本が存在し、日本の号令のもと、欧米勢力を排除し主権を回復しようとするものだったことは言うまでもないでしょう。

なぜ結ばれたのか?

大東亜共栄圏成立を記念して発行された切手。かなりデフォルメされている。

大東亜共栄圏の思想はすぐさま対象とされた地域に広がり、各国の賛同を得て実行に移されました。

1941年、太平洋戦争開戦に伴って日本は大東亜共栄圏の政策を実行に移します。日本は同時期にアジアに侵攻し、次々に欧米諸国の手からアジア各国を開放。これに各国が喜ばなかったわけがありません。

植民地支配は、言ってしまえば奴隷同然の扱いしか受けられないことがほとんどです。自国で生産したものは宗主国本国に送られ、自分たちが使えるのは異常に高い関税をかけられた輸入品のみ。もちろん実費です。さらに本国の需要を満たすために政策下で進められた生産を半ば強制的にさせられていました。

独立運動などもってのほか。近代兵器で武装した欧米諸国には手も足も出なかったアジアが、その支配から開放してくれた日本がさらに自分たちを守ってくれるであろう大東亜共栄圏に乗らないという判断はなかったのです。

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6 COMMENTS

匿名

「要するに、日本と当該地域による共存共栄がアジアの秩序形成には欠かせない、というのです。しかし、それは名ばかりのものでその実態は植民地支配そのものでした。事実、独立を認めた国々には日本が主導する近代化と銘打たれた政策が次々と行われました。

教育面においては皇民教育が強制され、各地には神社などが建てられるなど様相が一変。また、政治においても、公正な選挙で選ばれた代表者ではなく、日本政府が指名した人間が政治家として活動するなど。あくまで保護と支援を名目に内政干渉を続けていた日本の政策が植民地支配そのもののであったことから、一部のアジア諸国の不満は徐々に募っていったのです。」とありますが、この内容はどのような文献からのものなのか教えて頂けますか?

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匿名

『大東亜共栄圏を言い出すのは「ネトウヨ」?』のところの最後の1行の「身長」は慎重の間違えではないでしょうか

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