大東亜共栄圏の思想の変遷
大東亜共栄圏の思想は、実は近衛内閣で突然出てきたものではありませんでした。古くから存在していた別の思想の発展系という捉え方もできるのが大東亜共栄圏の面白いところでもあります。
もちろん多少の性格は違えど、原点となった「汎アジア」思想があったからこそ大東亜共栄圏の思想が生まれたのです。では、この思想は一体どんなもので、近衛内閣が基本方針として掲げた大東亜秩序とどのような関係があったのか。ここではその内容についてお話していきましょう。
古くからあった「汎アジア」思想
汎アジア思想とは、それ自体が思想として出来上がっているものではなく、アジアのあり方についての思想やそれに関連する運動の総称です。つまりいくつもの思想や運動がこの思想を形作っているのです。
明治中期にはすでに「興亜論」として日本国内で存在していました。欧米勢力の排除とアジアの復興を目的に、政治の世界のみならず、思想家の間でもしきりに議論をされていたのです。この「興亜論」の大きな特徴は、出始めた当初は非戦の考え方が強かったこと。つまり武力による目的達成は考えていなかったことになります。
しかし、時代が下るにつれて徐々に主戦派が台頭。日清戦争以降は日本の軍事力が世界に通じることが立証されたこともあり、徐々に平和裡にこれを成し遂げようとする派閥は姿を消していったのです。
近衛文麿の政治的基本方針
第二次近衛内閣が発表した基本方針の中で、大東亜秩序として興亜論は日本社会の表舞台に出てきました。第二次近衛内閣組閣時に発表された「基本国策要綱」に、「大東亜秩序」という名で登場しています。
中軸、つまりこの秩序に据えられたのは日本・満州国・中華民国の3カ国。この他、フランス領インドシナ・タイ・オランダ領東インドなど計9つの国と地域を欧米勢力排除のターゲットとして想定しました。
当時の日本は台湾と朝鮮半島を植民地としていましたが、経済基盤としては脆弱でした。それを補うための方針として登場したのです。言ってしまえば植民地支配を拡大するという名目でしたが、当時の日本の国力増強の思惑、そして該当国として名指しされた国々の主権回復の願望がマッチし、大東亜共栄圏として形をなしたのです。
「大東亜が日本の生存圏」
「大東亜」の文字が出てきた当時、これが指す地域は日本・満州国・中華民国の3か国でした。それ以外の地域に関してはこの当時は含まれておらず、この3か国で「日満支経済ブロック」を形成していたのです。欧米諸国の経済ブロック同様のものとして扱われていたのですが、その背景にはドイツの「生存圏」思想がありました。
生存圏の言葉が政治的な意味を持って初めて出てきたのは、ナチスの総統であったアドルフ・ヒトラーの著書『我が闘争』です。もともとドイツの主要民族であるゲルマン人には十分な空間(土地)が与えられていないという思想が存在していました。その空間とは国境によって分けられていると考えられており、国土が決して広くはなかったドイツにとって、この生存圏の拡大は国の威信をかけた問題でもありました。
しかし、他の欧米諸国が植民地政策に成功する中、ドイツは後れを取ってしまい気が付いたころには手を出す余地がないほど他の国の支配地が増えていました。ドイツにとってはこれ以上の屈辱はなく、自分たちの生存圏拡大に失敗したことに対して、ヒトラーは著書の中で回復するという意味を込めてこの語を用いたのです。
日本はこれを引用。日本も同様の事情を抱えていたという背景も手伝ってこの思想は広がっていきました。そしてこれを端的に表した標語こそが「大東亜は日本の生存圏」なのです。この言葉は発表された1940年に流行語となり、日本全体に広がっていきました。
大東亜共同宣言を経て国策へ
日本がアジアに本格進出を果たした1941年の宣戦布告から2年余りで、日本は関係各国と合意したとのことで大東亜共同宣言を発表します。この宣言に至るまでに、日本はフランス領インドシナを始めとする当該諸国に侵略し独立を保障していきました。1943年に各国の代表を集められた大東亜会議が開催され、この宣言が採択・発表されたのです。
大東亜共同宣言の内容は次のようになっています。
抑〻世界各國ガ各其ノ所ヲ得相倚リ相扶ケテ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ世界平和確立ノ根本要義ナリ
然ルニ米英ハ自國ノ繁榮ノ爲ニハ他國家他民族ヲ抑壓シ特ニ大東亞ニ對シテハ飽クナキ侵略搾取ヲ行ヒ大東亞隷屬化ノ野望ヲ逞ウシ遂ニハ大東亞ノ安定ヲ根柢ヨリ覆サントセリ大東亞戰爭ノ原因茲ニ存ス
大東亞各國ハ相提携シテ大東亞戰爭ヲ完遂シ大東亞ヲ米英ノ桎梏ヨリ解放シテ其ノ自存自衞ヲ全ウシ左ノ綱領ニ基キ大東亞ヲ建設シ以テ世界平和ノ確立ニ寄與センコトヲ期ス
一、大東亞各國ハ協同シテ大東亞ノ安定ヲ確保シ道義ニ基ク共存共榮ノ秩序ヲ建設ス
一、大東亞各國ハ相互ニ自主獨立ヲ尊重シ互助敦睦ノ實ヲ擧ゲ大東亞ノ親和ヲ確立ス
一、大東亞各國ハ相互ニ其ノ傳統ヲ尊重シ各民族ノ創造性ヲ伸暢シ大東亞ノ文化ヲ昂揚ス
一、大東亞各國ハ互惠ノ下緊密ニ提携シ其ノ經濟發展ヲ圖リ大東亞ノ繁榮ヲ增進ス
一、大東亞各國ハ萬邦トノ交誼ヲ篤ウシ人種的差別ヲ撤廢シ普ク文化ヲ交流シ進ンデ資源ヲ開放シ以テ世界ノ進運ニ貢獻ス
訳
そもそも世界各国がそれぞれその所を得、互いに頼り合い助け合ってすべての国家がともに栄える喜びをともにすることは、世界平和確立の根本です。
しかし米英は、自国の繁栄のためには、他の国や民族を抑圧し、特に大東亜に対しては飽くなき侵略と搾取を行い、大東亜を隷属化する野望をむきだしにし、ついには大東亜の安定を根底から覆そうとしました。大東亜戦争の原因はここにあります。
大東亜の各国は、互いに提携して大東亜戦争を戦い抜き、大東亜諸国を米英の手かせ足かせから解放し、その自存自衞を確保し、次の綱領にもとづいて大東亜を建設し、これによって世界の平和の確立に寄与することを期待しています。
- 大東亜各国は、協同して大東亜の安定を確保し、道義に基づく共存共栄の秩序を建設します。
- 大東亜各国は、相互に自主独立を尊重し、互いに仲よく助け合って、大東亜の親睦を確立します。
- 大東亜各国は、相互にその伝統を尊重し、各民族の創造性を伸ばし、大東亜の文化を高めます。
- 大東亜各国は、互恵のもとに緊密に提携し、その経済発展を図り、大東亜の繁栄を増進します。
- 大東亜各国は、すべての国との交流を深め、人種差別を撤廃し、広く文化を交流し、すすんで資源を開放し、これによって世界の発展に貢献します。
大東亜共同宣言は満場一致で採択され、正式に効力を発揮します。日本にその中心国として、重大な国内政策の1つとして推し進めていくととなりました。
「要するに、日本と当該地域による共存共栄がアジアの秩序形成には欠かせない、というのです。しかし、それは名ばかりのものでその実態は植民地支配そのものでした。事実、独立を認めた国々には日本が主導する近代化と銘打たれた政策が次々と行われました。
教育面においては皇民教育が強制され、各地には神社などが建てられるなど様相が一変。また、政治においても、公正な選挙で選ばれた代表者ではなく、日本政府が指名した人間が政治家として活動するなど。あくまで保護と支援を名目に内政干渉を続けていた日本の政策が植民地支配そのもののであったことから、一部のアジア諸国の不満は徐々に募っていったのです。」とありますが、この内容はどのような文献からのものなのか教えて頂けますか?
追求課題に用いらせて頂きました。ありがとうございました。
勉強になります!有難うございます!
『大東亜共栄圏を言い出すのは「ネトウヨ」?』のところの最後の1行の「身長」は慎重の間違えではないでしょうか
ご指摘ありがとうございます!
誤字でした。修正致しました。
ご指摘、ありがとうございます。修正し、更新いたしました。