モンロー主義と孤立主義の違い
モンロー主義と孤立主義はアメリカの外交姿勢として使われる言葉ですが、両者にはどういった違いがあるのでしょうか。結論から言うと、ほとんど違いはありません。
孤立主義とモンロー主義はほぼ同じ意味で、地域間でお互いに干渉しない姿勢を表す意味で使われています。両者の違いをあえてあげるなら、孤立主義は広い意味での言葉で、モンロー主義はモンロー大統領が提出した教書の内容で、アメリカの外交方針という意味あいが強いです。
どちらを使っても間違いではないのですが、孤立主義という言葉の方が、モンロー主義について知らない人に伝わりやすいでしょう。
モンロー主義の背景
ラテンアメリカの独立運動とウィーン体制
モンロー主義がアメリカに根付いた背景はいくつかありますが、その一つにヨーロッパによる中南米大陸への干渉が挙げられます。
1799年に起こり、1815年に終結したナポレオン戦争は、スペインのアメリカ植民地への支配力を弱体化させました。戦争をしていたので、ラテンアメリカに構う余裕がなかったのです。独立したかったラテンアメリカ諸国にとってこれはチャンスで、彼らは次々に独立へと動き出しました。
しかし、1815年にウィーン会議が行われ、ヨーロッパが絶対王政を復活させて各国間の同盟が結ばれるとスペインにも余裕が生まれます。結果、スペインはラテンアメリカの植民地で起こった独立運動を鎮圧させようと動きはじめました。
スペインだけならまだよかったのですが、独立運動の鎮圧にフランスやオーストリア、ロシアも介入します。
なぜ三国が加わったのかというと、ヨーロッパ情勢が荒れた原因となった自由主義やナショナリズム(国民主体の国を作ろうという思想)が、ラテンアメリカの独立運動により再びヨーロッパで復活しては困るからです。
ヨーロッパ諸国の干渉は、ラテンアメリカへと勢力を伸ばしたいアメリカにとって不都合なものでした。そういった事情があり、孤立主義的なところはあれどそれを明確にしなかったアメリカはあえてモンロー教書を声明し、はっきりと孤立主義の姿勢を明らかにしたのです。
また、この声明には、西半球からヨーロッパ勢力を排除し、アメリカの覇権を確立するねらいもありました。
市場としてラテンアメリカを狙っていたイギリス
独立運動に反対していたスペインらと違い、イギリスは独立運動を支持しました。
なぜかというと、ラテンアメリカが再びスペインやその他のヨーロッパ諸国の植民地に戻ってしまうと、自由に工業製品を売れなくなってしまうからです。このとき、イギリスでは産業革命が起きており、製品が国内で余っていました。
ラテンアメリカは後進地域だったため、製品の売り先として適していたのです。
そこでイギリスは、ラテンアメリカに干渉するヨーロッパ諸国を排除するため、外相のカニングを通じて干渉反対の共同宣言を提案しました。しかし、前述したようにイギリスへの不信感があったアメリカは共同宣言ではなく、単独宣言に踏み入りました。
ロシア南下政策への牽制
ヨーロッパ諸国の干渉もアメリカにとって悩みの種でしたが、実はもう一つ大きな懸念がありました。
ロシアの南下です。ロシアが太平洋沿いに南下政策を図ってこないか、アメリカにとっては頭を悩ませる問題の一つでした。実際にロシアはベーリング海峡を渡って、アメリカ大陸西北端のアラスカにまで進出していました。
さらに1821年にロシアは「北アメリカ大陸の北緯51度より北をロシア領とする」という布告を出し、南下の姿勢を示しました。これは、ラテンアメリカへのヨーロッパ諸国の干渉とほぼ同時期に起こっており、両者を牽制するためにもモンロー教書によって立場を明らかにする必要があったのでしょう。