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オルメカ文明とは?マヤ文明との違いや文化、信仰についてもわかりやすく解説

オルメカ文明ってなに?
マヤ文明より古い文明って本当?
どんな文化を持っていたの?

この記事をご覧の人は、このような疑問を抱いているでしょう。または、

「マヤ文明は聞いたことあるけれど、オルメカ文明は聞いたことがない」

という人もいるかもしれません。

オルメカ文明とは、紀元前1200年から1000年前かけてアメリカ大陸メキシコ湾岸沿いに存在した文明です。

その歴史は古く、メキシコや中央アメリカ地域の文明であるメソアメリカ文明の中でも、最古の文明になります。

オルメカ独特の文様が彫られている壺

オルメカ文明は、ジャガー信仰や巨大な人頭像の建設など独特の文化を持っていました。それだけでなく、後世に続くマヤ文明やテオティワカン文明にも影響を及ぼすほどの知識や技術を使用していたのです。

また、オルメカ文明はメソアメリカ文明の源であり、「母なる文明」とも言われています。そして、紀元前400年から200年頃に突然消えてしまった謎の多い文明としても知られているのです。

この記事では古代文明好きで関連書籍や記事を読み漁っている筆者がオルメカ文明の文化や信仰について余すことなくご紹介していきます!

この記事を書いた人

Webライター

岩野 祐里

Webライター、岩野祐里(いわのゆり)。5歳の頃、イギリス史に夢中になり図書館へ通いながら育つ。大学では国際文化を専攻し、イギリス史と英文学の研究に没頭。その後、大学院にて修士課程を修了。研究論文は「19世紀英国の社会と犯罪」について。歴史全般の研究歴は11年、イギリス史は21年に及ぶ。現在はWebライターとして活動中。

オルメカ文明とは

オルメカ文明の生誕の場所

オルメカ文明とは、紀元前1200年頃に北アメリカ大陸のメキシコ湾岸で誕生した古代文明の一つです。オルメカ文明の「オルメカ」は、アメリカ先住民族の一つであるユト・アステカ語族のナワ語に由来しています。

「オルメカ」の意味は「ゴムの人」であり、スペイン植民地時代にメキシコ湾岸で暮らしていた住民を表した言葉です。この名の通り、オルメカ文明はメキシコ湾岸を中心として栄えました。

オルメカ文明が誕生した土地は熱帯気候の低地であり、多くの洪水の被害を受けた土地です。しかし、それによって河川ができ、土地が肥えて都市を築いていくことができたのです。

赤ちゃんの形の土偶

オルメカの人々は宝石を加工する技術や神殿や巨大な人頭像を建設する建築技術を持っていました。それだけではなく、天体の動きによって細かい歴を作る方法やゼロを使用した計算、絵文字なども用いていたのです。

オルメカ文明はメソアメリカ文明最古の都市文明ですが、現代に通じる高度な技術を持っていたことが分かりますね。このようなオルメカ文明の影響力は、中央アメリカ北西部にまで広がりました。

オルメカ文明の文化

オルメカ文明では、暦法や加工技術の他にも独自の文化があります。それは、ジャガー信仰や生贄の儀式、巨大な人頭像の建築です。いずれも、現代の文明ではあまり見られないオルメカ文明ならではの文化になります。

ジャガー信仰

ジャングルに住むジャガー

オルメカ文明では「ジャガー信仰」が行われていました。ジャガーは北アメリカ南部からメキシコ、南アメリカに生息する猫科の肉食獣です。

オルメカ文明が栄えていた頃は、現在と違って生物の頂点には人間ではなく大型の肉食獣が君臨していました。そのため、オルメカの人々にとって身近に生息していた最強の肉食獣であるジャガーは崇拝すべき存在だったのです。

オルメカ文明では、ジャガーは豊穣や雨をもたらす神として崇められました。当時の支配者たちはジャガーと人間を合わせたデザインの遺物を数多く作り、自身の権力を表したのです。その中でも、代表的な二つの遺物を紹介します。

翡翠の石斧

翡翠の石斧

オルメカ文明の遺物として発掘された中には、美しい翡翠の石斧がありました。この翡翠の石斧にはオルメカの王の姿が描かれているのですが、この王の姿がジャガーの姿を模しているとされています。

例えば、本来の人間の顔よりも大きな鼻や口元がジャガーが吠えている様子を表しているのです。このような人の姿は他の遺物にも描かれています。

また、翡翠自体もオルメカでは特別なものでした。オルメカでは青緑色をした翡翠は太陽や魂、水を連想させるものであり、神聖なものだったのです。そのため、翡翠の石斧も宗教的な儀式に使われたとされています。

半人半獣神像

ジャガーを表している半人半獣神像

半人半獣神像はオルメカ人がジャガー信仰をしていたことが一目で分かる遺物です。あぐらをかいて座る人のように見えますが、口元や鼻は翡翠の石斧に描かれている絵に似ています。

ジャガーのような大きく上を向いた鼻、ジャガーが吠えているような口元をした顔であることが分かりますね。半人半獣神像は、人とジャガーが合わさった様子を表しているのです。

生贄の儀式

生贄の決め方は球技であり、マヤ文明にも引き継がれた

「生贄の儀式」と聞くと、怖く恐ろしい文明のように思うかもしれません。しかし、古代文明において生贄を神に捧げる儀式はとても重要なものだったのです。

現代と違ってオルメカの時代は、毎日を生きることがとても大変でした。頻繁に起こる争いに加えて未発達の医療技術、予測できない天災などがあり、人々は安定とは無縁の生活を送っていたのです。

そんな生活を少しでも変えようと人々が思い付いたことが、「神に生贄を捧げること」でした。生贄を捧げることで神を喜ばせ、天災を避けられると考えたのです。

オルメカ文明の時代に作られたゴムボール

オルメカ文明では、生贄を決める方法として球技が用いられたとされてます。オルメカの人々はゴムボールを作り、これを使って球技をして選手の一人が生き絶えるとその人が生贄となったのです。

古代の人々は、人間の血こそ神が喜ぶ最高の捧げものだと信じていました。そのため、球技後の心拍数が上がった状態で生贄を斬首し、より多くの血を神に捧げようとしたのです。

こうした生贄の儀式は、オルメカ文明からマヤ文明、アステカ文明、インカ帝国にまで引き継がれていきました。

巨大な人頭像

巨石で作られた巨大な人頭像

オルメカ文明を表す最も代表的な遺跡が「巨大な人頭像」です。巨大な石を使って作られた人頭像は、大きなもので高さが約3メートルになる像もあります。

この巨大な人頭像は別名「オルメカヘッド」とも呼ばれ、オルメカ文明時代の支配者を表したものです。頭部だけの石像であり、胴体は作られていません。

描かれている顔は、厚めの唇と潰れたような低い鼻が特徴的です。頭には兜のようなものをかぶっており、支配者だけでなく戦士や球技者のようにも見えます。

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