1913〜1946年 – 52〜85歳「借金まみれの晩年」
南極探検の総費用は12万〜12万5千円余りと推定されています。募金で賄えたのは7万円あまりで、白瀬は4万円ほどを借金として自ら背負うことになりました。
借金返済のため、白瀬は南極で撮影したフィルムを手にあちこちを周り、講演会を開きました。借金が完済したのは1935年のことでした。
1946年9月4日午前9時、白瀬は腸閉塞のため息を引き取りました。享年85歳でした。
白瀬矗の関連作品
おすすめ書籍・本・漫画
白瀬矗 – 私の南極体験記 –
白瀬矗の自叙伝です。南極探検が主となっていますが、幼少期の出来事なども書かれていて、どれもまるで小説ではないか?と思ってしまうような奇想天外な出来事のオンパレードなので、読んでいてとても楽しいです。南極探検に関してはまさに冒険記で、挿絵があるためにイメージもつきやすくなっています。
児玉源太郎や大隈重信、乃木希典といった歴史上有名な人物も出てきます。白瀬が彼らをどれだけ敬い、感謝の気持ちを持って接していたかもよくわかります。白瀬矗を知るにはまずおすすめしたい一冊です。
熱源
第162回直木賞を受賞したこの作品は、樺太(サハリン)で生まれたアイヌ、ヤヨマネクフが主人公です。ヤヨマネクフは山辺安之助と名を変え、白瀬の南極探検隊に樺太犬担当として参加しています。各界から絶賛されている本書ですが、筆者はそのスケール感に圧倒されました。
史実を元にしたフィクションではありますが、樺太やアイヌ、少数民族について考えるにはとても素晴らしい作品です。
めしあげ!!〜明治陸軍糧食物語〜(5)
美味しい食事をとりたいがために軍隊に入った千歳という青年が主人公です。日露戦争がメインのマンガですが、5巻では千歳が炊事掛として南極探検隊に参加します。白瀬は南極探検隊のメンバーとぶつかることも多く、大変苦労していますが、そんな様子もこのマンガで知ることができます。
南極探検では、食糧不足から泣く泣く犬やペンギンを食べて命を繋いでいました。日本人初の南極探検という偉業の裏にはこんな苦衷を抱えていたことも、この作品を通して知ることができます。
おすすめの動画
白瀬矗 NHKカルチャーラジオ
戦前に録音された白瀬矗の貴重な声が聞けるラジオです。白瀬本人が極地探検を目指した動機や経緯について話しています。軍人であり探検家である白瀬ですが、借金を返すためにも講演会を何度も開いているせいか、話すことに慣れている様子で驚きました。歯切れがよく、意思の強さを感じさせる口調は白瀬の人柄を偲ばせます。
おすすめの映画
日本南極探検
動画「日本南極探検」|日本南極探検|映像でみる明治の日本 / The Meiji Period on Film
1910〜1912年に製作された、南極探検のドキュメンタリーフィルムです。後援会長だった大隈重信が映画会社に撮影を依頼したもので、白瀬矗や大隈重信の姿も確認できます。南極探検の上陸の様子といった重要シーンもありますが、ペンギンと戯れる隊員の姿などは微笑ましく面白いです。
この作品は日本における長篇記録映画の嚆矢とされ、文化・記録映画史上の重要作品とも言われます。
おすすめアニメ
宇宙よりも遠い場所
2018年に放送された、女子高生が南極へ行くというアニメです。国内外の評価が高く、ニューヨークタイムズが選ぶ「ベストTV2018インターナショナル部門」に選出されました。
ヒロインとして登場する小淵沢 報瀬(こぶちざわ しらせ)は、白瀬矗からイメージしている部分もあるようです。南極に絶対に行くという強い意思はまさに白瀬矗そのものですね。南極に青春を捧げる女子高生たちに勇気をもらえる、素敵な作品です。
関連外部リンク
- The World of Nobu Shirase | Tells the story of Nobu Shirase’s achievements.
- 国立極地研究所
- はじめに|本の万華鏡 第19回 白瀬矗、南極へ―日本人初の極地探検|国立国会図書館
- 白瀬南極探検隊記念館 / 秋田県にかほ市
- 国立映画アーカイブ
- さすが地球の反対側!大違いの北極/南極クイズ【二択】
- 砕氷艦「しらせ」型|水上艦艇|装備品|海上自衛隊 〔JMSDF〕 オフィシャルサイト
- shiraseとは | SHIRASE
- NPO法人白瀬南極探検100周年記念会
白瀬矗についてのまとめ
世界的に有名な日本の南極観測船(砕氷艦)には「しらせ」という名前がついています。これは、昭和基地の近くにある「白瀬氷河」からつけられたもので、「白瀬氷河」は白瀬矗から命名されています。白瀬が南極へ行ってから100年以上も経ちますが、今でもその探検家としての白瀬の偉業は讃えられています。
日本人として初めて南極に行ったことはもちろん素晴らしいことですが、それ以上に彼の生き方に筆者は惹きつけられます。子供の頃に抱いた夢を実現するために自らも努力をし、出会いを大切にし、運を招き入れました。南極から帰ってきてからも、借金で難儀しようとも最期まで南極のことを思い続けました。
この記事を通して、白瀬矗というこんな素敵な人生を歩んだ日本人がいたことを、多くの人に知って貰えたなら嬉しいです。