「倭寇って何だろう?」
「倭寇は日本人?中国人?」
「どうして倭寇が強かったか知りたい」
この記事をご覧のあなたはそのような疑問を持っているのではないでしょうか?倭寇とは、13世紀から16世紀にかけて、東シナ海沿岸を荒らしまわった海賊のことです。倭寇は13~14世紀にかけての前期倭寇と15~16世紀の後期倭寇に分けられます。
倭寇は高い機動力で高麗軍や明軍を翻弄し、沿岸の人々に恐れられました。倭寇は沿岸部の略奪だけではなく、明が禁じていた密貿易を行い莫大な利益を上げました。その結果、大倭寇とよばれた王直のような人物も現れます。
今回は倭寇とは何か、倭寇がどんな人々から成り立っていたか、倭寇の強さとは?などについてまとめます。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
倭寇とは?
倭寇とは文字通り、倭人(日本人)を主体とした海賊のことです。倭寇の「寇」の字には、外から侵入して害を加える賊という意味があります。それを踏まえると、倭寇とは、中国や朝鮮から見て日本からやってくる海賊ということになります。
前期倭寇とよばれる13世紀から14世紀の倭寇は、九州北部を本拠地とする日本人の海賊です。前期倭寇の攻撃対象は朝鮮半島や黄海沿岸でした。彼らは沿岸部に上陸し、物資や人間を略奪します。
後期倭寇とよばれる15世紀から16世紀の倭寇は、日本人よりも中国人が主体となりました。彼らの目的は略奪よりも密貿易です。その点で、彼らは海賊というより大規模な密売商人といったほうが適切でしょう。
倭寇の主体は日本人?中国人?
倭寇の主体は前期倭寇と後期倭寇で異なります。前期倭寇は日本人中心でした。それに対し、後期倭寇は中国人が中心となります。
前期倭寇は14世紀に日本を含む東アジアが政治的に混乱したことによって生まれました。日本では鎌倉幕府の滅亡や南北朝の争乱が発生し、中国では元が滅亡します。こうした混乱を衝いて、九州北部の武士たちが朝鮮半島や黄海沿岸で略奪行為を行いました。
一方、後期倭寇は明の解禁政策に対する反発から生まれます。明王朝成立後、中国は経済的に発展し、国内に余剰物資が生まれていました。明の商人たちは高値で売れる生糸などを輸出したかったのですが、海禁によってそれが許されません。
そこで、生糸などを売って利益を上げたい中国人商人たちは、武装して密貿易を行い、時に明の水軍と戦いました。そのため、後期倭寇の主体は中国人となります。
活動範囲は東アジア
前期倭寇は朝鮮半島や黄海沿岸を主な活動地域としました。時に、倭寇は河川をさかのぼり川沿いの集落も略奪しました。倭寇の中には騎馬隊を備えたものまでいて、高麗軍は対応に苦慮します。
後期倭寇は活動範囲を中国南部沿岸や東南アジアへと広げます。活動範囲が拡大した理由は、後期倭寇の主体が密貿易の商人であり、彼らが東シナ海から東南アジアにかけてのいわゆる「南海」を活動の場としていたからでした。
明も手を焼いた倭寇の強さ
倭寇の強さは神出鬼没の機動力と、近接戦闘で用いる日本刀です。高い機動力を持つ倭寇は、襲撃地点を自由自在に選ぶことができました。そのため、高麗や明の守りが薄い地域をピンポイントで攻撃することが可能です。
また、倭寇は沿岸部だけではなく、河川をさかのぼり内陸の都市を攻撃することもできました。高麗(滅亡後は朝鮮国)や明は長大な海岸線を有しており、そのすべてを守るのは至難の業でした。
さらに、倭寇は近接戦闘に強い日本刀を用いました。日本刀の中でも歩兵同士の戦闘でつかう大太刀や長巻は近接戦闘で絶大な威力を発揮します。彼らは明軍や朝鮮軍兵士の槍の柄を刀で切り、戦闘力を失わせたからでした。
16世紀に活躍した明の将軍、戚継光は狼筅(ろうせん)という特殊な槍を作り、槍の柄を切り落とせない工夫をして倭寇に対抗します。それが功を奏し、戚継光の軍は倭寇との戦いを優位に進めることができました。