湯川秀樹とはどんな人?生涯・年表まとめ【ノーベル賞の受賞理由も紹介】

1955〜1957年 – 48〜50歳「平和運動」

第五福竜丸事件

第五福竜丸は現在、夢の島公園(東京)に保存されています。

1954年、アメリカがビキニ環礁で行った水素爆弾実験の余波を受け、「第五福竜丸」に乗船した日本人が被曝するという事件が起こります。湯川秀樹は原子力の脅威から自己を守ることを人類は皆考えるべきだとする寄稿文を記しています。これ以降、核兵器と戦争の廃絶を訴える湯川秀樹の姿が見られるようになりました。

ラッセル=アインシュタイン宣言

ジョセフ・ロートブラットは1995年にノーベル平和賞を受賞しました。

第五福竜丸が浴びた大量の白い灰を科学者たちは分析し、ヨーロッパ各地で紹介しました。それを聞いた物理学者のJ・ロートブラットは、この結果を哲学者のバートランド・ラッセルに伝えます。ラッセルは「人類社会に終止符を打つか戦争を拒否するかを選択しなければならない」というメッセージ性の強いラジオ放送をします。

ラッセル=アインシュタイン宣言発表記者会見

この反響が大きかったので、ラッセルは世界中の指導的科学者の連名で世界に呼びかける構想をアインシュタインに掛け合い、1955年7月9日のラッセル=アインシュタイン宣言へとつながるのです。湯川秀樹を含めたノーベル賞受賞者9名が名を連ねた核戦争廃絶を訴えるこの宣言は、世界的な核兵器廃絶運動の発端となりました。

第一回パグウオッシュ会議

第一回パグウオッシュ会議には湯川秀樹の他に朝永振一郎も出席しました。

1957年、湯川秀樹はラッセル=アインシュタイン宣言に基づいて開かれた第一回パグウオッシュ会議に出席します。核兵器の危険性や放射線の危害、そして科学者の社会的責任について議論が交わされました。

1958〜1981年 – 51〜74歳「平和を祈念した晩年」

湯川秀樹(1975年)

第1回科学者会議

湯川秀樹を支えた坂田昌一は、自身こそ受賞しなかったものの、教え子の益川敏英がノーベル賞を受賞(2008年)。

1962年、湯川秀樹は朝永振一郎、坂田昌一とともに第1回科学者京都会議を開きます。これはラッセル=アインシュタイン宣言を支持する日本の科学者たちが開いたものでした。

平和を願い続けた晩年

湯川秀樹が晩年を過ごした京都の邸宅

1964年、湯川秀樹は朝永振一郎とともにソ連よりロモノーソフメダルを授与されます。1966年にはノーベル平和賞候補者にも推薦されていました。1970年には京都大学を定年退官し名誉教授となります。

湯川秀樹の死去をトップページで報道する新聞

1975年、前立腺癌を発症します。手術を受け療養を続けながらも学術活動や核廃絶運動を続けます。アメリカとソ連の冷戦が続いていた中、1981年6月には第4回科学者京都会議を主催します。しかし9月8日、急性肺炎から心不全となり、京都の自宅で息を引き取りました。享年74歳でした。

湯川秀樹の関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

旅人 ある物理学者の回想

湯川秀樹が前半生を振り返った自伝です。中間子論が生まれるまでの苦悩が大きかったことがよくわかります。幼い頃の四書五経の素読が効いているのか、流れるような文章と言葉遣いに酔いしれてしまいます。

多くの親は自分の子供にも湯川秀樹のように自分の関心を持つ分野で将来輝いて欲しいと願うでしょうが、実際に湯川秀樹はどんな少年時代を送っていたのか、父や母はどんな教育方針を持っていたのかなども知ることができ、ある意味「育児書」としても興味深く読みました。

目に見えないもの

薄い本ですが、学問をすることの喜びが満ちていて、読んでいるとこちらまで嬉しくなってくる不思議な本です。物理学に関する説明も丁寧で、難しくてもどうにか読んでみたいと思わせるものがあります。

なぜ学問をするのか?という根源的な問いの答えが見つかる本です。ぜひ将来の進路に悩む高校生や、理系の大学生には読んでもらいたいですし、大人になって読むからこそ納得できるような話も詰まっていますので、教養書としてもおすすめです。

物理講義

1974年に湯川秀樹が物理学専攻の大学院生向けに行った講義録です。物理学の知識がないと理解するのは難しいですが、どういうところに着眼点を置くのかなど、湯川秀樹という人のものの考え方が垣間見られるところもあり、物理学に疎くてもぜひチャレンジして欲しい本です。

おすすめの動画

湯川秀樹 – その人 –

湯川秀樹のノーベル賞受賞までの生涯を写真と共に紹介しています。

湯川秀樹、原爆研究記す 京大が終戦前夜の日記公開

2017年、湯川秀樹の原爆研究に関わったとされる記述を含んだ日記が初公開された時の様子です。この日記により、湯川秀樹が積極的ではなかったにせよ、F研究に関わっていたことが証明されました。

おすすめドラマ:太陽の子

京都帝国大学で荒勝文策教授のもと原子核物理学の基礎研究に携わっていた若者たちのフィクションです。湯川秀樹は登場しませんが、当時の物理学者たちが戦争と研究との間に挟まれて苦悩する様子をリアルに描いています。2021年に違う視点から描いた映画が公開予定です。

関連外部リンク

湯川秀樹についてのまとめ

東野圭吾の人気ミステリーに「ガリレオ」シリーズがありますが、この主人公の物理学者・湯川学は湯川秀樹からつけられたと言われています。トリックからは湯川秀樹に対する筆者のリスペクトを感じますし、ドラマでも、どこか浮世離れしているけれどその知力でいつの間にか皆を惹きつけてしまう湯川を、福山雅治は上手に見せてくれていました。

湯川秀樹はノーベル賞も受賞した、素晴らしい物理学者です。しかし、日本人にとって単なる偉大な学者という以上の、日本の明るい未来を見せてくれた特別な人であるように思います。だからこそ、推理小説の主人公に名前を使われても違和感がないばかりか、逆にその作品に品格と明るさを与えている気がします。

湯川秀樹の物理学での功績はもちろんですが、その学問に向かう姿勢やものの考え方も素晴らしい人です。この記事を通して「湯川秀樹」という一人の素敵な日本人に興味を持ってもらえたなら幸いです。

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